HOME > メッセージ > メッセージ

「2017年あなたは良いもので満たされます。 —パート24—  
信じる人にはしるしが伴います!」

2017年10月15(日)
新城教会主任牧師 滝元順
マルコの福音書16章15節〜19節

『それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」主イエスは、彼らにこう話されて後、天に上げられて神の右の座に着かれた。』

 ハレルヤ!おはようございます。今日、皆様の前で、メッセージを取り次がせていただけますことを、心から感謝します。みなさんに祈っていただきまして、先週まで、ハワイに行っていたのですが、ハワイと言うと、遊びに行っていたような印象があるので、なんとなく複雑ですが、はっきり言って、全く遊びはなかったのです!なんて、弁解していますが・・。

 実はこの期間、私はキューバに行くことになっていました。そのように用意していたのですが、キューバがいろいろ不安定で、中止になりました。ぽっかりと、スケジュールが空いたので、前からハワイに来てくださいと言われていましたので、伺うことになりました。すべては時至って、素晴らしいと思うのですが、実は、二〇〇七年に「ハワイリバイバルミッション」という働きをホノルルでさせていただきましたが、それは、リバイバルミッションの、海外での初ミッションでした。それが二〇〇七年でした。
 ハワイリバイバルミッションを皮切りに、主は、ミッションの働きを、海外に導いてくださいました。その後、韓国で二回ほど、台湾、タイ、そして、インドのナガランド、それに派生して、ネパールなどに広がって行きました。すべて、ハワイがきっかけでした。それも、日本が太平洋戦争で辿ったルートをめぐって、悔い改めと和解、そして癒やしの働きに導いてくださったのです。
 今年は二〇一七年で、ハワイリバイバルミッションから、ちょうど十年が経った記念の年です。それも、ハワイリバイバルミッションは十月でした。何か主の摂理を感じました。私はほとんど、十年ぶりだったのですが、ハワイの皆さんが暖かく迎えてくださいました。祈りに支えられながら、空港に着いた瞬間から、帰りの飛行機に乗る前まで、どこにいるのか分からないくらいの一週間でした。私と家内が手分けして、いろいろな働きをさせていただけたことを、心から感謝します。
 主が一つの扉を開かれると、続けて扉を開いてくださる現実を見させていただきました。
 ハワイは青い海に囲まれて、楽園のように見えます。

0006.jpg

 これは私がiPhoneで撮った写真です。花も息づいています。これはハワイの日本人墓地に咲いていた花です。こんな綺麗な島ですが、いろんな国々を回らしていただいて、最も多くの問題を持って、教会に来られる方々は、もしかしたら、ハワイかもしれないと思うくらい、複雑な問題がある場所でもあります。
 これは懐かしい二〇〇七年の写真ですが、この人たち、どこの人たちでしょうか?

0008.jpg

 現地に事務所を開設し、一年間準備活動をしました。カピオラニ公園にワイキキシェルという施設がありますが、そこで集会を開催しました。この頃は、両親も健在でした。当時、一生懸命協力し、働いてくださった先生方が今回、牧師会を開催してくださいました。楽しいひとときでした。教会で奉仕をしたり、セミナー、個人の解放の祈りなどでも、奉仕をさせていただきました。
 また、KZOOというラジオ局でもお話しさせていただきました。

0010.jpg

 これは先週のIJCCという、私の友人の先生の教会ですが、十年間で大変成長し、多くの方々が来られていました。大変嬉しく思ったのですが、

0011.jpg

これは他教会の夕拝の様子です。

 使徒の働き一章八節、

『しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」』

 聖霊が注がれた結果は、「地の果まで証人となる」ということです。 
 聖霊様の働きは、自分たちの住んでいる地域だけでなく、地の果てを目指すのです。そして聖霊の流れは、やがてエルサレムに戻るわけです。そして、今日読んだ聖書の箇所は、大変有名な箇所です。マルコの福音書十六章十五節〜十九節です。よくご存じの箇所だと思うのですが、

『それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。』

 全世界に出て行くとは、教会に与えられた、特に、聖霊によって動機付けられた教会の使命と言っても過言ではありません。

 今も述べましたように、ハワイリバイバルミッションをきっかけに、無理をしたわけではないですが、主が、海外宣教への扉を開かれたのです。これはまさに聖霊の働きであると信じています。新城教会におきましては、数年前からネパールでの働きを独自にはじめさせていただいています。
 ところで、二〇一八年も、ネパール宣教が決定しました。参加されたい方は、申し込んで下さい。
 今日、参加申込書が入っていたかもしれません。ネパール宣教二〇一八は、二〇一八年三月二十七日〜四月三日の八日間です。費用は、新城教会に来られている方々は特別で、「二万円」です!
 しかし先に言っておきますが、現地集合です。歩いて来ていただければ、二万円で過ごせます。ちょっと早めに出て、ネパールまで歩くのも楽しいかどうかは分かりませんが、泳いででも、空を飛んででも、来てください。申込書には、「自分でチケットを取る」とか、「手伝ってほしい」とか、いろいろありますから、問題ないですが、現地集合、現地解散にさせていただきたいと思います。
 なぜなら、これから若者たちが世界に出て行く場合、誰かにチケットを取ってもらってから行くようでは困ると思うのです。自分で旅程を組んで、行けるようにならないといけないので、その訓練も兼ねています。
 先週、ネパールの山から写真が送られて来ました。これが先週の山の様子です。

0002.jpg 0003.jpg

 この子たちが待っていますよ!みんな裸足でがんばっています。この子どもたちには靴を履く習慣がありません。人間の足って、鍛えれば足の裏がスニーカーみたいになります。すごく感動的です。
 この山に私たちが行った後も、継続的に、韓国の宣教師の方々が、がんばっています。見てください。

0004.jpg

 パク先生一家、まだ一歳くらいのチビちゃんまで、山に登っています。いや〜、すごい!ちょっと感動です。行けば行けるもんだな!と思います。二〇一八年のネパールツアー、年齢制限を撤廃したいです。赤ちゃんから、お年寄りまで、行けるものなら行ってみろツアーにしてもいいかなと思います。韓国の方々ってすごいです。日本人はなかなか、赤ちゃんを連れて行く気にはならないです。しかし、このくらいから、世界宣教を体験しておくと、絶対にいいと思います。こういう場所に行きますと、ウイルスやバイ菌のデータベースを豊かにできます。いろんなメリットがあります。

 先週は、韓国から一つのチームが来られました。それは日本をめぐって、日本と韓国が一つとなり、和解し、赦し合う為のキャンペーンで、なんと自転車でソウルから東京まで、朝鮮通信使のように走破して来られたのです。
 三十名くらいで出発したらしいですが、新城に来られた時には十八名でした。すごかったです。韓国の教会が祝福されているのは、国内だけでなく、世界に目が向いているからです。

 霊的法則には、遠くを見ると足下が固まるという法則があるのではないかと思います。平均台は足下を見ていたら落ちます。しかし遠くの一点を見つめると、落ちません。
 信仰も同じで、遠くをみつめ、地の果てを見つめると、足下も守られるのではないかと思います。

 マルコの十六章、『それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。』という一文は、大変重要な言葉です。
 しかし近ごろよく話ししていますが、新改訳聖書では、『すべての造られた者に』、の「者」は、どう見ても「人」を意味します。しかし日本語の他訳を見ると、口語訳聖書、『すべての造られたもの』とひらがなになっています。新共同訳も、『造られたもの』とひらがなになっています。英語の「New King James version」では、“every creature”となっています。これは、「すべての生き物」という意味でしょうか。また、「New International version」では、“all creation”となっています。これは、「すべての被造物」となります。
 福音を宣言する相手が、人にだけに焦点が当たるのか、もしくは”every creature”“all creation”というように、神が造られたすべての被造物に焦点が当たるのかで、意味合いは全く変わります。
 聖書翻訳も、しっかりやってくれよ!と思いますが、案外、私たちには刷り込みがあって、人に限定してしまうのですが、原語では、神が造られた「あらん限りの被造物」という意味であり、それらに福音を宣言するよう求められています。私たちが、み言葉をどう理解するかで、後に続く言葉が実現するか否かが、決まってくるのではないかと思われます。
 先ほど読みました十七節から、

『信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」』

 しかしなかなか、「しるし」は、教会に起こっているようには思えません。どうして神の約束なのにも関わらず、起こらないのかと思います。たぶん、この箇所は後の時代に付け加えられたとか、しるしはすでに終わった!という意見も多くあるわけです。

