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「―2017年―あなたは良いもので満たされます!パート10 
 〜圧倒的な勝利者となる〜」

2017年4月23(日)
新城教会主日牧師 滝元順
ローマ人への手紙 8章37節

『しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。』

 ハレルヤ!おはようございます。今日も共に礼拝が守れますことを感謝致します。
たいへん良い季節になってきました。気持ちの良い日が続いておりますが、来週は新城教会恒例の遠足があります。是非とも楽しみにしていただきたいと思います。五月五日の春の遠足は、地引き網です。今まで何度も計画して、お流れになっていたので、今回こそ、できるといいなと個人的には願っています。私は、地引き網が大好きです。何が取れるか、いつもわくわくするのですが、いつも沖合いで網をまいてくれるおじさんたちが、網を設置する前に、大きな魚を二、三匹網の中に入れるのです。やらせだなと思うのですが、地引き網は、聖書的だと思います。イエス様の声に従ったとき、網を投げたら多くの魚が捕れたという記事があります。リバイバルの預言的な地引き網大会になるといいと思っています。また、三日、四日は「二十四時間PPH」もあります。連休の時、主を心から礼拝したいと願っています。

 先週は復活祭でした。聖書のストーリーを一言で表すと、「復活」だと思います。聖書のテーマは、復活に尽きます。人も自然も何もかも、神のみ手の中で復活し、光輝くというのがテーマです。私たちは復活を目指して進んでいるわけです。
 あなたも私も、やがて復活できる、それも、この地上に復活することを確認する復活祭。先週はすばらしい礼拝となったことを、心から感謝します。

 今日は、「―2017年―あなたは良いもので満たされます!パート10」です。ついにテン(天)にまで到達しました。今日はテンにまで到達したということで、「〜圧倒的な勝利者となる〜」というテーマで学んでいきたいと思います。
 今回も、ローマ人への手紙八章から学びたいのですが、家に帰られたら、是非ともこの箇所をじっくりと読んでいただきたいと思います。
 ローマ人への手紙に関して、ある神学者がこう語っています。
 「聖書全体を指輪に例えるならば、ローマ人への手紙は指輪の宝石。そして、ローマ人への手紙八章はその輝きだ」。そのくらい、ローマ人への手紙と八章は、重要です。聖書一冊を凝縮する、壮大なテーマがここには込められています。

 聖書は、本当にすごい書物です。これは古文書のようであり、最も新しい書物でもあります。聖書によって、どのくらいの人たちの人生が変えられたのか、新しい人生に入ったのか、計り知れません。みなさんも聖書がなかったら、ここにはいないはずです。
 今日はギデオン協会の協力献金があります。ご協力をお願いいたします。ギデオン協会の方々はボランティアで働いておられます。本当に頭が下がる思いです。
 何十年も前から、この地域の高校や専門学校、病院とかに、神のみ言葉である聖書を贈呈しています。
 みなさんの中で、「私はかつてギデオン協会の聖書を、無料でもらったことがある」という人、スイッチオン!。ほとんどの方じゃないですか。誰が聖書のお金を出しているかというと、教会の協力があるのです。教会が献金しなかったら、地域に聖書贈呈ができなくなります。今週も東三河の中学校・高校とかに、聖書贈呈の働きがあるそうです。
 ギデオン協会の方々が、来てくださっているのですが、新城教会からも西村兄弟姉妹をはじめ、協力してくださっています。神のみ言葉が全世界を覆うように、協力しましょう。

