『山から出てきた一つの小石』

2016年8月7日(日)
新城教会主任牧師 滝元順
ダニエル書2章41節〜45節

『あなたがご覧になった足と足の指は、その一部が陶器師の粘土、一部が鉄でしたが、それは分裂した国のことです。その国には鉄の強さがあるでしょうが、あなたがご覧になったように、その鉄はどろどろの粘土と混じり合っているのです。その足の指が一部は鉄、一部は粘土であったように、その国は一部は強く、一部はもろいでしょう。鉄とどろどろの粘土が混じり合っているのをあなたがご覧になったように、それらは人間の種によって、互いに混じり合うでしょう。しかし鉄が粘土と混じり合わないように、それらが互いに団結することはありません。この王たちの時代に、天の神は一つの国を起こされます。その国は永遠に滅ぼされることがなく、その国は他の民に渡されず、かえってこれらの国々をことごとく打ち砕いて、絶滅してしまいます。しかし、この国は永遠に立ち続けます。あなたがご覧になったとおり、一つの石が人手によらずに山から切り出され、その石が鉄と青銅と粘土と銀と金を打ち砕いたのは、大いなる神が、これから後に起こることを王に知らされたのです。その夢は正夢で、その解き明かしも確かです。」』

 ハレルヤ!みなさん、おはようございます。
 お祈りに支えられ、無事に新城に戻ることが出来ました。心から感謝をします。今回のネパールのツアー、一言で言えば「完璧な旅」でした。みなさんの祈りをひしひしと感じながら、終えることができました。心の底から、高いところからですけれど、感謝を申しあげます。祈りは、このようにして聞かれるんだなと感じるような旅でした。
 今回のネパール宣教には、様々な不確定要素があって、心騒ぐ事もたくさんありました。それらすべてをクリアできたら、奇跡だなぁと、考えていたわけですが、何一つ地に落ちることなく、すべてがうまくいったのは、教会をあげての祈りの勝利だと、確信しています。主に大きな拍手を捧げましょうか。ハレルヤ!
 午後からは、ネパール宣教報告会がありますから、是非とも、おでかけいただきたいと思います。

 先週の今頃は、ちょうど山に登ろうとしていた時でもありました。私は出発前に少し戦いがありまして、手首が痛かったり、足首が痛かったりして、五時間、登れるかどうか心配でした。
 しかし当日は本当に、すがすがしい登山日和で、炎天下ではなく、ほどよく雲がかかっていて、さわやかな風が吹いていました。みなさんにそのようにレポートしました。
 今回、私の役割はレポーターでした。LINEを送る時、受け取る皆さんに多少プレッシャーをかけながら、あまり心配をさせずに祈ってもらう使命でした。
 メディアには策略があるのですが、私も多少策略を巡らして報道しました。一緒に行った人が、「順先生、うまく報告していますね。」と褒めて下さいましたが、ツアーメンバーの親御さんたちに心配させるような報告をすると、仕事も手につかなくなります。でも、真剣に祈ってもらわないと困るので、多少、心配になるくらいの情報を発信していました。

 登山のためにバスに乗って走り始めたら、土砂降りの雨になりました。向こうの雨は、普通の雨ではなく、激しいスコールです。登るには大変だと思いました。
 雅也先生のメッセージが始まる前くらいに、LINEが届いたと思います。時間を間違えたのですが、こちらで真剣に祈ってくださったみたいです。登り口に着いたら、雨がピタッと止まりました。雨が降って地面が冷えて、さらによくなりました。完璧な天候でした。いや〜、こうなるのか!と言うほどのタイミングで、祈りの手応えを日々感じながら、過ごさせていただきました。

 去年は二十五名のメンバーで行きました。ツアー中に病気になった人が二十二名いました。無傷で帰ったのは、たったの三名でした。その内の一人が私でした。今回メンバーは三十五名ですから、どうなるのかと思ったら、ツアー中に病気になったのが、たったの三名でした。その内の一人が私でした。風邪を引きました。帰ってから発熱した人はいますが、ツアー中はみんな元気でした。
 今回、政治的な不安定さとか、天候の事とか、いろんな事を合わせると大変だなぁ〜と思って、祈っていたら、主が私の心に、ふっと思いを入れてくれました。「今回は楽しい遠足のような旅になる」と語ってくださいました。でも、あまり人には言いませんでした。家内だけに言っておきました。
 しかし終わってみて、本当に遠足のような楽しさの中、おじちゃん、おばちゃん、若者も一緒になって、神のファミリーとして働くことが出来ました。