 しかし、前提の理解が間違っていたら、後が続きません。「すべての創造物」に福音を宣言するという前提があってこそ、後のみ言葉が実現するか否かが決まるはずです。
 私はこの頃、福音の理解を、「あらん限りの被造物に対して、良い知らせを宣言する」という前提をしっかり据えて、世界に向かい、滅び行く魂を追い求めていくことが重要ではないかと考えています。
 ここでは、「すべての、あらん限りの、一つも欠けのない」、と訳される「パース」というギリシャ語と、「クティシス」、本来は「創造」と訳すべき言葉が使われています。すべての被造物、あらん限りの被造物に対し、一つも欠けなく被造物に対して、福音を宣言するという意味になります。これが教会とクリスチャンの使命です。

 先週は、「二十五時間連鎖賛美大会」があって、すべての被造物と共に主を賛美するというテーマで開催されました。大変恵まれたと聞きましたが、私たちがすべての被造物を意識して、主を誉め称え、黙示録五章に預言されている賛美大会に向け、準備しなければいけないのです。
 そんな中、ネパールやハワイは、実に自然が豊かで、主が造られたままの自然環境が残っています。
 その地域に住んでいる方々が、このことをよく理解して、すべての被造物に対して福音を宣言するようになれば、イエス様が帰られる日が早められるのではないか、と期待します。

 マルコ十六章をまとめると、すべての被造物に対して福音を宣言するという前提に続き、「信じてバプテスマを受ける者は救われる」とあります。主を信じ、次に、もう一歩進んで、「バプテスマを受ける」ことは大変重要です。
 その後に続くのが、「わたしの名によって悪霊を追い出す。新しい言葉を語る。蛇をも掴む。毒を飲んでも決して害を受けない。病人に手を置けば病人は癒やされる。」という、五つのしるしです。信じてバプテスマを受ける時、このようなしるしが伴う!と、聖書は約束しています。

 コロサイ人への手紙二章十二節〜十五節に、こんな言葉があります。新城教会でバプテスマ式をさせていただく時には、必ず、この箇所を読ませていただいています。

『あなたがたは、バプテスマによってキリストとともに葬られ、また、キリストを死者の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって、キリストとともによみがえらされたのです。』

 イエス様は死なれたけれど、三日目によみがえられました。その時、「わたしは、天においても、地においてもいっさいの権威を受け取った!」と語られました。イエス様が持っておられる権威を私たちも共有できるなら、不思議としるしが伴うはずです。それを共有するには、私たちも一度死んで、生き返えらないと同じにはなれません。
 しかし神は、実に不思議な法則を、教会に与えました。それが何かと言うと、「信じてバプテスマを受ける」ということです。バプテスマとは、水の中に入って、瞬間的に出て来るだけの行為ですが、それが何を意味するかと言えば、「死んで葬られ、よみがえる」のを、瞬間的にたどることです。
 その結果、『神の力を信じる信仰によって、キリストとともによみがえらされたのです。』とあります。
 信じてバプテスマを受けると、イエス様と、よみがえりのポジションを共有できる!「よみがえりのポジション」に立つことができる!と教えています。もちろんバプテスマを受けなくても、永遠のいのちはいただいています。しかし、バプテスマを受ける以前は、限定が付いているようなものです。昔、限定付免許証というのがありました。限定解除の手続きを取ると、今まで乗れなかった乗り物を運転できるようになった経験があります。バプテスマは限定解除です。私たちが救われて、永遠の命をもらうだけでなくて、イエス様がよみがえった時に、「わたしは天においても地においてもいっさいの権威を受け取った」と言われる、よみがえりと同じポジションに立つことができるのです。ということは、やっぱり、バプテスマを受けることは、重要です。