 先ほども語りましたが、ローマ人への手紙は、そんな中でも、大変重要な位置を占めています。人類の救いだけでなく、救いは、被造物全体に及んでいるとローマ書八章は告げています。
 近頃、「福音とは何か」について語っているのですが、教会では福音という言葉を、よく使いますが、神は人類だけの救いを願っているわけではないのです。全宇宙、地球、自然、すべての生物、社会制度、被造物全体の回復が、聖書のテーマです。
 そんな中、人類とは、被造物の管理人として、重要なポジションを占めています。
 ある先生が、このように語られていました。
「聖書が語っている救いは、人間の幸福や安らぎのみの事柄ではない。神の救いの御業は、すべての被造物、自然にまで及ぶ」。
 実に神は、ご自分が造られたすべての被造物を愛しておられて、すべてをサタンの手から取り戻し輝くようにされたいのです。
 有名なキリスト教思想家、内村鑑三がこう語っています。
「人の救いとは、全宇宙と共に救われて、その全宇宙の主人公になることだ」。
人の救いは、全宇宙と共に救われる事であり、その主人公になる、ちょっと自己中心的な響きもありますが、管理人がまず救われなければ、全宇宙の救いにつながりません。人の救いは、被造物のすべてが救われるために重要です。

 しかし、悪魔はその真理を隠しています。救いは人だけに限定されているかのように隠しています。聖書に記されている真理を隠しているのです。
 けれども今は、終わりの時代なのでしょう。聖書の真理が明らかにされ、救いとは人だけに限定されるものではない、神は創造されたすべてを愛しておられ、救おうとされている、その鍵となるのが、人類であると告げています。
 救われて天国にいくだけが終わりではありません。救われたら、スタートラインについて、すべての被造物を管理し、福音を宣言する者にならなければいけないのです。

 福音とは良い知らせです。「―2017年―あなたは良いもので満たされます!」という、「良いもの」は、実に福音です。
 福音とは何か。福音とは宣言です。良い知らせの宣言、これこそ福音です。
 元々、福音という言葉は、古代ギリシャやローマで使われていた言葉です。「結婚式がありますよ!」とか、「お祝いがありますよ!」とか、「パーティーがありますよ!」と良い知らせを宣言すること自体が福音でした。
 クリスチャンになったら、良い知らせを宣言するのです。すべて、神の被造物に対して福音を宣言しなければいけないわけです。
 やがて主が帰って来られ、この地の王となられる時、すべてが解放されます。これが私たち被造物にとって、最も素晴らしい知らせであり、福音です。

 そんな中、私たちが圧倒的な勝利者、宇宙の主人公となるためには、一つの法則があるわけです。
 ローマ人への手紙八章十八節〜二十二節、

『今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現れを待ち望んでいるのです。それは、被造物が虚無に服したのが自分の意志ではなく、服従させた方によるのであって、望みがあるからです。被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由の中に入れられます。私たちは、被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしていることを知っています。』

 ここで人だけでなく、被造物も、苦しみの中でうめいていると告げています。今の地球環境、社会制度、政治・経済全てを見るなら、日々刻々、情勢は悪化しています。それが現代社会です。しかし人間だけじゃなく、被造物全体が病んでいます。うめき苦しんでいるのです。
 聖書が書かれたのは、今から二千年くらい前です。案外、私たちは、聖書を昨日書かれたような気で読んでしまうのですが、注意が必要です。二千年前ですから、日本の歴史と合わせたら、縄文時代です。
 地球に自然破壊が未だ進行していない、紀元一世紀頃に、パウロがこのテーマを主から教えられたのは、驚くべきことです。自然破壊とか、自然が苦しんでいるなんて、全く予想だにしない時代に、すでにこのテーマが与えたのはすごいです。今の時代なら分かりますが、全く自然も変化していない、今とは比べようもない豊かな時代に、すでに自然界も含んで産みの苦しみをしていると語られているわけです。
 以前にも、二十二節をリビングバイブルでご紹介しました。

『動物や植物のような自然界のものでさえ、このすばらしい日を待ち望みながら、病気や死の苦しみにうめいていることを、私たちは知っています。』

 どうにもならない病気が増えています。昔は、癌なんていう病気はなかったそうです。近代になって、環境変化や食べものとか、いろんな条件が重なって、こういう病気が一般化したわけです。昔は自然と調和して人間は生活していました。その時代に語られた言葉ですから、今の時代にとっては、更に重みが増しています。

