HOME > メッセージ > メッセージ

「主は私の羊飼い」

2018年6月10(日)
新城教会牧師 滝元開
詩篇23篇1節〜6節

『主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。
主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。
主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。
たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。
あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。
私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。
まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。
私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。』

 今日は賛美礼拝ということで、みなさんと共に多くの賛美を主におささげすることができたことを本当に心から感謝します。全被造物も主に歌うようにとの思いを持って、礼拝がささげられているこをとても嬉しく思います。そんなすばらしいみことばの真理がこの終わりの時代にあらわされ、賛美の中でイエスさまの帰られる道を備える働きがされていることを覚えて、心から感謝いたします。

 今日はテーマが「主は私の羊飼い」というテーマでみことばを学んでいきたいと思います。詩篇二十三篇、みなさん何度も何度もお読みになられ、暗唱されている方もいらっしゃるほどの有名なみことばですが、今日はこのみことばを、主が特別に、この教会に与えてくださった一つのみことばだと私は確信して、今日ここに立たせていただいています。

 そのみことばを学ぶ前に、先週も少しお分かちさせていただきましたが、ザワメキインドの働きのために、みなさまのお祈りを本当に心から感謝します。
 今回は本当に激しい戦いがありました。それは、まずインドに降り立った時から、そしてインド北部の地までのぼって行く中で、すごく大きな戦いを感じましたが、戦いが進む中で目指す場所に到達する前に、主は勝利をくださったということを、すごく感じることができました。
 よく霊的戦いは「大切なのは準備だ!」と言われます。最終的な戦いまでのプロセスが大切であり、最後は勝利者イエスさまは変わらないので、その場に立って勝利を宣言するだけなので、それまでの過程がすごく大切なものだということを語られたことがありますが、今回インドの北部地区に私たちが遣わされる中で、デリからバスに乗って、本来なら十時間で着くところが、二十時間かかるという大旅となりましたが、でも本当にそれも主の許しの中、私たちに対する「この地の戦いはそんなに甘いものじゃないからしっかり戦いなさい!」と主が語ってくださったものだなとすごく感じています。
 でも今回、本当に祈りはきかれる!ということをとても強く感じました。この新城教会の兄弟姉妹をはじめ、世界中でこのために、一斉にワーっと祈りの手をあげて祈ってくださった中インドの戦いが進んでいきました。感謝でした。