 去年は、私たちがネパールに行っている中で、親父が天に帰りました。

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 この写真は、ネパール・チトワンのホテルで父が召天する十五分前です。偶然、Wi−Fiがつながりました。私はネパールから父の最後を見届けることができました。主治医の方にFacetimeで、「お世話になりました。」と、挨拶したくらいです。そんなこともあり、重苦しかったです。
 今年も不安定要素がありました。それは、母の具合が悪くなってきたからです。母は来年、九十四歳になります。母は『ちょっと長く生きすぎた。』と申していました。またもやネパールツアーの最中に、母親が召されるのかと心配でした。
 だから私は旅行の前日に母の所に行って、「ばあさん。去年、俺たちがネパールに行っている間に、親父が天に召されていたのを覚えているかい?」と聞いたら、『そうだったなぁ。』と言いました。「今年、ネパールに行っている間にばあちゃんが死ぬと、具合悪いから、がんばって生きてくれよ!」と話したら、『あいよ。』と答えました。いや〜、本当に母は生き抜いてくれました。
 帰って来て、「お〜い!ネパールから帰って来たよ!安心していつでも天国に行ってもいいよ!」と言いました。親父もきっと天で騒いでいる事と思いますから、そのように話したのですが、それから一週間くらいがんばって生きております(八月九日、安らかに天に召され、八月十一日に召天式を行いました。とりなしを感謝いたします)。いろいろな不確定要素がありましたが、主はすべてを守って下さいました。

 先週の雅也先生のメッセージ、すばらしかったですね。私は後から読んで、本当に感動しました。一九九二年頃に、主が成して下さった事柄の生々しい証しをしていました。そして、あきらめずに祈り続けたら、必ず、祈りは聞かれる!という、力強いメッセージでした。
 そこで、「神様の働きを止めるのは簡単だ!」と語られました。それは、「不信仰になればいい」と話しました。ちょっと、どきっとしました。信仰を持ち続け、リバイバルを目指して、主のお帰りを目指して、祈り続けていくことが大事だと教えられました。

 一昨年前は、タイの山奥でリバイバルミッションをさせていただいたり、昨年はナガランドでミッションを開かせていただいたり、新城教会独自でネパールで働きをさせていただく一連の流れの中、いろいろな事に気づかされ、見えて来た事柄があります。
 人類って、どうして世界中に広がったのか不思議です。世界を旅行すると、ネパールにいる人たちと、南米のペルーにいる人たちと、そう変わらないのです。服装も、文化も似通った面があるのです。こんな共通性って、どうして生まれたのか不思議になります。しかし、聖書を読むと、その理由が分かります。
 創世記十一章に、こんな記述があります。みなさんすでにご存じですが、創世記十一章一節〜九節、

『さて、全地は一つのことば、一つの話しことばであった。そのころ、人々は東のほうから移動して来て、シヌアルの地に平地を見つけ、そこに定住した。彼らは互いに言った。「さあ、れんがを作ってよく焼こう。」彼らは石の代わりにれんがを用い、粘土の代わりに瀝青を用いた。そのうちに彼らは言うようになった。「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから。」そのとき主は人間の建てた町と塔をご覧になるために降りて来られた。主は仰せになった。「彼らがみな、一つの民、一つのことばで、このようなことをし始めたのなら、今や彼らがしようと思うことで、とどめられることはない。さあ、降りて行って、そこでの彼らのことばを混乱させ、彼らが互いにことばが通じないようにしよう。」こうして主は人々を、そこから地の全面に散らされたので、彼らはその町を建てるのをやめた。それゆえ、その町の名はバベルと呼ばれた。主が全地のことばをそこで混乱させたから、すなわち、主が人々をそこから地の全面に散らしたからである。』

 最初、人類は一つの場所で、一つの言葉で暮らしていたようです。麗しいですね。どこの国の人という区別はなく、お互いに言葉が通じたわけです。言葉が通じれば、どの人とも結婚出来ますから、人種問題は発生しません。世界には、ちょっとした肌の色の違いで差別があったりしますが、その原因はどこにあるのかと言ったら、バベルの塔から世界に散らされたところから始まっています。人類が移動した事により、天候や日差しの違いからメラニン量が変わって、やがてその情報が遺伝子に定着したのです。しかし元々人間の肌の色は同じでした。
 そもそも文化なんていうものは、他との違いを比較しなければ意識しないものです。一つの所で一つの言葉で生きていれば、文化なんて発生しないのです。みんな同じことをやりますから。違いがあるからこそ、文化と呼ばれるわけです。
 では、世界に出て、結構、似ている原因はどこにあるのかというと、それもバベルという街から、世界中に人々が散らされたからです。
 バベルがどこにあったのか。バベルとは、またの名を、「バビロン」と呼びます。