 しかし神は、人だけでなく、被造物も含めて救ってあげますよ!というのが、聖書のメッセージです。そして私たちが、被造物も共に苦しんでいるという事を意識する時、圧倒的な勝利に向かうというのが、ローマ書八章のメッセージではないかと思うのです。
 先ほど読んだローマ書八章十九節に、

『被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現れを待ち望んでいるのです。』

と記されています。被造物は、神の子どもたちの現れを待ち望んでいるというのです。「神の子」とはイエス様です。しかし、「子どもたち」と、複数になっていますから、これはクリスチャンの事です。
 「人と共に被造物もうめいている!」と気づいたクリスチャンたちが現れるのを、被造物は、切に、待ち望んでいるというのです。
 神がすべてを造られましたから、命あるものは、神からいただいた命ですから、神とのなんらかのチャンネルを持っていると思われます。もちろん、人間とは違いますが、神から造られたものすべてにその機能があるはずです。
 被造物は、神の子どもたちの現れ、すなわち、被造物の叫び、苦しみに耳を傾けてくれるような人たちの現れを、切実な思いで待っているというのです。

 「切実な思い」を、ギリシャ語で、「アポカラドキア」と言うそうです。今日は午後から、サンデースクールがあります。是非、聖書をよく勉強していただきたいと思います。世界一の神学者、山崎ランサム先生が教えて下さいます。彼は世界一の神学者だと私は思っています。彼からしっかりと、手ほどきを受けていただきたいと思います。今日は、聖書の読み方を教えて下さいます。先生はギリシャ語も、ヘブル語も、英語も、日本語も、全て完璧にできる方ですから、下手なことは言えませんが、「切実な思い」とは、私が調べたところによると、「アポカラドキア」と言うそうです。
 そしてこの名詞は合成語だそうです。それは、「アポ」、何々から離して、「カラ」、頭、そして「ドケイン」、観察するという、三つの部分からなっていて、文字通り訳すと、「頭をまっすぐにのばして、観察すること」という意味になるそうです。
 「被造物は切実な思いで神の子どもたちの現れを待っている」とは、頭をまっすぐにのばして、そのような人たちが現れないかと、今か今かとひたすらに待っているというのです。こんな感じじゃないでしょうか。

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 被造物は、切に、神の子どもたちの現れを待っているのです。自分たちに福音を宣言してくれる、被造物の苦しみや叫びに耳を傾けてくれる役割に気づいた神の子どもたちが現れるのを、ひたすら待ち望んでいると言うのです。そんなこと、いままで全く考えたこともなかったです。

 でも、これは大きな真理だと思います。悪魔が最も隠したい領域ではないでしょうか。人が救われりゃそれで良し!この地球なんか焼けてなくなってしまえ!というのではなく、地球は、神が造られた創造物ですから、すべてを回復するのが、神の願いであるはずです。

 そして二十節には、

『それは、被造物が虚無に服したのが自分の意志ではなく、服従させた方によるのであって、望みがあるからです。』

と記されています。人間以外の被造物にも、病気があったり、苦しみがあったりすること自体、不思議なことです。罪を犯したのは人間ですから、人間だけが病気になるとか、問題があるならばまだしも、人間と同じように、動物や植物にも病気があるとは、これ如何にということです。
 昔、我が家でも犬を飼っていましたが、病気になって死んでいきました。ペットを飼っている方もおられると思いますが、ペットも人間と同じように病気になります。また、動物も、人間と同じ薬が効くみたいです。不思議だなと思います。
 自然界にも人間と同じ問題があるとは、どういうことでしょうか。

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 人は神に次ぐ存在として、被造物を管理する役割として造られたわけです。しかしながら、人間が罪を犯したことにより、神が人に管理させる為に足下に置いた諸天も、地も、被造物全体が、人と一緒に堕落したのです。親亀こけたら、子亀もこけたという感じです。全て神のみ前から落とされたわけです。
 しかし人が罪を犯す原因となったのが、「悪魔の指示に従った」ことで、諸天の中に住んでいた悪魔が、人間の上に立って支配を及ぼすようになったわけです。それが、今の世界です。

