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「神の栄光をほめたたえる者となる」

2017年1月15(日)
新城教会牧師 岡本信弘
エペソ人への手紙一章十一〜十二節

『私たちは彼にあって御国を受け継ぐ者ともなったのです。私たちは、みこころによりご計画のままをみな実現される方の目的に従って、このようにあらかじめ定められていたのです。それは、前からキリストに望みをおいていた私たちが、神の栄光をほめたたえる者となるためです。』

 ハレルヤ! 主の御名を心から賛美します。
こうして共に礼拝を持つことができることを心から感謝します。今日は雪で来られなかった方もおられるようですが、インターネット礼拝をされていると思います。皆に同じ恵み、祝福が与えられますよう心から願います。

 皆さんにお祈りいただき、私は昨年一年間、一日も休むことなく健康で主の奉仕をさせていただくことができました。
 私が責任を持っているプレイズ出版の働きは、印刷・出版、ヘブンズカフェ、雲の柱、ノブズ、アークホーム、しおん、シャロームの七つの部門を展開していますが、そのすべての部門が皆さんのお祈りによって支えられ、守られていることを感謝いたします。
 サービス付き高齢者住宅であるアークホームには十三部屋がありますが、昨年十二月に二名の方が退去されて空室になってしまったので、「困ったな、広告でも出そうかな」と思って祈っていた時、不思議と何人かの方から「見学したいのですが」と問い合わせがありました。スタッフから、「どこかに募集の広告を出したのですか?」と聞かれましたが、何もしていないのに神様が人を送ってくださり、年末に一人、今月末に一人入居されることになり、空き部屋になることなく、短期間に満床にしていただいたことを感謝します。
 レストランも祝福され、二年半が過ぎました。始めた一年目の年末には、お客さまは来ないだろうと考え、営業を早めに切り上げたのですが、昨年末は予約の問い合わせをいただいたこともあって、三十一日のランチまで営業し、多くのお客さまに来ていただきました。

 私は昨年八月で六十歳になりました。まだまだ老け込むつもりはありませんが、先週の成人式に大勢の人(今年は特に多かったように思います)が前に出ている姿を見て、「二十歳ということは、私の三分の一だなぁ〜。私も歳をとったなぁ~」と思いました。半面、甲子園時代(二十四年前になりました)を知らない若者たちがりっぱに成長していると感じて、頼もしい限りでした。

 私はよく、「先生、今週の予定はどうですか?」と聞かれるのですが、予定表には特に何も入っていなくても、その日、その時々に、あちらこちらから呼ばれて、何かしらの仕事が常にあり、毎日追われているような一年でした。
 しかし、今年の正月明けは、家内と娘と三人で旅行に行ってきました。私にいちばん似合わない、温泉にのんびり入り、と言っても私は二、三分しか風呂にはつかっていませんでしたが(笑)、美味しい食事を食べてきました。
 帰ってから取引先の担当者から電話があり、「連絡がつかなかったけど、どこかに行っていたの?」と言われ、「家族旅行に行っていました」と言うと「岡本さんとは十数年の付き合いがあるけど、プライベートで旅行に行ったという話は今まで聞いたことがない」と言われ、ふと考えてみると、仕事抜きで旅行に行ったのは、この数十年初めてだと気づきました。飛行機に乗ったのも、三年前にタイのミッションに行ったとき以来でした。
 仕事もせずにぼんやりと過ごすのもたまにはいいかもしれませんし、孫の相手をして遊ぶのも楽しいですけど、休暇や孫と仕事、どちらかを選択しろと言われれば、忙しい仕事を選択したいと思っているような者です。

 先日の礼拝では、『主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな』という詩篇のみ言葉から語られました。昨年を振り返ると、私もたくさんの恵みをいただき感謝の一年でしたが、二〇一七年は、神様の恵みにお返しのできるような働きをしたいと思わされています。

 カウントダウンの時にも語らせていただきましたが、私が二〇一七年に対して与えられているのがエペソ人への手紙一章十一〜十二節です。ここから、もう少し掘り下げてお話したいと思います。