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 それは今のイラクです。バグダッドという街がありますがバビロンです。その地域はメソポタミア文明と呼ばれる、最古の文明だと言われます。世界の三大文明だとか、四大文明だとか、聞いたことがあると思いますが、そこから東・西・南・北に人類は散って行ったわけです。
 東西方向に、最も大きな集団が移動したわけです。北と南はすぐに海に出てしまいます。となると、メインの経路は東西です。人間には水が必要です。それで、どうしても川の側に住み着くわけです。
 メソポタミア文明に次いで古いのが、エジプト文明です。エジプトの文化習慣については聖書にたくさん出てきますが、ナイル川のほとりに文明が発達しました。しかし同時に東に向かった人たちもいるわけです。それでできた文明、やはり水がないと生きていけませんから、インダス川のほとりで栄えました。インダス文明と呼ばれます。

 今回、私たちがお邪魔したネパールは、インダス文明の流れの末裔たちの国です。ヒマラヤの麓で、水もあって、緑も案外豊かで、過ごしやすかったのでしょう。世界最古の集団が、ネパール付近に分布しているといっても過言ではないと思います。インドやネパールにはその後、ヨーロッパから流入した「アーリヤ系」の人達も多く住んでいます。しかし、それ以前から住んでいた、土着の先住民もいます。その人たちは山の中に住んでいます。
 ネパールのチトワン付近には、山岳民族が広く分布しています。それがチェパン族の人達です。エジプトは平らで、その後も人々は散って行きましたが、山の中に入った民族は、その後も移動しませんでした。
 先ほど、ちょっと触れたのですが、タイの山岳民族と、ナガランドの山岳民族と、ネパールの山岳民族には多くの共通点があります。同じような文化を持っています。服装も結構似ています。
 「分かりました。」という時に、私たちは首を縦に振ります。しかしあの辺の人たちは、頭を左右に振ります。私たちからすれば、分かってんのか、分かってないのかという感じです。
 私はタイの山岳民族の教会でメッセージをして、「分かりましたか?」と聞いたら、全員が、頭を左右に傾けました。会衆全体の頭が左右に揺れるのです。「通じてないよ!」と、落ち込んでいたら、それがどのようなサインか分かりました。イエスというサインでした。ネパールの山岳民族も、全く同じです。不思議だなぁと思いますが、山岳民族の人たちって、バベルの塔から移動して定着した流れの人たちであると思われます。山の中に入って、何千年も限られた地域で、下界との接触を拒みながら子孫を残して来た人たちじゃないかという、気がします。

 昔、日本にも、原住民の人たちがいて、縄文人と呼ばれます。縄文人の家の復元を見たことがあるかもしれませんが、かやぶき屋根で高床式の家です。ネパールに行きますと、まさに今でも同じような家に住んでいるのです。全く、資本主義経済社会とは関係のない、自給自足の生活をしています。自給自足って大変だなぁと今回、改めて感じたのですが、山の中で全ての食糧を得て、生きるのです。彼らは決して山を下りないのです。
 彼らは足が強くて、山を登ったり下ったりするのは、すごいスピードです。だから、山を下りるのは、大したことではありません。下ったら、ある程度の経済圏があるのですが、彼らはそれらに見向きもせず、山を下りません。
 女性は十四歳、十五歳で結婚して七、八人は子どもを生みます。山の上は、子どもたちで溢れています。
 今回、そこに行って、いろんな事を思わされたのですが、このような場所に目を向け、祈り、支えることは、たいへん重要だと気づかされました。

 なぜ、ネパールに導かれたのかと思っていたのですが、一つのテーマは「ヨベルの年」です。近頃そのテーマを掲げて、メッセージをさせていただいています。
 イエス様がこの地上に来られた目的が、ルカの福音書四章十八節〜二十一節に記されています。

『「わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに油をそそがれたのだから。主はわたしを遣わされた。捕らわれ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。しいたげられている人々を自由にし、主の恵みの年を告げ知らせるために。」イエスは書を巻き、係りの者に渡してすわられた。会堂にいるみなの目がイエスに注がれた。イエスは人々にこう言って話し始められた。「きょう、聖書のこのみことばが、あなたがたが聞いたとおり実現しました。」』