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 けれども神は、人を元々のポジションに戻そうされたわけです。神が人を造られた時、「神に次ぐ存在」として造られましたから、イエス様の十字架は、人を本来のポジションに戻すことに他ならないわけです。
 人間が元のポジションに戻されたら、人間と共に滅びた、被造物には回復の望みがあるのです。人以外の被造物は、自分の意志ではなくて、人の罪の結果として虚無に服してしまったわけですから、人が回復されたら、自分たちも共に回復されるわけです。親亀が立ち上がれば、子亀も立ち上がります。
 ゆえに、被造物たちは、神の子どもたちの現れを、首を長くして待っているわけです。

 今、私たちは、多くの人の救いのために働いています。一人でも滅びないために、リバイバルを求めて、伝道していますが、これは何のためかといったら、被造物全体の回復の為なのです。
 人が救われたら、それでよしではなくて、被造物の回復のために、福音を宣言して回る役割につく必要があるわけです。

 「虚無に服した」という、「虚無」は、「マタイオテース」というギリシャ語で、「目的がなくなること、結実がないこと」という意味だそうです。具体的には、アダムが罪を犯した時に、地にあるものも共に呪われたのです。
 被造物の希望は、私たちの救いにかかっているわけです。人が救いに預かり、神の子とされることが、被造物全体の希望となるのです。あなたが救われたことを、被造物全体が喜んでいるのです。「あんたが救われたから、私たちも救われる希望がある!」という感じです。
 今まで人類は、他の被造物とは一切関係がないかのような態度を取っていました。これは間違いです。私たちが救われたのは、被造物全体の回復の為であることを、理解しなければいけないのです。

 神は人をご自分の姿に似せて創造したとありますが、これはどういう意味でしょうか。それは、人を被造物全体を治める役割として造られたということと、人は被造物の長、頭として造られたというのが、ご自分に似た姿として人を造られたという意味だというのです。
 神はすべてを支配されるお方です。同時に人も、被造物を足下に置かれて、それを治める役割として造られたので、それはある意味、神の仕事と共通する存在です。それが、神が人をご自分に似たものとして造られたという意味だというのです。

 自然界を治める役割を与えられた人間が神に背くことによって、人の支配下にある自然界もまた、神ののろいの下に置かれてしまいました。しかし人が回復することによって、今度は足下に置かれている自然界の回復につながることを、聖書は教えているのです。

 先週、ある先生のメッセージを読んだら、こんなふうに語っておられました。
 「人類のうめき苦しみと、自然界のうめき苦しみはシンクロしている。人類の救いと、自然界の救いもシンクロしている」。
 シンクロって分かりますか?同期という意味です。私たちの救いと、自然界の救いは、同期しているというのです。また逆に、人間のうめきは、自然界のうめきでもあるのです。

 私たちが、圧倒的な勝利者となる条件が、ローマ書八章に記されています。その中で、最も重要なのが、人の苦しみとうめき、被造物全体のうめき、そして、聖霊様の深いうめきととりなしです。人のうめきと、聖霊のうめき・とりなしは、よく理解していると思います。けれども、それだけではなく、被造物全体のうめきがシンクロしていることに関しては、ほとんど考慮されていないと思われます。私なんか、全く考えていませんでした。しかしそこに心を寄せて、人の救いが、被造物全体の救いに関わることを知る時、「すべてが益となる」という、ローマ八章二十八節のみ言葉につながると信じます。

 時々、人生の中にも、辛いことがあったり、苦しいことがあったりして、「きっとこの事も益にしてくださる」という、信仰をクリスチャンなら持つと思います。しかし、そういう中でも、「被造物も共にうめき苦しんでいる」という項目を、仲間に入れるかといったら、ほとんど入れていないですよね。
 もしも、苦しみ、悲しみの中におられるならば、被造物も同じように、うめき苦しんでいるという現実と同期しなさいというのが、聖書のメッセージです。そうしたら、すべてが益となるのです。