『私たちは彼にあって御国を受け継ぐ者ともなったのです。私たちは、みこころによりご計画のままをみな実現される方の目的に従って、このようにあらかじめ定められていたのです。それは、前からキリストに望みをおいていた私たちが、神の栄光をほめたたえる者となるためです。』

 私たちクリスチャン人生の目的のひとつは、神の栄光をほめたたえる者となるということです。そのためにはまず、神様を信頼し、神の計画に従うことが重要です。
皆さんがいちばん信頼できる人は誰ですか? 私の生涯の中で最も尊敬し信頼してきたひとりは、今は亡き滝元明先生です。また、家族であり兄弟です。信頼して相談するには、信頼に足る裏付けが必要です。中には、信頼していた友人に裏切られて誰も信じることができなくなった、と言われる方もおられるかもしれません。人は時に裏切ります。尊敬している人であっても、いつかはあなたの前からいなくなるでしょうし、誰もすべての相談に解決を与えてくれるわけでもありません。人は変わりますし、人間の力には限りがあるからです。しかし、み言葉は変わることがありません。

 ゼカリヤ書四章六節にはこのように書かれています。

『すると彼は、私に答えてこう言った。「これは、ゼルバベルへの主のことばだ。『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって。』と万軍の主は仰せられる。」』

私は困った時に、「愛するイエス様、今この問題で困っています。これからの道を教えてください。人間の知恵や思いや考えではなく、人の力や権力ではなく、神の御心を悟り、神の計画が動きますように」と、ただ神様ご自身の霊によって導いていただけるよう祈るようにしています。

今日読んでいただいたエペソ人への手紙一章十一節では、『私たちは彼にあって御国を受け継ぐ者となった。』とあります。
 この箇所の少し前、同一章四節を見ますと、
『すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。』とあります。この世界の始まる前から、私たちを選んでくださっていたのです。
皆さんのよくご存じのこのみ言葉も選びを表しています。

『しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。』(ヨハネの福音書一章十二節)

 神様を救い主と信じ受け入れた者には、神様の子どもとされる特権が与えられているというのです。天の御国を相続できる者とされたということです。
今から四千年ほど前、神はアブラハムを選び、「あなたの子孫によってあなたは祝福される」と言い、約束どおりにアブラハムに大きな祝福をもたらしました。アブラハムを祝福してくださった神は、今も同じように、私たち一人ひとりを神の相続人としてくださり、どんな苦しい時にもどんな問題の時にも、「わたしがあなたと共にいる」と語ってくださいます。そして「神の子どもとされたのだから、安心していなさい」と励ましてくださるのです。ですから、神様の約束をしっかりと心にとどめていきたいと思います。

 今、世界で最も財産を持っている人は誰か知っていますか? 皆さんもきっと名前は聞いたことがあると思います。知っているといっても、私も会ったことはないですが(笑)。それは、アメリカのコンピューター会社、マイクロソフトの社長ビル・ゲイツで、資産は八兆円だそうです。八兆円と言われても、八兆円がどの程度なのか見当もつきません。日本人で一番の財産家は、ファーストリテーリング社長の柳さんで、資産は一兆六千億円だそうです。ファーストリテーリングといってもピンとこない人がいるかもしれませんが、ユニクロの経営者と言えばおわかりだと思います。そんな大金を持ったら人生変わるだろうなと思います。世間では、多くの財産を持っていた一家の主が亡くなったことで、今まで仲の良かった家族や兄弟が相続問題で骨肉の争いが起き、バラバラになってしまった話を時々耳にします。私にはもちろん縁のない話ですが。
今も裕福というわけではありませんが、昔、我が家は貧乏だったようです(私は貧乏だったという意識はありませんでしたが・・・)。それでも、細々とやっていた商売がだんだんと祝福され、少しずつ家も安定してきました。私は財産を相続するということは考えたこともありませんでしたが、私が家を建てる時、今住んでいる場所の土地を父が私に与えてくれたことは、本当に感謝なことでした。私が子どもたちに残してやれるのも、今の土地と建物以外は何もありません。しかし私たちクリスチャンは、今手にしている財産ではなく、み言葉にあるように、この世のものとは比べることのできないほどの祝福、天の御国を相続しているのです。それは素晴らしいことです。
私たちは、またこの教会が、これから後の世代に何が残せるでしょう。重要なことは、物をどれだけ残すかではありません。あくまでも神様に寄り頼むという信仰が私たちにとって大きな財産であり、その継承が何よりも大切なことだと思います。