 当の私たちは、最初はバスの悪徳業者に完全にやられた!と思いました。途中食事をしていた中、ドライバーが二時間くらいいなくなって、修理しているとか言っているけど、「これは甘かったな。やっちまったな」と思いました。トランクから何もかもすべて持っていかれたと思いました。同じ服で六日間過ごせばいいのかな、保険に入っていなかったかなぁとか、そんな余分なことを考えながらいました。結局ドライバーを発見して、運転は三時間後に再開することになるのですが、そんな時に私たちは一生懸命祈りつついる中、一緒に行った陽介さんもその現状を、順先生な娘さんである彼の奥さんに電話をしました。「えらいことになった。インドの戦いは半端じゃない。ちょっと非じゃないぞ!」と言いました。その電話を奥さんはどこで受け取ったかというと、順先生のご家庭で取ったらしいのです。それを横で順先生は聞いていて、「そうか!」それ以来、順先生の祈り手が動き出したというのです。激しく祈ってくださって、現地の私たちも、これはもうみなさんに祈ってもらうしかないなと思って、世界宣教のグループLINEに祈りの課題を配信させていただいたのです。すると、さらに順先生も一緒になって「祈ります!!」とラインをくださり、一生懸命祈ってくださって、インドまで、その熱いものを感じるのです。インドはその時、四十七度くらいあったのですが、それよりも熱い順先生のがーっという熱いものを感じました。順先生がLINEで「ハレルヤ!!」と書かれているのですが、ハレルヤの後ろにびっくりマーク、赤字で二つ付くのですが、「熱い!!」なんか不思議ですね。距離は離れていて、直接声を聞いたわけではないのですが、すごく熱さを感じました。
 そんな中、道中様々な戦いがあって、私たちもバスの中で歌いました。食うか食われるか、本当にコノヤロー!的な思いが…、悪い言葉を出しちゃいけないですが、そんな思いがある中で、もう歌うしなかい!
 そして歌い始めたのですが、この運転手大丈夫かな?という動きをたくさんしてくれました。今から行こうとする所、六百キロ先で、運転手一人で、最初は超ノロノロ運転なのです。このスピードで行ったらどう考えたって、六百キロといえば新城から仙台に行くほどの距離をこのスピードで!?私たちはいろいろな所に行くので、このスピードであそこまで行くと考えたら絶対に何時間もかかるなと分かるところを、気楽にふわ〜とやっているのです。グルという名前の運転手で悪徳業者がグルになって、彼は電話の指示を受けながら運転しているのですが、いや〜大変なことになったなと思って、でもみなさんにお祈りしていただきました。
 「今から私たち歌いますから、みなさんも歌ってください!」と、その時、地図をメールしました。「今ここにいます。あとこの先、十時間。」その時は十時間かかる表示されていましたが、結局十時間では着かなかったのですが、その地図をお送りして、「その地図にめがけて、インドに向かって歌ってください!」と送りました。
 そうしたら順先生から来たのが、「インドに天の大軍勢が送られるように祈りましょう!!」と、またびっくりマークが赤いのできました。そうしたらみなさん本当に歌ってくださいましたね。本当にありがとうございました。
 それから何か動き出したことを感じました。みなさんが世界中から祈ってください!というメールが入ったりして、そうしたらタコマの竹内先生、「ははは!」と笑われる先生が、「ははは!」という声が聞こえるかのようにメールが来たのが、「かなり敵は焦っているでしょう。狙い通りの戦いです。大勝利を信じてとりなします。」狙い通りってなんだろうな?そんなところ狙ってたの?でも本当にこの戦いの、私たちが遣わされようとした場所がいろんな霊的な根源みたいなところなので、やっぱり敵も焦って、そこで勝利を打ち立てられたらどうにもならないということで、一生懸命あの手この手でやったらしいですね。でも本当にみなさんの祈りによって動きました。
 後から聞いた話なのですが、順先生、ずっと祈りつづけておられた時に、「抜けた!」と、一瞬そう言ったそうです。別にやり取りしていたわけではないのに、「抜けた!」その時、現地でも抜けたのです。そして走り出して、明け方四時でしたが無事着いて、みなさんのお祈り、本当に一緒に戦ってくださっている、キリストのからだってこういうものだなということを本当に強く感じさせていただきました。