 被造物の苦しみに耳を傾けるなんて、普段の生活では考えないかもしれません。しかし聖書は、そこに耳を傾けなさいと語っています。そうすれば、全てが益となるのです。
 さらに、すべてが益となることにプラスして、「神の右の座におられる主イエスのとりなし」について、ローマ書八章では語っています。
 ローマ書八章三十二節〜三十四節。

『私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。』

 人の苦しみ、被造物の苦しみ、聖霊のうめき・とりなしにより、すべてが益となる、続いて、イエス様が神の右の座について、とりなしてくださっているとパウロは述べています。ローマ書八章三十七節〜三十九節に、このように書かれています。

『しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。』

 一連の流れの中に、よみがえられたイエス様が、とりなしてくださっている現実を加えるとき、圧倒的な勝利者になると結ばれているわけです。
 ローマ人への手紙八章で、最も心にとめなければいけないのは、人も苦しんでいるけど、人と一緒に堕落させられた被造物も苦しんでいる!その事に心をとめるならば、「圧倒的な勝利者になる」と告げているわけです。
 被造物の管理人である、救われた神の子たちは、何をしなければいけないのか。諸天も被造物も、悪魔の支配下にあるわけですが、神の子どもたちはポジションが回復されているのですから、悪魔に立ち向かう必要があるのです。
 救われた者たちが、福音を宣言する時、悪魔・悪霊どもは打ち負かされて、諸天、被造物、すべてが回復していくのです。

 私たちは、神の子どもたちとしてのポジションを回復された者たちですから、福音を宣言するのです。すなわち被造物の上に覆いをかけている、敵の力に立ち向かい、暗闇に挑戦する働きをしなければなりません。

 救われた者たちはこのポジションで、被造物の回復のために、働いていかなければならないことを教えられます。同時に、今の時代、被造物全体のうめきに、耳を傾けなければいけないのです。

 先ほども語りましたが、この事柄は、今から二千年前、日本においては縄文時代、自然破壊も何もない時代に、パウロが主から示された事柄です。ある牧師が、
 「パウロが神学的に定義した自然の苦しみは、今や目に見える現実的な苦しみとなって現代社会に突きつけられている。」と語っていましたが、本当にそうです。

 ある意味、二千年前は、神学的テーマとして扱われたのかもしれません。周りを見たって、自然破壊とか、環境汚染なんて、全く関係なかったからです。被造物が苦しんでいる、と言われてもピンと来ない時代でした。
 しかし今やこのテーマは、目に見える現実的な苦しみとして、現代社会に突きつけられているわけです。

 では、この時代を生きる、神の子どもたちは何をしたら良いのか。それは、背後に働き、あるときは人を使って覆いをかける、悪魔の力に挑戦し、被造物の回復を宣言しなければいけないのです。

 何度も述べていますが、原発は日本に五十数基もありますが、本来、不必要なものです。以前にも話しましたが、核分裂とか、近頃は、核融合まで研究していますが、あのような危険なことをして、何を作り出そうとしているのかというと、ただの「水蒸気」です。水蒸気を作りたいだけなのです。水蒸気を作り出して、タービンを回して、電気を作る目的です。水蒸気を作りたければ、ストーブの上にやかんを載せておけば十分だと思うのですが、なぜ、危険なことまでして水蒸気を発生させるのでしょうか。安定した原子核が不安定になる時に、エネルギーを出すわけで、それを利用しようとしています。

 先週このテーマについて調べていたら、一人の牧師が、なかなか感動的なことを書いていました。
 「原発における核分裂エネルギーの利用とは、突き詰めれば、自然界に存在している原子に、人間が不自然な仕方で無理やり手を加えて不安定な状態にし、それがまた安定な原子に変わろうとする時に出すエネルギーを利用しようとするわざである。
 核分裂のエネルギー利用は、神の被造物の一つであるウランがうめくうめき、流す涙を人間がエネルギーとして利用しているようなものに思える。」
 深く考えさせられ、感動しました。