 前にもお話ししましたので、思い出していただければいいですが、イエス様がこの地上に来てくださった目的は、イザヤ書六十一章の預言の成就です。一口で言えば、「主の恵みの年の実現」です。
 主の恵みの年とは何か、イスラエルに五十年目に訪れる特別な解放年を意味していました。五十年目になると、奴隷は解放され、借金はチャラになり、失った先祖からの土地も、全て元の所有者に戻ったのです。大解放の年を「ヨベルの年」と呼んだわけです。
 イエス様はこの地上に来てくださったのは、人々を解放するためでした。罪を赦し悪魔から解放し、自由にするためでした。主の恵みの年の実現、最終的には神の国の実現です。
 イエス様は再び、地上に来られて、世界の王となり地球を治められる日が来るのです。地上における神の国の実現のために、イエス様は来られたのです。
 その事がすでに、旧約聖書に預言されていました。最もはっきりとした預言の一つを、今日読んだ、ダニエル書二章から読み取ることができます。もう一度、ダニエル書二章四十一節から読んでみますと、

『あなたがご覧になった足と足の指は、その一部が陶器師の粘土、一部が鉄でしたが、それは分裂した国のことです。その国には鉄の強さがあるでしょうが、あなたがご覧になったように、その鉄はどろどろの粘土と混じり合っているのです。その足の指が一部は鉄、一部は粘土であったように、その国は一部は強く、一部はもろいでしょう。鉄とどろどろの粘土が混じり合っているのをあなたがご覧になったように、それらは人間の種によって、互いに混じり合うでしょう。しかし鉄が粘土と混じり合わないように、それらが互いに団結することはありません。この王たちの時代に、天の神は一つの国を起こされます。その国は永遠に滅ぼされることがなく、その国は他の民に渡されず、かえってこれらの国々をことごとく打ち砕いて、絶滅してしまいます。しかし、この国は永遠に立ち続けます。あなたがご覧になったとおり、一つの石が人手によらずに山から切り出され、その石が鉄と青銅と粘土と銀と金を打ち砕いたのは、大いなる神が、これから後に起こることを王に知らされたのです。その夢は正夢で、その解き明かしも確かです。」』

 バビロンから世界中に散らされ、塔を持つ国々と街々が次々とできました。それは最終的に、どうなるのかというと、弱さがある国と強い国が、互いに団結するようになるというのです。
 しかし、そのような最中に、山の中から石が切り出されて、鉄と粘土で出来た足首を打って、巨像がぶっ倒れるというのです。将来起こるであろう事を、ダニエルは解き明かしたわけですが、実は、この幻は、世界の歴史を表す重要な預言でした。

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 強い国と弱い国が、互いに経済同盟を結ぶようになる、それが大バビロンと呼ばれる、サタン王国につながる事を黙示録から学ぶことができます。
 大バビロンに、山から切り出された小石が転がって来て、サタンの王国を打ち破るのです。やがて小さな石が世界大に成長し、世界を治めるというのがダニエルによって解き明かされた幻です。

 近頃、強い国とか、弱い国とか、文化の違いとか関係なく、世界は一つになろうとしています。
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 何度もお話しさせていただいていますが、TPPは環太平洋の様々な、歴史も言語も文化も宗教も違う国々が、経済で一致する同盟です。今や国境線はないのと同じです。今や世界は「経済」という二文字でくくられています。

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 TPPだけでなくて、アメリカを中心に、TTIPという、環大西洋貿易投資パートナーシップも交渉中です。また、TISAという、新サービス貿易協定も交渉中です。この三つが完成すると、世界の国境はなくなるそうです。関税も全て撤廃され、国々の特徴はなくなります。
 特にTISAは、結構怖いというのです。国々の公共サービスはなくなり、すべて民間委託されるのです。日本の公共サービスを、他の国の企業が運営する事も可能ですし、日本が他国でやることも可能になります。全く世界が一つになるのです。
 これは、聖書的に言ったら、大バビロン以外の何ものでもないです。一回、このような同盟が結ばれたら、世界大戦か何かあって、地球が丸焼けにならない限り、なくならないのです。聖書的に言ったら、今や、大バビロンの時代という感じです。