 ネパールでの戦いや様々な戦い、これからもありますし、今までもありましたが、決して誰かの働きではなくて、主ご自身の夢をかなえるための、この戦い、ひとつになって戦うということのすばらしさと麗しさを感じさせていただいたことを本当に心から感謝します。
 日本に帰って来て、いろんな方々が、「祈ってたよ!大丈夫?」と、あっちからこっちから言っていただいて、もちろんLINEとかメールとかされないお年寄りの方たちも、私が帰って来て中庭を歩いていたら、駆け寄って来て、「おぉ、開ちゃん、大丈夫かん?」と言ってくださるのです。こんなにも祈っていただいたんだという、そんな思いで心から感謝します。ある人は携帯に手を置いて「おー!主よ!」と祈ってくれたそうです。本当に重ね重ね、みなさんの祈りを心から感謝します。

 今回インドに行く前に与えられていたみことばの一つが、エレミヤ書六章四節〜五節のみことばでした。

『「シオンに向かって聖戦をふれよ。立て。われわれは真昼に上ろう。」「ああ、残念だ。日が傾いた。夕べの影も伸びる。」「立て。われわれは夜の間に上って、その宮殿を滅ぼそう。」』

 このみことばの通りに、私たち本来は夕方に着く予定だったのですが、夜の間に上って、朝四時に到着しました。そしてその場ですることは、「悪しき宮殿を滅ぼす」という働きを主がしてくださったなということを、本当に強く感じて、そしてそこでの祈り、とりなし、そして賛美、すごく平安のうちに、喜びのうちに、そこに主が共にいてくださいました。あとは私たちは本当に主を喜んで、主を見上げて、その悪しき宮殿を打ち砕くために勝利の宣言をするだけなのですが、神さまが本当にそのような大きな恵みの御業をなしてくださったことを覚えて、心から本当に感謝しています。

 今回与えられたみことばは、詩篇二三篇『主は私の羊飼い。』です。イエスさまが私たち一人ひとりの羊飼いであり、またこの教会の羊飼いであり、さらにリバイバルというこの働きを導いてくださる羊飼いであるわけです。
 時として、死の陰の谷を歩くような、これ以上進むことができないんじゃないかと思うようなこともあるのかもしれないですが、そのような中でも主は私たちと共にいてくださって、私たちを導いてくださっていることを覚えて心から感謝します。

 実は今回、このみことばが与えられて、このメッセージの準備をさせていただいたのですが、そうしたら一つ賛美が与えられました。
 賛美が与えられる時のことを常々言っていますように、主が降らしてくださるのをキャッチするという、その働きのみをさせていただいています。主がくださるものをキャッチして、主におささげし、そしてみなさんに分かち合っていただいて、共にリバイバルのために歌っていますが、メッセージのための準備を何気なく始めました。すると、すっと新しい賛美が降って来たのですが、でも準備していたので、「いや、本当かな?」と思って、そしてまた始めたのですが、また来るのです。
 主のみ手が動いたときというのは、私たちはそれを止めることができないというか、主ご自身が私たちに臨んでくださる時、それを私たち、拒まずに受け止めなかったらいけないなと思います。
 だから準備をしていて、早速ギターを持ちました。そして与えられたこのみことばからの賛美をすぐに口にしたのですが、本当に不思議です。神さまがくださるのは自分が作るものでもなんでもなくて、ただ主がくださったものを、その場所でキャッチする。ほんの五分くらいでしたが、こんな賛美が与えられました。歌いますので、お聞きください。


主は私の羊飼い 私は乏しいことがない
緑の牧場に伏させ 憩いの水のほとりへ
死の陰の谷を行くときも 主は共に歩まれる
敵の前で食事を整え 油を注がれる

まことにいのちの日の限り
いつくしみと恵みとが
私を追って来るでしょう
いつまでも主の家に
いつまでも住まいます


 主に拍手の賛美をおささげします。

 本当にこんなすばらしい賛美が主から与えられて、本当にこのみことばを主は私たち一人ひとりにくださっていると確信して、今日はここに立っています。
 様々な戦い、多くの激しい戦いがなされていって、五年ほど前からネパール宣教ツアーというのが始まって、ネパールに若い愛する兄弟姉妹と共に行って、そこで賛美して、戦って、歌って、祈るということだったのですが、それも本当にその悪しき者の宮殿のここぞ!という所に行って歌っています。ある意味すごく危ないというか、現実的にも霊的にもすごく大きな戦いを主は導いてくださっているわけですが、でも神さまがそんな中で本当に主が羊飼いで、私たち一人ひとりを導いてくださるから、これからも戦い続けなさいということが主からの今日のメッセージであると信じています。

 今回、インドに行って、インドにはインドにいっぱいの川があって、ガンジス川というのがヒンズー教徒にとって大切な川で、そこで沐浴したりします。
 ガンジス川の支流のほうに私たちは今回も行きました。そしてもう一つの支流がネパールにあって、ネパールのパシュパティナートという所があるのですが、その川原の片側に火葬場があります。人が焼かれているその映像をみなさんも何度もご覧になったことがあるかと思いますが、人々がそこで焼かれて、そして焼かれるだけでなくて、焼かれたその灰を川に流すのです。そしてその流されたものが下流へと、どんどん流れていくわけです。
 インドに行ってお腹を壊すとよく言われて、「水を飲んだらお腹壊れるよ。」そりゃぁ当たり前だろうなと、今回思いました。今回行った山の奥にも川があるのですが、その川の横には必ず火葬場があるのです。ここで人が焼かれて、流される。インド中の川という川の川原で、人を焼いて、そこで流すのです。その水を飲んでお腹を壊さないほうがおかしいんじゃないかな、そりゃぁお腹壊すだろうという、そんな現状を見ました。