 さて、私たちが相続している、私たちがいずれ入ることになる天国とは、どんなところでしょうか。皆さんは家を建てる時に、地域や環境、広さ、使いやすさ、予算など、いろいろなことを検討するでしょう。でもどんな建物を建てるかよりも、その家に誰とどのように過ごすかのほうが重要だと思いますが・・・。
 聖書には、天国に関する記事がたくさんあります。
 マタイの福音書十三章四十四節には『天の御国は、畑に隠された宝のようなものです。』とあります。何の変哲もない畑で、何もないように見えるけれども、よく探してみると、金貨や宝石のような宝物が隠されているようなものだというのです。そして私たちはそれを探し当てた者なのです。

 人は幸せを感じる時、「天国のようだ」と表現することがあります。たとえば主婦の方は、のんびりと温泉につかり、家事一切から解放されて美味しい料理をいただき、ゆっくり過ごせたら天国のような気分だと言うかもしれません。
 「天国」という表現は、キリスト教独特の言葉のようです。ネットで調べてみると『天国とは、神の愛と祝福からなる超自然的な幸福の場所。およびキリストが昇天した栄光の座を指す。天国は、天と地と水の三つの空間における、神の支配領域および天使たちの住処でもある。メシアを王とし、終末に神によって建てられる王国と見なされるようになった』とありました。
 聖書には、天国について何と書かれているでしょう。ヨハネの黙示録に、天国がどのようなところかというのではなく、「天国にはないもの」について書かれているところがあります。
 ひとつは、天国には「海がない」とあります。地球の大半は、海でできていますし、海があることによって大気が保たれバランスがとれています。一方で、海があることによって津波があり、いろいろな怖さもあります。天国には、そのような危険がないということです。
 次に、天国には「死がない」とあります。初めに造られた人間アダムとエバは、最初は死なない者であったわけですが、罪が入ったことにより、人類は死の恐怖の奴隷となりました。しかし、神のひとり子イエス様が十字架にかかり、私たちの罪のために死んでくださり、人類の誰もが打ち破ることができなかった死の力を打ち破ったことによって、私たちは永遠のいのちを獲得することができます。ですから、天国においては死がないということです。
 そして、天国には「悲しみ、叫び、苦しみもない」と書かれています。当然のことですが、私たちはこの地上に住む間、さまざまな悩みがあり、悲しみがあり、苦しみがあります。世界には、飢えている人、嘆いている人、悲しんでいる人が多くいます。日本では、毎年、自殺をする人も多くいます。しかし、イエス様が十字架にかかって死んでくださり、そのような苦しみを背負ってくださったゆえに天国には、悲しみ、叫び、苦しみがないのです。
 また、『もはや、のろわれるものは何もない』(黙示録二十二章三節)とあります。人類に「のろわれるもの」が入ってきたのも、やはり人間の罪の結果なのです。女性には、生みの苦しみが増し、男性は、苦しんで食を得なければならなくなったとありますが、天国ではもはやそれらすべてがなく、『神の御顔を仰ぎ見て過ごす』(同四節)ことができるのです。
 さらに天国には「夜がない」とあります。「夜がないのか〜。眠れないのは疲れるな〜」(笑)と思う人があるかもしれませんが、夜は、暗やみを象徴しています。神様が、やみを照らす光となってくださったことにより、私たちは、天国で光の中に住むことができるのです。

 天国がどんなところかを聖書から見てきましたが、何があるかということよりも、そこに父なる神様と子なるイエス様がおられ、愛する神様と一緒に住むことができる、それこそが天国に行く最大の素晴らしさであり、最高の喜びだと思います。