 神が創造した安定したものを、無理矢理、手を加えています。原子は「俺はこんなふうにはされたくないんだ!」と、涙をぽろぽろと流すというのです。その時にエネルギーが出て、それを人が利用しているわけです。普通はやってはいけないことです。
 でも、そういうことをやるから、不必要な中性子なんかも出て、結果的に人もうめくことになるのです。核融合の実験が近頃、岐阜県土岐市で始まったそうですが、必ず、問題が起きます。中性子は目に見えない弾丸みたいなもので、DNAを打ち抜いたりして、人も動物も、植物も病気になるわけです。

 人は、原子とか分子が涙を流しているとは考えません。しかし、その声に耳を傾け、その罪を悔い改める必要があるのです。教会はもっと、このような領域に、関心を持たなければいけないと思います。

 そう考えながら、周りの被造物に目を向け、被造物のうめきや苦しみに耳を傾けると、結構、多くの被造物が苦しんでいる事が分かります。

 新城市はかなり特殊な場所です。私は毎月、「霊的戦い専門課程」をやっているのですが、その実験場というか、標本になるような場所が新城市には多く揃っています。
 日本って、かつては大きく言えば二つの島だったのですが、ドッキングして今のような列島ができました。その事を、ご存じですか?
 元は別々の島だったという痕跡が、中央構造線です。

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 南と北では、地質学的に全く違うのです。二つの島がくっついて、今のようになったのです。
 今でも島々は動いています。ハワイなんかも、先週はザワメキが行ったらしいですが、日本に近づいているそうです。もう少し我慢すると、歩いてハワイに行ける時代が来るそうです。一億年くらい待たないといけないらしいですが。
 中央構造線が、どこを通っているかというと新城を通っているのです。新城教会の下あたりを通っているのではないかと思うのですが、ここから十分くらいの所に、中央構造線露頭部があるのです。

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 太平洋のほうから上がってきた島と、ユーラシア大陸側の島がガンッとぶつかったわけです。これはかつて日本に、最大の地震が起こった痕跡です。

 しかし中央構造線上に、日本の主要な神社や仏閣が多くあるのです。人々は中央構造線上に霊的なものを感じたのでしょう。人間は堕落しても元々、管理人ですから、なんらか、管理しなければならない感覚に捕らえられたのでしょう。しかし中央構造線上に悪霊どもを招いてしまったら、それは逆に、地のうめきにつながるのではないでしょうか。日本に地震が多いのも、もしかしたらそのような霊的側面があるのかもしれません。
 でもこのような現実を発見したらどうでしょう。中央構造線という、神が日本を創造された痕跡上に、偶像を多く作った罪を悔い改める神の子どもたちが現れたらどうでしょうか。やがて日本は、新しい天と新しい地が創造された時、復活します!と宣言するクリスチャンが現れたら、回復につながるはずです。
 このような事柄に興味がある方は、是非ともこのような場所で、とりなして祈っていただきたいのです。

 また、聖書はこう告げています。創世記で、カインとアベルが喧嘩をし、アベルが殺された時、四章十一節、

『今や、あなたはその土地にのろわれている。その土地は口を開いてあなたの手から、あなたの弟の血を受けた。』

 土地と人間は、なんらかの相関関係があります。なぜなら、神が人を土から造られたからです。それと関係していると思うのですが、聖書は、土地の上で罪を犯した場合、土地が呪われ、土地に血が流されると、逆に、土地から人は呪われるという相関関係を示唆しています。
 どの国の歴史も、土地の上で血を流す歴史の連続です。ゆえに、土地のうめきにつながると思われます。
 本来、土地とは、イエス様が帰って来られた時、新しい地として、神の国が建てられる場所であるはずです。その為の準備がなされている場所が、土地だと思います。
 しかし、その上で人が罪を犯し、血を流せば、その土地は本来の目的を失い、地のうめきに変わるのではないでしょうか。
 実に、新城市は、地のうめきが強い場所です。なぜなら、十六世紀に設楽原の戦いがあって、新城教会付近も血が流された場所だからです。一万六千人くらいが死んだといわれます。聖書の原則に従えば、ここに住むだけで、なんらかの影響を受けるのではないでしょうか。
 しかし管理人、神の子どもたちが現れて、福音を宣言するなら、この地を覆っている暗闇は打ち破られて、新しい天と新しい地が創造される準備がなされるのです。