 そこで地元のクリスチャンの方に聞きました。「バプテスマはどこで授けるんですか?」と聞いたら、『あの火葬場のちょっと下流ですね。』「えっ!そうなんですか!?焼ききれてないものが流れて来る下流ですよね」『あ、そう言われてみればそうですね。なんか流れてきたりする場所ですね。』と言うのでえすが、でもそんなことを言い出したら、そのまた上流でも焼いて流していますから、本当にすべてのものが生きるどころか、すべてのものが腐るというか、すべてのものを殺す働きを国をあげてされているわけです。でも主はその場所に本当のいのちの川が流れるように!ということで、私たちを導いてくださっていることを本当に心から感謝します。

 聖霊さまご自身が私たちと共に働いてくださらなかったら何もできないなと思うのですが、ヨハネの福音書三章八節にこんなみことばがあります。

『風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです。」』

と書かれています。
 「風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。」聖霊さまがどこに働かれるかって、私たちは分からないですが、でも私たちの信仰生活の中で、この瞬間!という、主が働かれる瞬間ってあるな!って思います。

 先週少し証しさせていただきましたが、私たちが最初にとりなしに上って行った場所は、宮殿の玉座と呼ばれる場所でした。世界に流れるひとつの宗教の源流という場所です。そこに行って私たちは賛美して祈るという目的で行ったのですが、ただその世界中から多くの人々が訪れる場所でで、そこで歌ったり賛美したり大声出して祈ったりということはできないので、私たちは本当に心からただ一生懸命に祈って心のうちで賛美しました。非常にセンシティブな場所なのです。
 そんな時に一人のインド人が私の所に近づいて来て、「あんたギター持っているんだから歌ってくれ。」と言い出しました。でもここで歌うべきではないと思っていたら、やはり横にいた地元のクリスチャンが、「お願いだから歌わないでくれ!歌うと大変なことになるから」と言うので、「はい、わかりました。」ということで、彼の熱烈なアピールには答えずに、その中を心の中でとりなして賛美しながらめぐりました。
 そして祈りが終わって、その玉座の前の広場の前には、とても立派な場所がありました。そこには警備員が二人と銃を持ったインド兵がおられました。私は何気なくそこに近づいて行きました。私は「日本から来ました。」という話をした時に、門衛がこう言いました。「君は何をしたいんだ?」と言ったのですが、その時、私の思いではなくて、私の口から、「歌いたいんだ。」と言いました。「世界をめぐって歌っている。」と言ったら、「そういうことなら歌えばいいじゃないか。」と言うのです。「え、ギター持ってるけど?」と言うと、「ギターを弾いてその場で歌いなさい。」と彼が言いました。あの時、本当に、自分ではなくて聖霊さまの風が通ることを感じました。悪しき宮殿の目の前、敵の真ん前で賛美をささげることができました。「主の愛が今」と「ダンシング」を賛美してきましたが、これもやっぱりみなさんの祈りの一つの結果で、勝利した祈りがそこに打ち立てられた瞬間であったなということを覚えて、本当に心から感謝します。
 すべての歩みが聖霊さまによって守られて、導かれていくことができればなとすごく思います。