 パウロは、『私たちの国籍は天にあります。』(ピリピ人への手紙三章二十節)と言い、イエス様を信じた私たちは、天に国籍が与えられていると教えています。ここにいる方の多くは、日本の国籍を持っておられると思いますが、それと同時に天国の国籍が与えられているのです。

 さらに黙示録二十一章十一〜二十一節を見ると、天国の様子が記されています。

 『都には栄光があった。・・・都は四角で、その長さと幅は同じである。彼がそのさおで都を測ると、一万二千スタディオンあった。長さも幅も高さも同じである。また、彼がその城壁を測ると、人間の尺度で百四十四ペーキュスあった。・・・都の大通りは透き通ったガラスのような純金であった。』

 百四十四ペーキュスを計算すると、約二千二百二十キロです。都の城壁の土台は十二種類の宝石でできていて、十二の門は十二の真珠であり、通りは純金であったとあります。そして、その門は『一日中決して閉じることがない』のです。
 読むだけではとても想像もつきませんが、素晴らしいところだということはわかります。この二〇一七年、天国を受け継ぐ者とされた私たちは、さらに主に信頼して、主に従ってまいりましょう。

 そしてもうひとつ、あなたが神様の計画を遂行する実行部隊ということを是非覚えていただきたいと思います。先ほど、私たちは「神に選ばれた者である」とお話しましたが、選ばれたのには選ばれたなりの目的があります。
十一節の後半に、『私たちは、みこころによりご計画のままをみな実現される方の目的に従って、このようにあらかじめ定められていたのです。』とあり、神様は無計画にあなたを選んだのではなく、みこころにより神のご計画を実現するために私たちを「特定して」選んだのです。この御言葉は、いろんな表現で聖書に書かれていますが、私たちが「特定され選ばれた」ということは、すごいことであり恵みでありますが、責任も伴います。

皆さんは、これからの人生にどんな計画を持っていますか。私は今までに、教会、ミッション、プレイズ出版において、さまざまな計画を立てる役割を担ってきました。と言っても、私が先んじて計画を立てるというより、誰かがビジョンを掲げ、そのビジョンから計画書を作成するような役目を担っているように感じます。
 私が献身して三十五年たち、プレイズ出版を始めてからは二十六年が過ぎました。さらに神様の働きを拡大したいと願い、一昨年に新たな事業を立ち上げました。その際、いろいろなことを想定して計画を立て、専門家にも意見を聞きました。大事業ですから十分な検討が必要です。しかし、どんなに素晴らしい計画でも、自分の名誉や欲や自分の考えが最優先されたら成功しません。重要なことは、神様に相談することであり、それが神様の計画でなければならないということです。『密議をこらさなければ、計画は破れ、多くの助言者によって、成功する。』(箴言十五章二十二節)とあるとおりです。
 今までいろいろなことをさせていただいてきましたが、「このままではまだ終われない」と思っています。今も新しいことを考え、祈っています。これからのことがすべて神様のみこころどおりに進んでいくように、是非お祈りいただければと思います。

 私は新城教会の働きやミッションの働きをさせていただいてきた中で、神様の計画は、私たちの想像をはるかに超えたところあると思わされてきました。
 今から二十四年前に行われた甲子園ミッションの時もそうでした。誰が考えても勝算がないと思われる、とんでもないプロジェクトでした。ここにいる皆さんの中で甲子園ミッションに行った方はどのくらいいますか? 半分もいないですよね。
 誰がやりたいと言ったか皆さんも聞いたことがあると思いますが、一麦西宮教会の女性牧師 下條先生です。そして誰がやると言ったかというと、滝元明先生ですね。「よく、やると言えたなぁ」という感じです。しかし、人から見たらとんでもない計画であっても、これは紛れもなく神様の計画であったと、多くの人が後から気づくことになるのです。