 私は小学校二年生の時に、近くの桜淵でバプテスマを受けさせてもらったのですが、こんな約束があるなんて、聞いてもいませんでしたし、これっぽっちも考えませんでした。新城教会の昔は結構固くて、「バプテスマを受けないで、聖餐式には参加しないでください。教会員以外は駄目!」なんて言われて、昔は人数も少なかったので、パンもジュースもなみなみでした。バプテスマを受けたら、食べることができる!飲むことができる!と期待しました。聖餐式はお昼ご飯のちょっと前にあります。私が小学生時代、食糧難でひもじかったから、ぷーんっと甘い香が漂って、結構、つらかったです。だから私はみ言葉の真理なんか全然興味なくて、ただ、食べたい!飲みたい!という事だけで、バプテスマを受けました。どうせ受けるなら、暖かい時期がいいなと思って、八月にしました。そんな不純な動機で、私はバプテスマを受けましたが、近ごろになって、「いや〜バプテスマって、大きな意味があったんだな・・・」と感動しています。イエス様のよみがえりと同じポジションを共有できるなんて、すごいと思います。
 そしてこの二章十五節には、

『神は、キリストにおいて、すべての支配と権威の武装を解除してさらしものとし、彼らを捕虜として凱旋の行列に加えられました。』

とあります。バプテスマを受けると、悪魔・悪霊どもを捕虜として、凱旋の行列に加えることができるのです。敵を完全制覇できる権限が、イエス様だけでなく、私たち信じる者たち、バプテスマを受けた者たちにも与えられると約束されています。
 時々、霊的戦いにビクビクする人がいるのですが、イエス様を信じて、バプテスマを受けた人たちには、コロサイ二章が成就しているはずです。この権限を皆がもらっているはずです。もらっていても、使うか、使わないかは別ですが、もらっていたら使わなければ損です。
 ということは、先ほどもお話ししましたように、私たちがみ言葉をしっかりと理解するならば、人生も大きく変わります。信じてバプテスマを受ける者は救われる!とは、「悪霊を追い出す」働きを、大胆に行うことができるということです。

 イエス様の公生涯中、最も大きな霊的戦いはいつかというと、十字架の時であったのですが、十字架にかかる前においては、「ゲラサで行われた戦い」であったと思われます。
 イエス様はガリラヤ地方で働いておられたのですが、ゲラサという場所に、舟でいかれたわけです。その途中、暴風があって、ゲラサに着いた時、レギオンという存在が出て来て、イエス様の前にひれ伏しました。その結果、一人の男、マタイの福音書だと二人になっていますが、悪しき力が打ち破られた結果、正常になったことがレポートされています。マルコ五章六節〜七節、

『彼はイエスを遠くから見つけ、駆け寄って来てイエスを拝し、大声で叫んで言った。「いと高き神の子、イエスさま。いったい私に何をしようというのですか。神の御名によってお願いします。どうか私を苦しめないでください。」』

 イエス様がゲラサの街に上陸したら、レギオン、すなわち、六千くらいの悪霊どもの軍団が、墓場に住んでいる男を使って、イエス様に語りました。イエス様が湖の岸に着かれた時、レギオンは、「遠くからイエスさまを見つけて走って来て」、「ひれ伏して」、「イエスを拝した」のです。
 すごいと思います。悪霊どもは、絶対的な権威の前では、打ち負かされるだけでなく、「イエス様を拝する」、「イエス様を礼拝する」のです。
 「すべての被造物に主をほめたたえさせる!」という、詩篇百四十八篇に、「海の巨獣」も主をほめたたえるとありますが、海の巨獣とは、悪魔・悪霊どものことを指します。悪魔や悪霊どもでさえ、主をほめたたえる、これは「完全勝利」です。悪霊どもが打ち負かされて終わりではなく、なんと、レギオンまで主を拝する、完璧な勝利まで、主から権威を委託されたものは進むのです。

 私はいつも、いろいろな所に奉仕に行かせていただく時、このみ言葉を心に描きながらいくことにしています。そしてある意味、毎回、がっかりします。
 その地域の教会の牧師先生が、「よく来てくださいました。」とお迎えに来てくださいます。歓迎してくださって、大変嬉しいですが、私が本当に主からの権限を委託されていたら、どこかの駅に着いたら、空港に着いたら、その地域のレギオンに支配されている男や女がずらっと並んで、「順先生!私たちをこの地域から追い出さないでください!」とひれ伏すなら、私も本物かもしれないな・・・と思います。いつも、まだまだだなぁ、と思うのですが・・。