 もう一つ私、今年の三月のネパールの宣教ツアーの時に主を感じた瞬間がありました。それはどこでかというと、カトマンズのパシュパティナート、その火葬場、ヒンズー教の寺院の総本山の前でのことなのですが、みんなで行って、今回本当にゆっくり賛美して、ずっとそこで祈りました。
 川の向こうでは人が焼かれていて、多くの人が泣いていて悲しみの場所なのです。そういった場所なので、そこで陽気に歌うのは場違いなので、ただ本当に静かにみんなで祈りながら、静かに賛美する中で、聖霊さまが、混沌としたあの場所に訪れてくださって、あの場所を支配しておられるように感じました。
 そして、私が聖霊さまを感じたのは、祈りが終わって帰ろうとした瞬間でした。一人のサドゥーがいました。サドゥーというのは、ヒンドゥー教徒の究極の修行僧なのですが、オレンジ色の袈裟をまとい、顔を人骨で白くしたり、人の灰に顔料を入れて色を塗るというような、そういった人たちなのですが、サドゥーはインドやネパールに何人くらいいるかというと、四百万から五百万いるそうです。そんな多くの人たちが、一生懸命、神を求めて修業するという動きをしているのですが、今回もそのインドに行って、地元のクリスチャンのご主人に聞いたら、「今回、私はネパールのカトマンズでサドゥーに会って…」という話をしたら、「ネパールのあそこにいるサドゥーは本物だ!」と、お金が欲しくてそういう格好をしているというサドゥーもあちこちにはいるらしいですが、「インドからのぼって修業して行った、そういうサドゥーだ!」と彼が断言していました。
 四年前、初めて二十四人の中高生と一緒ネパールに行った時に、二人のサドゥーがパシュパティナートの川岸にいて、その時、彼らの前で「勝利の宣言」を歌いました。最後に握手して帰ったという出来事があって、ある意味、見た目が見た目なだけにすごく衝撃的でした。
 そして何と、今回、四年ぶりに行ったら、なんと同じサドゥーの彼がいました。四年ぶりの再会でした。絶対に同じ彼だ!ちょっと写真を見ていただければと思いますが、左側が四年前の彼で、四年後の彼が右側です。

0004.jpg

 だいぶ歳を取ったなという感じでしたが、ぱっと見て、同じサドゥーがいる!と思って、私、彼の所に駆け寄って行って、なんか心めちゃくちゃ温かいのです。私の心の中が。聖霊さまの風が吹いたその瞬間でした。
 そして彼に言いました。「私のこと覚えてる?」と、できない英語を絞り出して言ったら、「うんうん」とか言っていたので、「じゃぁ歌うね。」と、そこで四年前に歌った「勝利の宣言」を歌いました。彼は、前回は結構冷めていたのですが、今回はしっかりして手拍子してくれました。「天も地も造らなかった神々は、地からもこれからの天の下からも滅びる!」という歌に対して同意してくれたので、いや〜本当に彼が救われるように!と本当に思いました。

0005.jpg

 日本語を分からないにしても、私は最後に彼の肩を持ちました。それで彼に、「おじちゃん、元気でね。わかった?イエスさまだよ。イエスさま!」と言って、彼は「マネー!マネー!」と言っていましたが、「イエスさま!イエスさまが救うんだから!」と、私の心の内から、あんな感情、どこから来たのか分からないですが、彼がいとおしいというか、本当にこの人救われてほしい!と、いつかこのサドゥーの格好のままでもいいからここに来て、「私はイエス・キリストを信じた!」と言ってほしいと思います。
 神さまご自身が持っておられるご計画、どこにあるのか分からないですが、聖霊さまの風が吹く、その瞬間というのがあるので、私たちその風を逃してはいけないなと思います。

 話は全然違うのですが、一昨日金曜日、雨がちょうど降り出した頃、夕方
教会の仕事を終えて帰ろうと思って、傘をさして帰りました。そうしたら私の目の前に高校生のカップルが雨に濡れて歩いていました。それで私は、ぱっと見たら、以前、レッツプレイズ、中高生の伝道会に来てくれた女の子だったので、私はせっかくだから声をかけようと思って、私は傘を持っている。彼ら二人は傘を持っていないから、こう言いました。「ねぇ!一緒に傘入る?三人で入ろうか?」と言いました。そうしたら何と言ったかと言ったら、「え、大丈夫です。」と言って、ある意味で断られたのですが、でも彼女は「あの人ね、教会の人でね。」と、拒否されたというより、でもなんか投げかけてよかったなと、私の中で思いました。「大丈夫です。」っていうのは今時の言葉、都合の良い言葉で、いやだよという意味も入ったりするのですが、でも「いやだよ」ではなかったのです。「大丈夫です。」「あ、そう、じゃぁ元気でね!ごきげんよう!」と言って帰りました。