 当時を振り返ると、それは苦難の連続でした。これは神様の計画だからと簡単に受け取れることではありませんでした。それまで経験したことのない霊的戦いが始まり、教会にさまざまな問題が起こり、多くの人がこの教会から出て行きました。この教会のみならず、私たちの属していた教団や、全国の教団、教派を巻き込んで、大きな問題に発展しました。戦いの中で、時にサタンに攻め込まれ、劣勢に立たされたこともしばしばありました。しかしその時、神様が確かに働いてくださったのです。

『わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。』(エレミヤ書三十三章三節)

 このみ言葉のとおり、多くの反対者がいる中で、それを超える多くの祈りの勇士が手をあげ、主に叫び求め、祈りが積まれたことにより、今までの常識を覆すようなことが次々と起こっていったのです。その数々のことを、私は目の当たりにしてきました。

 一九九三年の十一月の本大会に向けて、一九九二年二月から準備が始められました。その一年半の間に、メッセンジャーと賛美リーダーが出かけて行き、日本のみならず世界各国含めて七百五十カ所で決起大会が行われ、キャラバン隊が作られて全国を回りました。
 ここで、写真をお見せしたいと思います。

<リバイバルクルージング>

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 これは、サンフラワー号という大きな客船です。この一隻を丸ごと貸し切って、これだけの人たちが船に乗り込んで、みんなで賛美して踊りました。

<リバイバルトレイン>

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 これは、リバイバルトレインと題して、電車を借り切って、回送電車にして関西一円を走らせたのです。ミッションに来た人だけが乗り込んで、各車両に賛美リードを置いて、車両ごとに皆で賛美し、祈りました。この賛美リーダーは開先生です。

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 そして、もう一枚お見せします。電車の中で子どもたちが弁当を食べています。今はすでにお父さん、お母さんになっている人もいます。

いずれも、本当にすばらしい決起集会でした。このような計画が立てられたことも不思議ですし、実現したことも神様のわざとしかいいようがありません。本当に、想像をはるかに超えたことでした。

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 本大会の写真もお見せしたいと思います。
 十字架の形に作られた講壇前に、何千人という決心者が怒濤のように押し寄せ、土台が崩れるのではないかと心配したほどでしたが、ステージに人がどんどんどんどん上がってくる様子に、涙が溢れ出ました。

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 そして、球場いっぱいの人が集まったという素晴らしい光景を見ることができました。思い出すだけで、その感動がよみがえってくるようです。

 甲子園ミッションは、多くの方が救われ、奇跡のわざを見る素晴らしい集会でしたが、決して思い違いをしてはいけないことは、これは私たちが優れていたからできたわけではなく、私たちに知恵があったから成功したのではなく、すべては神の計画であり、人の理解を超えたところに働いてくださった主のわざであるということです。そして今もその神様は共に働いてくださっています。

『その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。』(ヨエル書二章二十八節)

 これからのリバイバルを担っていくのは、ここにいる若者だと思います。私の三分の一しか生きていないような二十代、三十代の若い人たちに覚えていただきたいことは、「とりあえず生活できればいい」、「とりあえず収入があってマイホームができればいい」と、自分のために生きるだけでなく、神様のためにぜひ夢を抱いていただきたいのです。大きなビジョンを持って、ある人は事業家になり、ある人は政治家になり、国を動かすような、そしてリバイバルの最先端を走るような人たちとなってほしいのです。この教会からそのような人が大勢現されることを願って、私は祈っています。皆さんも共に祈っていただきたいと切に願います。

神様の一番の願いは何かを考えてみましょう。
 先に救われ、永遠のいのちをいただき、天の御国を相続する者とされた私たちが、今も滅びに向かっている人々を救いに導くために働いてほしいということです。

 神様は二千年ほど前、人となってこの世に来られ、私たちの救いを完成させるために、いのちまでも投げ出してくださいました。そしてさらに多くの人の救いの計画を遂行するために、実行部隊として私たちを選ばれたのです。

『神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。』(ローマ人への手紙八章二十八節)