 また、地がうめいているのは、血が流されることだけではなく、農作物全般にも言えます。
 私たちは、野菜をおいしいおいしいと食べていますが、現在、種のレベルから、まともな野菜は日本では売っていません。経済という中で悪霊どもが真剣に働いています。
 最も強力な悪魔・悪霊どもはどこで働いているのかというと、経済の領域だと思われます。私たちは経済活動の恩恵を受けていますが、経済の中に働く暗闇の力は巨大のです。

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 この写真を見てください。右側は全て枯れているでしょう。しかし、左のほうは青々としています。なぜ、左のほうは青々としていて、右側は枯れるのかというと、種が違うからです。
 作物を作り出すと雑草も伸びます。草を手で取るのは大変です。それで、除草剤をかけるわけです。ホームセンターなんかに行きますと、除草剤が売っています。一番有名なのがこれです。

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 ラウンドアップ。知っていますか。アメリカのモンサント社というのが作っているのですが、これかけたら、右のほうは全て枯れました。しかし左のほうは全く枯れませんでした。
 どうしてか知っていますか?実はこれ、モンサント社が出している、ラウンドアップ・レディーという種を蒔いたから、除草剤をかけても何の変化がなかったのです。こわいでしょう。種に細工がしてあるからこうなるわけです。
 本来、神はこんな種を人にくれたわけではないです。でも、どうして無理してこんな種を作るのですか?それは、儲かるからです。儲けのためなら人は、手を加えてはいけない遺伝子の領域にまで、手を加えます。

 このような現実により、地はうめいています。神の子たちがこれらを知ることが、地のうめきを感じることになります。この世界から抜け出すことはできませんが、現実を知ることが回復につながるのです。クリスチャンたちが、社会の現実をよく知って、自然界の回復を祈る時に、神が働いてくださるのです。

 話は変わりますが、今日もギデオン協会の献金があります。この働きも、みなさんのあたたかい献金によって支えられています。働きを継続するためにも、是非ともご協力していただきたいのですが、知らないうちに、私たちは多くの献金を企業にしています。
 みなさんが毎月、定期的に献金されている企業があるのですが、今、一番儲かっている企業は、どこだか知っていますか?それは移動体通信の会社です。携帯電話の会社に、多くの献金をされているはずです。みなさんは、一ヶ月、どのくらい支払っておられますか?
 私は昨年まで、だいたい一万二千円くらいかかっていました。私は海外に行ったり、電話も多いし、ネットも使うし、その位は普通だと思っていました。でも、ふっと気づきました。高いなぁって。ちょっとこの中に策略があるのではないかと思ったのです。
 実はいろいろあるのです。それで私はそこから解放されるように祈りました。そうしたら、今まで一万二千円だった携帯料金が、同じように使って、いくらになったと思います?二千六百円になりました。信じられますか?私の友人は千八百円になったそうです。どうしたら解放されるかのセミナーを、来月やりたいと思っています。企業にたっぷり献金するのをやめて、神様のために献げてくださいね。抜け出せないシステムがあるわけです。この頃、格安SIMというのがあり、それで安くなったわけですが。
 知らないうちに、捨てているようなお金が結構あると思うのです。こういうのも、ある意味、地のうめきにつながると思います。

 このように考えたら、私たちが住んでいる世界は、うめきだらけです。それに気づかないで生きているのが、おめでたいというか、気づかなければ永遠に縛られたままです。被造物のうめきを知って、とりなし祈る者にならなければならないのです。