 実は、今回、ハワイに行ったのですが、名古屋からの直行便で行きました。夜の八時くらいに搭乗して、ホノルルに着くのは早朝、七時半くらいです。日本とハワイの間には五時間くらいの時差があって、ハワイのほうが五時間先に進んで、しかも、一日遅れです。感覚的には、日本の真夜中にハワイに着くのです。
 私たちが空港から出たら、「早く車に乗ってください!」と言うのです。そして、「今から悪霊に支配されて、困っている人の解放の現場に行きます!」と言って、私たちは現場に直行でした。ちょっと疲れていて、ゆっくり休みたいな、と思っていました。着陸前に飛行機の中で朝食が出たけれど、寝ていて、知らないうちに取り去られていました。あっ!ない!という感じで、お腹が空いて、現場に行く前に、「悪いけれど、朝ご飯だけ食べさせてくれる?」と頼んで、食べさせていただいて、現場に行きました。そして夕方まで、ある方の解放ために、時間を使わせていただきました。でも、たいへん嬉しかったです。

 話は少し変わるのですが、ハワイは、現在はアメリカ領ですが、あの場所は昔は、カメハメハという王様が支配していた王国でした。「南の島のカメハメハ〜♪」という歌がありましたが、カメハメハ大王の国でした。
 ハワイ・リバイバルミッションの前に、私はあまり霊的には敏感じゃないですが、ちょっと不思議なことがありました。ハワイ・リバイバルミッションの少し前、愛知県民の森で祈り会を持った時に、「世界の国々のために祈りましょう!」というリクエストがなされて、主が示される国を掴んで祈りましょう!という勧めがありました。
 その時、目の前にイメージ的に旗が出て来ました。私はどこの国の旗か分かりませんでした。その旗が脳裏にちらちら見えて、隣の方とシェアして、そのことを祈りました。私は隣の人に「分からないけど、イギリスかな・・・」と答えて祈りました。それが赤と白のストライプと、イギリスの旗みたいなのがくっついていた旗でした。これです。これが脳裏にちらちら出て来たのです。

0012.jpg

 この旗って、どこの国の旗か知っていますか?実はこれ、ハワイの州旗です。これが目の前に出て来て、その後、ハワイ・リバイバルミッションに導かれたのです。私のような鈍いものが、こういうものを見せられるのは、意味があると思います。

0013.jpg

 ハワイのことをいろいろ調べると、この人物がハワイ全土を所有していたのです。
 彼はハワイ中にヘイアウという、変な神殿を建てました。以前にも話しましたが、ストーンサークルみたいです。

0007.jpg

 ここは、「クウ」という戦いの神の神殿です。生け贄を要求する神を祀る場所がいくつもあるのです。これらは、カメハメハが作った、悪霊を呼ぶ拠点でした。
 カメハメハは十九世紀の人ですから、その子孫って、まだ残っているはずです。もしもカメハメハの子孫の人たちの解放の祈りができたら、ハワイを霊的に勝ち取るために重要だと感じて、祈っていました。

 今回、空港から直行させられたのが、なんと、その家系に属する方でした。一人の女性があることをきっかけに、悪しき力が捕らえている!としか考えられない状態になったのです。
 そしてなんとその方は、カメハメハの末裔でした。牧師たちが集められて、一生懸命祈ったそうです。しかしまだすっきりしないので、なんとかしてくれ!と言われて、直行したわけです。本当に嬉しかったです。空港に迎えに出たのが、ある意味、マルコの五章と同じでしたから。
 マルコ五章を見ますと、悪霊どもが何と言っているか、五章九節〜十節、

『それで、「おまえの名は何か」とお尋ねになると、「私の名はレギオンです。私たちは大ぜいですから」と言った。そして、自分たちをこの地方から追い出さないでくださいと懇願した。』

 これを口語訳聖書で読みますと、

『また彼に、「なんという名前か」と尋ねられると、「レギオンと言います。大ぜいなのですから」と答えた。そして、自分たちをこの土地から追い出さないようにと、しきりに願いつづけた。』