神の計画に従って召されたのが私たちです。時には、こんなこと役に立つのかと思うことがあるかもしれません。私も小さいころから献身したいと思っていましたが、実際に献身するまでにはいろいろなことをやってきました。その時は、これが何の役に立つだろうかと思っていましたが、今は、あの時の経験が役に立っている、あの時があったからこそ今があると思えることがたくさんあります。ですから、今目の前に置かれていることを、まず一生懸命行っていきたいと思います。

カウントダウンのメッセージの中で、イエス様を否んだ弟子たちの話をしましたが、聖書には人々がイエス様を否んだ記事がいくつか記されています。
 旧約時代の出エジプトの時もそうでした。それまで四百年以上エジプトにおいて奴隷生活を強いられてきた民は、モーセに率いられエジプトを脱出しました。しかしすぐにパロの軍勢に追われ、目の前は紅海、後ろはパロの軍勢と、八方ふさがりになった時のことです。彼らはどうしましたか。神に祈る前にモーセに文句を言っています。

『パロは近づいていた。それで、イスラエル人が目を上げて見ると、なんと、エジプト人が彼らのあとに迫っているではないか。イスラエル人は非常に恐れて、主に向かって叫んだ。 そしてモーセに言った。「エジプトには墓がないので、あなたは私たちを連れて来て、この荒野で、死なせるのですか。私たちをエジプトから連れ出したりして、いったい何ということを私たちにしてくれたのです。私たちがエジプトであなたに言ったことは、こうではありませんでしたか。『私たちのことはかまわないで、私たちをエジプトに仕えさせてください。」事実、エジプトに仕えるほうがこの荒野で死ぬよりも私たちには良かったのです。」』(出エジプト記十四章十〜十二節)

エジプトを出てきたことを後悔しています。そのようにして彼らは主を否んだのです。しかし、モーセは言いました。

『恐れてはいけない。しっかり立って、きょう、あなたがたのために行なわれる主の救いを見なさい。あなたがたは、きょう見るエジプト人をもはや永久に見ることはできない。主があなたがたのために戦われる。あなたがたは黙っていなければならない。』(同十四章十三〜十四節)

ここに、『主があなたがたのために戦われる』とあります。私たちがどんな劣勢になっても、どんな問題にぶつかろうとも、神はいつも私たちのために戦ってくださり、私たちを見捨てることはありません。
そして、ローマ人への手紙八章三十七節にあるように、『しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。』
 そのためには、最初にもお話したように、神の栄光をほめたたえていくことが大切です。もう一度、エペソ人への手紙一章十二節をお読みします。

『それは、前からキリストに望みをおいていた私たちが、神の栄光をほめたたえる者となるためです。』

 主をほめたたえる者になるとはどういうことでしょう。「イエス様最高です!」と叫ぶことではありません。御国を相続しているという自覚と、神の計画を悟り、実行する者でなくてはなりません。
 主をほめたたえる方法のひとつは、賛美することです。私も一人でいる時には大声で、思いっきり賛美をします。主を賛美している時は、人の悪口も言えませんし、否定的になることもありません。
私たちは神に選ばれ、神の子どもとされ、天国を相続しているのですから、人に頼るのではなくどんな時にも神様に祈り、神に相談して神に従ってまいりましょう。そして、この二〇一七年は、力一杯心から主に賛美をささげ、どんな時でも神をほめたたえる者となり、神様の栄光のために働かせていただきましょう。
 また、今年は、あなたの計画ではなく、神様があなたに持っている計画、それがどんなにあり得ないと思われるようなものであっても、たとえ、あなたの意に反することであったとしても、神様の計画を遂行するために、神があなたに望んでおられることが何であるかを祈り、あなたを何のために選ばれたか、何をするために選んだのかということを祈り、その答えをいただいて、働いてまいりましょう。そうすれば、必ず道が開かれ祝福を受けることができます。

二〇一七年は、新城教会をはじめ、リバイバルミッション、プレイズ出版、ここにおられるお一人おひとりがさらに新しい領域に入り、良いもので満たされる一年になると信じて祈ってまいりましょう。