 実は三月にネパールに行き、ネパールの山岳民族の人たちと出会い、彼らはお金も使っていないし、自給自足なのです。上手に自然を管理しています。ある意味、こういう人たちって、自然界管理のエキスパートだと思います。この人たちが救われて、自分たちのポジションを知るといいな、と思ったのですが、彼らは何千年も同じ山に住んでいます。
 私はネパールに何度も行き、毎回、その山に登るのですが、その山が地図上でどこなのか、全く考えてなかったのですが、近頃、Google earthの解像度が上がりまして、私たちがどこに行っていたのかが分かりました。

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 これを見てください。本当にうまく彼らは管理していて、自然破壊もせずに、自分たちの食糧も作っているし、何千年も自給自足で自然と共存しています。このような人たちは、本来、神が人に与えた使命を、ある意味、果たしている人たちだと思います。
 金融システムもありません。物々交換です。こういう所に住んでいる人が救われて管理人になることは、大事だと思いました。

 ネパールの山を見て、ふっと思い出したことがありました。実は、新城市内にも、何百年も前から、自然をうまくを管理している場所があるからです。新城市の山岳民族の方々というのでしょうか。

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 これを知ってますか?新城市四谷地区にある棚田です。本来は土石流で全く使えない土地だと思われます。私は昨日見に行って来たのですが、今はこんな感じです。千枚以上の田んぼがあります。
 この石垣、どこから石を拾って来て作ったのかと思いました。水をうまく逃がしながら、作物を作るのにも水を利用しています。
 ここの人たちは、あきらめずにこの場所を管理し続けたことにおいては、主の御心を果たしていると言えます。この地域の人たちが救われて、自分たちが長く管理させられた意味を知り、本来、人間にはこのような使命があったことに気づいたらどうでしょうか。ネパールの山岳民族の人たちと同じように、重要な鍵の人たちになります。しかしこのような所が、また、悪魔が抑える拠点にもなっています。
 ネパールもそうです。チェパン族の真北に、「マナスル」という山があります。ここは精霊の山と呼ばれる霊山です。チェパン族の人たちって、この真南に住んでいて、たぶん、この山を礼拝するために存在しているのではないかと思われます。だから、せっかく管理権があっても、正しく使えないのではないでしょうか。日本でも同じです。

 私たちが管理者であることを認めて、立ち上がる時、圧倒的な勝利者になる、これは、神の被造物全体に対して、圧倒的な管理者として君臨できることを意味します。すべての被造物は、神の子どもたちの現れを、首を長くして待っている現実を重く受け止めましょう。
 この事を知って、みなさんが一番興味を持っている所に行って、覆いをかけている悪魔の力を打ち破り、敵の手から奪い返す祈りをしていただきたいと思います。
 みなさんは悪魔や悪霊どもの上に立つ管理者です。諸天や被造物の上に支配権を行使できる存在です。悪魔・悪霊どもに、「おまえたちはそこにとどまることができない!出て行け!手を離せ!」と宣言して、自然界を管理する圧倒的な勝利者になっていただきたいと思います。

 今から聖餐式を行いますが、聖餐式は、「私たちは神の子どもたちです。圧倒的な勝利者です!」ということを、確認する時です。
 一言お祈りさせていただきます。

 ハレルヤ。天の父なる神様。御名をあがめて心から感謝をいたします。今日も主の前に出ることができて感謝いたします。被造物全体が神の子どもたちの現れを切実に待っていることを学びました。主よ、私たちが救われたのは、被造物全体の救いのためであることを感謝します。今日ここにおられる、全ての兄弟姉妹が、そのために用いられますように。被造物のうめきにも、人のうめきにも、心をとめて、聖霊様のとりなしの元、圧倒的な勝利者として働くことができますように。
 今ここに備えらた聖餐式を、心から感謝します。神のみ言葉と聖霊によって、パンとぶどうのジュースをいただきます。あなたと一つにしてください。よみがえりのイエス様と一つになることができますように。感謝をもって、イエス様の御名によって祈ります。アーメン。