 そして昨日はとりなし登山があって、とりなし登山のはずだったんですが、この地域を歩きました。十二キロ歩きました。暑かったので、本当に日焼けして、みんなふーふーはーはーで、帰って来たのが二時半くらいでした。それで教会の前に座って、私はたまたま十本入りのアイスキャンディーをその前日に買ってあったので、これをみんなで食べよう!と思って持って来て、カルピス味のアイスキャンディーを「みんなで食べよう!」と配りました。八人だったので八本みんなで食べて、めっちゃくちゃ美味しかったのです。美味しく食べて、あと二本あるから誰が食べるかなと思ったら、ふと見たら、高校生が二人、新東生が二人、歩いて来ました。これは今だ!と思って、彼らの所に行って、「ねぇ、アイス食べる?」と言ったら、「ありがとう!いいんですか?マジで!」と言って、彼ら食べて帰ってくれました。
 いつか苦しい時、「そういえばあの教会の前でアイスもらったな。あの十字架をもう一度見上げてみよう!」というような時が来るのかもしれないなと、そんなことを思ったのですが、時が良くても悪くても、私たちに与えられたそれぞれの機会というのがあるので、その機会を十分に用いて、主のために働き続けていきたいなと思います。

 今回のこの詩篇二十三篇が与えられたのが、実は五月五日の朝、四十八時間の賛美集会が行われている、そんなまっただ中で主が与えてくださいました。
 私ごとなのですが、五月五日というのは結婚記念日です。今年で三十二周年、いや〜イエス様守ってくださったなぁと思って、朝起きてみことばを読んでいたら、私に語られたみことばが詩篇二十三篇でした。「あぁそっか、このみことばか。」と思いました。あまりにも有名なみことばだったので、でも主が私の羊飼いで導いてくださるんだなと思って、そして四十八時間の賛美集会にまた戻って来て、賛美していて、ふと、とっても大切なことを思い出しました。
 そうだ!このみことば、私たちにとって、とっても大切なみことばだな!と思いました。それはどうしてかというと、三十二年前に結婚式をする時に、引き出物を来てくださった方々に差し上げるということをしたのですが、その時に、私の兄のデザイナー、ムウさんに絵を描いてもらいました。私、結婚前、兄の所に行ってこう言いました。「今回の引き出物をムウさんの絵にしたいんだけど、もしできれば詩篇二十三篇をテーマに二頭の羊が草原で草を食んでいるような、そんな絵を描いてくれない?」と言ったら描いてくれました。その絵がこれなのです。

0006.jpg

 この絵を彼が描いてくれて、とても良い絵をくださったなという思い出の一品というか、一作なのですが、ただこの絵には大きなストーリーがあります。
 その夏のことだと思うのですが、今は亡き父母が今の天皇皇后にお招き頂いて軽井沢に会いに行きました。その時のプレゼント、何にしよう?と考えて、この絵にしました。その絵を持って行って、天皇皇后に差し上げました。すると特に美智子皇后が、すごくその絵を気に入ってくださって、「これ素晴らしい!」と受け取ってくださいました。それからその後になんと、宮内庁から電話がありました。「皇后様がすごく気に入って、皇后様のお友達にそれを差し上げたいから、送ってもらうことができますか?」ということで、ムウさんがその絵を宮内庁にお送りして、天皇皇后も持っている絵の一つが先ほどの絵なのです。ですから本当にすごく意味のある絵だなと思っています。
 そうしたら宮内庁から「お礼に」ということで、風呂敷みたいなのが送られて来たのですが、うちの父はその風呂敷の価値とかあまり分かっていなかったのか、どうなのか知りませんが、玄関に画鋲でびしっと刺して飾ってありました。いつしか、きっと何か包んで、弁当の風呂敷になったのか知りませんが、普通なら額に入れるのが日本人だと思うのですが、父は画鋲で刺しました。昔、何でも釘を打つというクセがありまして、さすがに釘ではなかったですが、画鋲に刺されていました。
 でも、リバイバルの働きというのを明牧師はリバイバルの働きを求めて戦い続けてきて、リバイバルはこの国の土台、根源を勝ち取る!と言って、ずっと戦い続けてきました。日本のリバイバルのためには天皇皇后も救われるようにと。この日本の悪しき土台、偽りの土台が崩されてひっくり返るようなリバイバルが起こされるように!と、それを目指して戦い続けてきたわけですが、今その戦いがこの日本のみならず、アジアと全世界に広がっていて、主は私たちをさらに、その戦いのただ中に導いてくださっていることを覚えて、心から感謝しなかったらいけないなということを思っています。
 ですから私たち、主の時を掴んで、この主ご自身が私たちの戦いを導いてくださる私たちの羊飼いですから、私たち、いつでも主と共に歩む、そんな歩みをさせていただきたいと心から願っています。
 今、特に主は賛美に焦点を当ててくださって、賛美を通して全世界が変わるために歌いなさいとおっしゃってくださっています。ぜひそのことを信じて歌い続けていただきたいと思います。