 カメハメハの末裔の人から悪霊が露わにされて、牧師が悪霊に対して、「おまえは何という名前だ!」と聞いたら、「俺か。レギオンだ。」と答えたそうです。聖書に記されている名前が出て来て、びっくりしたそうです。
 その後なお、びっくりしたのは、ハワイアンの人たちって、子だくさんで、八人兄妹でした。その一番上の兄ちゃんが、近ごろ結婚して、今、イスラエルに新婚旅行に行っているそうです。妹が、「レギオンだ」と騒ぎ出した時刻、お兄ちゃんが夫妻は、なんと、ガリラヤ湖対岸のゲラサに行って祈っていたそうです。イエス様がまさに、レギオンと戦いをされた場所に行って、祈っている同時刻、妹の背後から悪霊が、「俺はレギオンだ!」と現れて、名乗ったというのです。それで、本当にびっくりしたというのです。その方々はクリスチャンでも、霊的戦いとか、あまり意識がなかったけれど、今回のことを通して、聖書に記されているそのものが起こって、霊的戦いが必要であることを理解したのです。
 私は、霊的戦いとはどういうものか、土台を理解しないと、悪霊に騙されて勝つことはできませんから、長い時間かけてお話しをさせていただき、最後に祈らせていただきました。ハワイのレギオンの影響を受けていた人は、本当に元気になって、喜んで、ぴかぴか顔が輝きました。私は火曜日に帰国したのですが、月曜日には高級レストランに招待してくれました。食事するだけかと思っていたら、「まだたくさんの質問があります」と言って、質問リスト持って来られて、答えるのに精一杯でご飯を食べられなかったです。でも本当に感謝しました。

 イエス様を信じるなら、こういう権威は与えられているのです。また、今回、福音とは人だけではなく、「すべての被造物に対するもの」ということを意識して、ハワイに行ったら、のっけからこの事が起こりました。すごく嬉しい気持ちになりました。
 ハワイアンの方々は、元々、自然と共存しながら、自然をうまく管理しながら生きていた人たちでした。だから彼らが主を信じて、悪霊と戦う権威に気づいて、豊かな自然を主と共に管理するようになったら、世界は変わると思います。その事をお話させていただきました。ハワイ・リバイバルミッションの時から、ずっと祈っていた祈りの成就のようでした。

 「わたしの名によって悪霊を追い出す。」次には、「新しい言葉を語り」「蛇をもつかみ」とありますが、「新しい言葉を語る」については後回しにして、「蛇をつかむ」とは、本物の蛇をつかむことも関係するとは思います。これは「個人の解放」だと思われます。個人も、悪魔によって鎖に繋がれています。蛇に巻き付かれています。それを取り去ることは、すごく重要です。
 でもその前に、レギオンどもを、「この地方から」、「この土地から」追い出さないといけないのです。地域の覆いになっている力を取り去ってから、今度は、蛇をつかむ、「個人の解放」に進んでいく必要があるのです。順序も大切だと思います。
 私たちの教会で、霊的戦いが始まったのは、まず、地域のために祈りなさいという所から始まり、その次に蛇をもつかむ、個人が鎖から解放される所につながりました。まさに、マルコの五章を読んでも、その順序は同じです。レギオンと呼ばれる、「地方・土地」にこだわる力が打ち破られた結果として、墓場に住んでいた男の鎖が解けたのです。

 次に、「毒を飲んでも決して害を受けず」と書かれていますが、「毒物注意」です。このみ言葉ほど、現代に必要なみ言葉はないんじゃないかと思います。
 「毒を飲んでも決して害を受けず」という、中に、「決して」という言葉が入っているのは、大きな希望です。
 以前にもお話しさせていただきましたが、今の時代、私たちは多くの毒物に囲まれています。どうやって自分たちを守ろうとしても、守りようがない時代です。食品にもかなり、いろんな物が入っているらしいです。いろんな統計があるので、何が本当か分からないですが、日本で許可されている食品添加物は、天然のものと合成のものを合わせると、八百種類くらいになるそうです。アメリカでは百四十、イギリスは十四種類というのです。世界で一番まずい食事はイギリスの食事と言われます。そして、一番美味しいのは日本だ!なんていうけれど、なぜ、美味しいか知っていますか?それは添加物が入っていて、美味しく感じるからです。
 例えば、伊勢エビでだしを取って、スープを作ったら、そりゃぁ、うまいと思います。でも、伊勢エビを使って毎回、スープを作るなんて、お金がかかり不可能です。しかし、伊勢エビで出汁を取ったと同じ味を、科学的に合成したら安く、伊勢エビ風味が出来上がります。人々は、喜んで食べるわけです。本来の味に、加えている物質がいっぱいあるわけです。私よりも、よく知っている人が大勢いると思います。