 しかし、こんな時こそ、人類には大きな希望があります。山の中から一つの石が飛んで来て、巨大な像が打ち砕かれるからです。

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 私たちの生きている間に、イエス様が帰って来られて、王となり、地球を治めてくださるようになったら、本当にすばらしいと近頃つくづく感じています。
 親父が死ぬ前に、「天国でばあさんの歓迎式典の用意ができたら、イエス様と一緒に迎えに来る」とか言っていました。誰でも地上から、やがて出ていかなければいけない日が来るわけです。でも、イエス様に迎えられるのもすばらしいですが、イエス様をお迎えできたら、そんな素晴らしい事はありません。最大の祝福、最大の幸せ、それは死んでイエス様に迎えられるのも幸せだけれど、イエス様をお迎えできるのが、最高の幸せです。
 聖書の登場人物、全員が一番願っていたのは、イエス様が王となって、この地上に来てくださる事でした。イエス様が十字架を前にして、エルサレムに入場された時、みんな期待したわけです。メシアが入って来た!だから、ホサナ!ホサナ!ホサナ!と叫んで、喜んだのです。しかし、その時は残念ながら、予行演習でした。本番はこれからです。
 ということは、私たちの時代に迎えることができるのかもしれないのです。いつかは分かりませんけれど、常に、私たちはその日を心に描いて、それを目標に教会は働かなければいけないのです。

 では、何をしたらいいのか?ということです。ヨベルの年とは、先週も雅也先生が語っていましたが、「富の再配分の年」だったのです。五十年経つと、一部に富が集中し、他は貧困のような社会ができるわけです。だから一度リセットして、富を再配分するためのシステムが、旧約聖書のヨベルの年の概念だったわけです。
 現代の世界は、富が一部に集中してしまい、突き詰めれば六十数名の人たちの手中に、世界の富の半分が握られていると言われます。七十億以上の人たちが地球に住んでいますが、ほとんどの人達が今や貧困に閉じ込められ、一部の人たちがものすごい富裕層になっている時代です。
 こんな時に、私たちは何をしなければいけないのか、金に捕らわれてはいけないのです。ヨベルの年を迎えたければ、自ら、「富の再配分」をしなければならないです。

 今回は、皆様方の尊い献金をいただき、ツアーのメンバーも、お金を貯めてツアー代金を作って、日本からあの遠いネパールの山の中にまで行って、働きました。向こうは貧しさの中でも、極貧です。そこに貢献できたというのは、先週も雅也先生が語っておられましたが、富の再配分です。ネパールの働きは、ヨベルの年の実現の為に、大変重要な働きであるのです。
 また、「福音」とは、「貧しい者への福音」とあります。「貧しい者に良い知らせを伝え」と。世界で最も貧しい人たちの所に行って、福音を伝える働きは、ただのヒューマニズム的行動とは違うのです。やがてイエス様が帰って来られるための、道ぞなえなのです。

 実は今回、祈りに支えられましたが、振り返ればこんな恐ろしいツアーはない!と思いました。カトマンズに着いてから、チトワンまで移動するのですが、八時間くらいかかります。その八時間の移動の道が悪いのなんのって、全員をお連れして見ていただきたいです。世界でこれ以上悪い道はあるのか!というような悪路を通らなければならないのです。
 だから、今回はそういう事も踏まえ、緻密な計画を立てました。一ヶ月以上前に、岡本泉さんが現地に行って、ツアーの時に使うバスとか、細かいことを自分の目で確かめて決めました。
 去年は借りたバスが超オンボロで、乗ってすぐに止まりました。全員、バスから降ろされて押せ!と言うのです。ツアーはエンジンの押しがけから始まりました。今度はこれじゃぁいかん!ということで、移動のバスだけは少しお金を出してもいいから、快適なバスを確保してこい!と言う、至上命令でした。それで、良いバスを見つけました。

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 このバス、インド製のTATAというバスで、三十五人乗りです。今回のバスは良かったです。エアコンもよく効きました。去年のバスは、エアコンも効きませんでした。しかし今回は、エアコンが効き過ぎました。バスにはエアコン専用のエンジンが付いていまして、弱にしてくれと言っても日本の強くらいです。強にするとすごく寒くて凍えそうでした。今だからみなさんにお見せしますが、こういう所を通過して行くわけです。
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 行く時は雨が降っていまして、下は濁流でした。これでもソフトな写真です。

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 帰りは、今度は雨が止んで、山肌がスライドして、至る所、崖崩れのある道を曲芸のようにバスは走るわけですね。下を見れば、こんな光景もあります。