 ネパール宣教ツアーの時に、詩篇百十九篇の中から、『日に七度、私は主をほめたたえます。』というみことばで、一日七回賛美するということをさせていただきました。本当にあの時も祝福されました。朝起きた瞬間に賛美をして、朝食の前に賛美して、そして朝十時に賛美して、そして昼食の前に賛美して、夕方四時に賛美して、そして夕飯の前に賛美して、寝る前に賛美の七回、賛美しました。本当にあの賛美もすごく用いられたな!主が祝し導いてくださったなということを感じました。

 また四月には賛美ウィークというのがあって、一週間ずっと賛美集会をしました。遠方の方で出られなかった方々、たくさんいらっしゃいますが、すごく祝福されました。毎日賛美する。こんなに天が開かれるものか!というか、主ご自身が喜んでそこに来てくださることを感じました。そしてその後、四十八時間の連鎖賛美、それも本当に祝福されて、今回も人が集まるのかな?どうなのかな?と、少しだけ不安があったのですが、多くの人が来てくださって、四十八時間、人が絶えずにここでいっぱい主に賛美することができました。ぜひ、これから主への賛美をささげ続けていただきたいと思います。

 今日の週報に書かれているのですが、七月は賛美月間になります。三十一日間、毎日、賛美集会がスタジオにおいて夜八時から一時間ありますので、ぜひみなさんお越しになっていただいて、賛美していただければと思います。来ることができない方は、その時間に合わせて賛美していただければと思います。
 被造物が歌う。神さまが与えてくださった、その使命をまっとうしなかったらいけないのですが、私たち歌う時に、おぉ主よ!助けてください!という歌ももちろん大切だと思うのですが、心からの主への賛美と共に、この地が歌うように!という、その信仰を持って歌うことってすごく大切です。

 私は時々、ザワメキのセミナーで以前よく話していたことがあるのですが、歌はどこに向かって歌うのか?だいたいよく声楽家の方々が「大きなホールだと、一番後ろの人に向かって歌うように歌いなさい。」とおっしゃることが多いと思うのですが、私の中では違うのです。二十数年前から同じことを言っていたのですが、賛美はこの地を貫く、そのような賛美でなかったらいけない。だから主に、ハレルヤ!と歌ったら、ハレルヤが地球を貫いて、地球を一周して私の頭の後ろにぼんっと当たるくらいの、そんな賛美をささげられたらなと本当に思っていたのですが、でも主は最近、それだけじゃなくて、もう宇宙を貫くほど、賛美にある力を解き放ちなさいということをおっしゃっていますので、そんな賛美をぜひささげていただきたいと思います。

 マタイの福音書十章十六節、

『いいですか。わたしが、あなたがたを遣わすのは、狼の中に羊を送り出すようなものです。ですから、蛇のようにさとく、鳩のようにすなおでありなさい。』

と書かれています。
 イエスさまが福音宣教という働きを私たちに託してくださって、お遣わしになってくださるわけですが、それは狼の中に羊を送るような、そんな働きだと、それほどに大きな戦いを伴うものが宣教の働き、リバイバルの戦いだということですので、主が私たちの羊飼いですので、どのような中でも歌い続けていただければと思います。