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 こんな光景を毎回、二,三回は見るのです。「明日は我が身かもしれない・・・。」という感じです。こういう事を言うと、みんなツアーに参加してくれないと思います。でも現地の人達は、あんまり気にしません。落ちたやつが悪いと思っているようです。だから、崖から落ちた車を横目に見ながらすり抜けるのがネパール方式です。バスの中で耐えるしかない!という感じですが、今回は、これもうまくいきました。
 事故もなかったし、交通渋滞になることもなく快適でした。外を見ると怖いけれど、バスの中は快適でした。

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 あまりにもリラックスしているじゃないですか。お菓子を食べたり、賛美をしたり祈ったりしながら、行きました。

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 挙げ句の果ては、こういう所を登っていくわけです。一体、何をやってるの!という感じです。しかし、「この働きは、もしかしたらとんでもなく、重要な働きかもしれない!」と思いました。なぜなら、世界で最も、資本主義経済からかけ離れた人たちが住む場所に、資本主義が成熟し、腐っている日本から、富を再配分し、仕えるからです。貧しい人たちに福音を伝える働きは、やがて訪れる本物のヨベルの年の準備のために、最も重要な働きです!と、主は私の心に語って下さいました。

 私は先週で六十五歳になりました。家内が、「介護保険証が届いたよ!」と言って、持って来てくれました。「介護保険?誰の?」と聞いたら、「あんたのだよ!」と言われて、「えー!」という感じですが、私は介護される身になりました。しかし今回、私は自力で登山し、下山しました。事前にトレーニングできていなかったので、ちょっと大変でしたが、みなさんの迷惑にならないようにと、がんばって登りました。

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 こんな崩れているような所も、越えながら登りました。しかしまぁ、こういう写真も、ちょっとしたやらせです。わざわざ、このような場所を選んで、写真を撮りました。だいたい、マスコミというのは、こういうものです。こういう場所の写真を送れば、すべてが危険地帯のように感じます。でも、それはごく一部です。

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 結構綺麗な場所もあって、行ったことがある方ならば、ご存じだと思いますが、ここまで来たらしめたもん!です。ここまでが心臓破りの二時間です。ここからは、だらだらと三時間、登ったり下ったり歩く感じです。

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 この方は、韓国のパク宣教師です。この方がいなかったら、できなかったです。私はこの先生と出会ったことにより、ネパールの働きに関わることになりました。私は今回で五回目ですが、この先生は十年近く、ネパールに住み着いて、毎月、この山に登っています。偉いなぁと思います。今月は何回登ったか分からんと言っていました。彼が開いた働きです。そこに日本チームが関わって、日本が中心となってミニストリーをさせていただきました。
 それも、今回、多国籍チームで働かせて頂きました。日本から三十五名。その中にはハワイから、アメリカ国籍の方もいました。韓国人、中国人メンバーもいました。ネパールの人たち、インド人の方もおられました。六ヶ国の国際チームでした。普通、六カ国集まったら、いろいろと不具合が出て来ると思います。しかし私たちは神の家族です。六ヶ国集まっても、麗しいチームワークで働くことができました。

 食事だって、本当に大変です。食事を作ろうったって、ガスはないのです。どうするのかといったら、薪を集めなければならないのです。枝をどっかから拾い集めて来て、たき火をして、ご飯を作るのです。今回は先発隊が行って、かまどを作ってくれました。かまどは作ってあったけれど、薪が濡れていたのです。だから、火が付かないのです。夕ご飯を作るだけで十時間くらいかかりました。晩ご飯ができたのが夜中てした。例えば、三十五名が、新城教会部族だったら、食事の用意だけで人生が終わるね!と話しました。
 みんなの一致協力があるとすばらしいです。最初の日の夜の為に、食材が届きました。

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 これが最初の食材です。このまま食べるわけにはいけません。なんとかしなければいけないわけですね。チキンISメンバーを募集しました。すると高校生の女の子たちが、「はい!はい!」と言って、あっという間にやりました。肉になりました。

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 この酋長のおじいちゃん、今年も生きていました。今年は会えないのかなぁと思ったら、酋長のおじいちゃん、生きていて、鶏をさばく手ほどきをしてくれました。

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 ご飯を炊くのも、なかなか難しいです。向こうのお米は、こっちのお米とは違います。