 インドから帰って、私は次の日にこの地を歩いて、本当に感謝して散歩をしました。夜だったのですが、散歩をしていって、教会の前に来たら、教会で夜はライトが照らされているのですが、よくそのライトで十字架が雲に投影されることがあるのですが、今回は違いました。

0007.jpg

 十字架から一本上に伸びている、そんな光があって、イエスさまご自身が本当に天を開いて、主ご自身がこの地に来てくださるということが始まろうとしている時かなと思いました。マタイの福音書一章五十一節のみことばをお読みしたいと思います。

『そして言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。天が開けて、神の御使いたちが人の子の上を上り下りするのを、あなたがたはいまに見ます。」』

 天の軍勢が上り下りする。今、あの写真を見て、その光、細すぎでしょ!と思った人、たくさんいるかもしれないのですが、でもみなさん一人ひとりの天が開かれて、そこに天の軍勢が上り下りするとイエスさまはおっしゃっていますから、その根源に主の勝利が打ち立てられて、悪しき宮殿が打ち破られた、そのしるしとして、私たちの生活のただ中にこれから主の業がなされると、そのことを信じて、歩み続けていただきたいと心から願います。主は私たちの羊飼い。私たちは乏しいことがなく、主はいつも守ってくださって、そしてまた私たちの人生に主の恵みといつくしみが私たちを追ってくる。それが私たちの人生、それが主のくださるものです。霊的戦い、苦しいから私は戦うことができないではなくて、主が遣わしてくださるのは羊を狼の中に遣わすようなことだと。イエスさまはその戦いの激しさも知っていますが、その羊飼いはイエスさまご自身で私たちを守ってくださいますので、その方と共に歩み続けていくことができればと願います。ひとことお祈りします。

 ハレルヤ、愛する天のお父様、あなたのすばらしいみ名をあがめて、心から感謝します。今日こうしてあなたを賛美し、あなたを礼拝する、このようなすばらしい恵みの時を主が与えてくださったことを覚えて心から感謝します。この新城における、このリバイバルへの戦い、あなたが日々導いてくださっていることを本当に心から感謝します。そのような中で主が私たち一人ひとりの羊飼いとなって、私たちを守り導き続けてくださっていることを覚えて心から感謝します。もう一度主よ、私たちのすべてをあなたにおささげします。どうぞ聖霊さま、あなたご自身のみ声に聞き、歩み続けることのできる、そのような歩みをすることができるように助けてください。主が導いてくださいますようにお願いいたします。どうぞ主よ、私たちの羊飼いである主よ、あなたが私たちを遣わす場所に遣わされていくことができるように助けてください。それぞれの家庭において、地域において、学校において、職場において、あなたの持っておられるご計画を私たちはそれをまっとうすることができるように助けてください。私たち一人ひとりの天を開いてください。天の軍勢が上り下りするのを見ることができますように。そのような祝福をこれからの人生で見ることができるように助けてください。主よ、お願いいたします。あなたの業を表してくださいますように。尊き主イエス・キリストのみ名によってお祈りします。アーメン。

 お見せするはずの写真、ちょっとお見せしそびれたので、いいですか。

0003.jpg

 これはチベットの霊山の一つに、標高三千メートルの所に上がったのですが、そこは本当に緑の牧場のようでした。そこで賛美して、勝利を宣言して、歌い終わったら、どこからともなく山羊と、その中に羊が混じっている感じですが、来て、本当に感動の一瞬でした。踊り出したくなるような喜びの時でしたが、こんな恵みを主はしるしとして表してくださいました。

0002.jpg

 そして最後の最後、雲に隠れて見えなかったヒマラヤが姿を現したのです。私たちのこの後ろにそびえ立つのがヒマラヤ。この山々に座する悪しき力が打ち砕かれるように!という、その願いとともに行きましたが、主がこんなにはっきりと印をお与えくださり、大きな恵みを与えてくださったことを覚えて心から感謝します。
 今、すべての栄光を主に拍手を持っておささげしたいと思います。