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 でも、現地の人たちが、ご飯を炊いてくれたりするわけです。ネパール人の人たちです。絶妙な炊き方をします。バナナの葉で覆い、米を蒸すわけです。途中でかき混ぜて、絶妙な堅さで仕上げていくのです。みんなの協力がないとできないなぁと思いました。二日だけだからよかったようなものですが、一生ならたいへんです。

 土地の人たちのために奉仕をさせていただいたのですが、今日の午後、動画なども含めて、発表してくださると思います。この山の人たちって、こんな感じです。

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 子どもたちです。こんな感じで私たちを見ているのです。
 資本主義経済とは全く関係のない、縄文人の世界みたいです。

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 山の上の教会です。去年までは、奥の小さな建物しかなかったのですが、今年、青い屋根の会堂が建ちました。ちょっと前に地震が起こってひびが入ったと言っていましたが、まずは、やっぱ祈りやねん!です。

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 まずは、とりなしチームを作って、村を回って賛美して祈りました。これが祈祷チームのメンバーです。どんなとりなしの祈りをした?と聞いたら、各家庭を訪問して、賛美してきた!躍って来た!と言うのです。これが良い宣伝になったわけです。ついでに鶏も買って来ました。

 そして今回は、職人さんたちを連れて行きました。メインの職人さんたちです。

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 酒井さんは、ペンキを塗るプロ職人です。そして、岩井さん、小児科の医師です。

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 おじさんペンキ屋チームです!

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 すぐに準備し、プロの手つきでした。

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 食事チームは、屋根が付いて、かまどができて、ここで食事を二十四時間作っていたような感じでした。

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 水の浄化システム、見てください。教会の庭に実験で設置されたでしょう。三十五名の飲み水二日間分、ミネラルウォーターを持ち上げたら、たいへんな量です。だから、今回は、まずは誰がテストしたかというと、やっぱり我々がまず飲んで、村の人たちに提供できるということで、浄水システムの水を飲みました。二日間、飲み続けても、全然、大丈夫でした!いや〜、うまく機能していました。剛さんたちが先に設置してくれていたので、ちゃんと動いていました。

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 みんなでペンキ塗りをして、麗しかったですよ。

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 これが医療チームです。今回の医療チーム、最高でした。ネパールの人たちと、スタッフとが一緒になって、医療チームを作りました。今回は日本人看護士が二名、アメリカ人看護士一名、ネパール人通訳がいて、このチームで医療活動を行いました。

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 処置室です。このおばさんは毒蛇に噛まれて、手がすごく腫れていたのですが、蛇の歯形がしっかりと付いていました。

 体温と血圧を測って、どんな症状かを聞いて、診察室へ流していく、去年の経験もありましたから、クリニックもとてもうまくできました。一日に、百名以上の患者さんたちが来られました。去年、心配された人たちも健康で会うことができて、本当に感謝しました。
 去年、指が半分腐っている少年がいました。山の上では手当が十分にできないから心配だと勝先生が言っていました。そういう時は、医療行為だけではなく、祈るのです。
 この山の人たち、お腹に虫をたくさん飼っていて、それに栄養を吸い取られて、なかなか成長出来ないのです。だから虫下しを飲んでもらいました。そしてその後、一人一人のために祈ります。癒やしの祈りをします。
 この子、指が完全に良くなっていました。

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 みんなの前で証しをしてもらって、みんなも喜んでいました。山では治療をする考えがないから、指が腐ったりします。でもこの少年、しっかりと指が付いていました。

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 これはフードミッションです。十時間以上かけて作ったカレーです。みんなおいしそうに食べています。
 これは子どもの集会です。

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 今回も、山に住んでいる悪霊どもをやっつけます!という祈りをみんなでできました。
 ヒーローショーもありました。「イエス様を信じたら、悪魔をやっけるヒーローになれる!」とやりました。山の上での集会、難しい話をしても通じないです。やはり、山の人たちに合ったメッセージをしなければいけないのです。
 山の人たちは山に入る前には必ず供え物をして、森の精霊から許可を取って入山します。山を下ったら悪いことがあるぞ!という人たちです。
 イエス様を信じたら自由に森に出入りできるぞ!イエス様を信じたら、山を下ることも自由だ!という話をするのです。すると、やっぱり神様を変えたほうがいいな・・・。どっちの神様がいい?供え物がいる神様か。供え物はいらない神様か!どっちがいい?我々のイエス様は自由に森に入れる。日本にも行ける!どっちがいい?と話すと、「やっぱりイエス様がいいな。」となるわけです。
 難しいことを話すと、分からなくなってしまうのです。みんなの協力によって、すばらしい働きをすることができました。

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 一緒に助けてくれたネパールの青年たちと撮った写真です。山の中に神様の愛を伝えるというのは、ただ単に、愛を伝えるだけでなくて、聖書全体から言ったら、ヨベルの年の概念の実現です。重要な事だと思うのです。
 なぜなら、小さな石は、都市から出て来るのではなく、山から出て来るからです。山から切り出された小石です。

 山岳民族の方々に関心を持って、この人たちが救われることを願って、私たちに与えられた富を再配分していく中で、世界を変えるような小石が飛び出て来るのです。今まで誰が押しても引いても動かなかった、大バビロンが倒れる日が来るのです。

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 最後に一つの話をして終わりたいと思います。先週、雅也先生が、霊的戦いが始まった時、いろんな不思議な現象が起こったと話しました。あれは本当です。我々に分かるような形で、主が働いて下さいました。普通ならありえないことが起こりました。奇跡が頻繁に起こったから、二十年以上、霊的戦いを続けることができました。

 今回、ネパールで二日目大きな働きをしている最中に、なんと、ヘブンズカフェで怪奇現象が起こったそうです。雅也先生が冷静に確認したみたいです。何が起こったのかと言ったら、その日、ヘブンズカフェでは、フライパンで朝からソースを煮ていたそうです。確認していただいたら分かると思いますが、奥のほうでかき混ぜながら、何時間もソースを煮込んでいたそうです。
 ある時、かき混ぜたら、カランカランと音がするというのです。おかしいなぁと思ったら、中から小石が出て来たのです。どこから入ったのか知りませんが、小石が入ったそうです。その前にカチッと音がしたというのです。石なんて、絶対に入るような場所ではないです。突然、空間から小石が現れたのです。

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 ネパールの浄水器で使っていた石のようにも見えます。信じるか、信じないかはあなた次第。ミステリーの番組みたいですが、霊的空間が破れて石が落ちたのかしれません。世界の教会の中では、集会中に宝石が落ちてきたりとか、そういう教会があるらしいです。あんまり大した宝石じゃないらしいけれど、空間から落ちることがあるそうです。これも、信じるか、信じないかはあなた次第です。今回、小石が出たのです。
 ヘブンズカフェの恐がりのお姉ちゃんたちは、「キャー!」という感じで、雅也先生が呼ばれて、冷静に彼が確認したのですが、石なんか、どう考えても入ることがない場所です。
 私はそれを聞いて、怪奇現象のように考えないで、これは神様からのサインではないかと思いました。山から切り出された小石というテーマを、ナガランドで与えられていたのですが、この働きは、巨大な大バビロンを破る小石の出現、すなわち主の再臨につながるんだぞ!ということを教えられたように感じています。きっと今回の働きで、霊的空間がやぶれて小石が現れたのかもしれません。
 疑い深い方は、雅也先生とか、ヘブンズカフェのスタッフに聞くのが一番です。順先生は話を盛るからと言われますが、盛ってはおりません。先週だって、「私が証人となります!」と雅也先生が言っていたじゃないですか。私も信用できなかったですが、現場に行って、詳しく、懐中電灯で照らして石がどこかに挟まっていたのではないかと、調査しましたが、そうではないみたいです!
 やはり、教会全体で真剣に祈ったもんだから、一つのしるしを見させて下さったのかな、と私は考えています。フードミッション中だったから、ご飯の中に悪いものが入らないようにと、真剣に祈ってくれたそうです。
 みなさんの祈りに支えられて、みんなの協力で、このような働きを終えることができましたことを、心から感謝致します。午後の報告会に期待していただきたいと思います。一言お祈りして終わりにしましょう。

 ハレルヤ。天の父なる神様、御名をあがめて心から感謝をいたします。山から人手によらずに切り出された石によって、世界が変わっていくことを学びました。主よ、私たちの働きが、決して無駄ではなく、主が帰って来られる道を備えるための働きでありますように。今回、前線に行かれた方も、そうではない方も、一丸となって祈りました。この祈りによって、主が目に見えない世界を変えてくださったことを信じます。ありがとうございます。
 今から心からの感謝を持って、聖餐式を持ちます。どうかキリストのからだ全体に祝福をお与えください。病を癒し、霊・肉・魂、すべての領域で、祝福をお与えください。イエス様の御名によって、パンとぶどうジュースを、み言葉と聖霊によって主に委ね、聖餐式を始めます。アーメン。