 清涼飲料水なんかも、砂糖がいっぱい入っているそうです。この頃、コンビニなんかで安いコーヒーが売れていますが、あれも合成したコーヒーの匂いだそうです。本来のコーヒーの臭いではなくて、添加物で匂いを作っているそうです。
 そして特に体に危ないのが、「エナジー・ドリンク」です。飲んでいる人が多いですが、結構危ないです。また水道水も、危険だと言われます。
 食品関係の方もおられるのでちょっと話しにくいですが、一応、自己責任として知っておく必要があると思います。安い醤油って、後ろを見るといろんなものが入っています。本当の醤油は、大豆と塩くらいでできています。しかし安い醤油は、醤油風味が演出されているわけです。いろんな薬が入って、体には良くないですよね。
 また、回転寿司のネギトロは悪いらしいです。好きな人も多いかもしれませんが。フカヒレ。これも漂白して作るので、いろんな薬品を使うそうです。イクラを、いくら?安いねと言っても、人工的ないくらも多いです。
 ハンバーガーも、たくさん食べると鬱になるそうです。なんでもたくさん食べれば鬱になるとは思いますが。アメリカンドッグって、危なそうだな〜って、いつも思います。それからハム類とか、牛肉とかも悪いそうです。
 先日北海道に行ったら、アメリカの牧場で働いていて、そこで救われて牧師になった人に会いました。「アメリカの牧場主は、絶対に自分の牧場で育てた牛肉は食べません!」と言うのです。なぜ?と聞くと、肉には変なものがいっぱい入っているからだというのです。牧場主組合があって、悪いものを入れない牛を他で育てているというのです。自分たちはそれを冷凍にして、ちびりちびり食べて、悪いのを出荷するというのです。ひどいなぁと思いますが、牛肉も気を付けてください。
 それから、真っ白なれんこん、これも危ないらしいです。漂白剤なんか使って白くしています。コンビニのおにぎりとか、一ヶ月くらい保存したのをお見せしましたが、コンビニのおでんも危ないらしいです。
 だいたい我々は、一日小さじ二杯分くらいの食品添加物を知らないうちに食べてしまうそうです。年間だいたい「四キロ」くらいになるというのです。これは逃げようがない。唯一、成分表を見る習慣をつけて、自分を守るしかないそうです。後ろを見ると、清涼飲料水じゃないね。いろんなものが入って、濁っているわけです。表示とは、「これでも飲みますか?」という表示です。あなたが飲むなら、自己責任ですよ!了承して飲んでくださいね、という表示です。一応、法律では使ってもいいから、売るほうも別に問題ないのです。でも、良くないものも入っているので、一応、表にしておきますよ、ということになります。本当に、自分で自分の身を守るしかないです。
 日本で生きていくのは無理。いや、世界中どこも、逃げ場所ないです。逃げ場があるとしたら、ネパールのチェパン族のところくらいです。あそこは、添加物はないと思います。でも、私たちがこの頃、少しずつ持ち込んでいるから、汚染されているかもしれません。

 しかし、私たちの望みは、ただ、これだけです。「毒を飲んでも、決して、害は受けない!病人に手をおけば病人は癒やされます!」
 これを握るしかないと思います。このみ言葉を、しっかりと握って、教会に属する兄弟姉妹は、添加物をどれだけ食べたって、このみ言葉がいつも動いていますように!毒を飲んでも決して害を受けない!と宣言します!!
 また、病人に手を置いたら病人は癒やされるという、み言葉に望みを置きたいです。自分を守ろうとしても、なかなか難しいですけれど、の聖書のみ言葉が成就したら大丈夫です。

 でもその前提となるのが、「全世界に出て行き、すべての被造物に対して、福音を宣言する。」という、前提があってこそ、しるしは伴うのです。
 「新しいことばを語る」というのがリストに入っていますが、新しい言葉とは、もちろん異言の賜物も含まれているかもしれませんが、ここにおいては宣教のコンテキストですから、「世界の国々の言葉」を指します。
 私は新城教会には、新しい言葉の賜物が用意されていると思います。私は日本語、三河弁しかできないですが、いろんな国に行く時、新城教会で一緒に働いている、国々の言葉ができる先生方、兄弟姉妹の助けで行くことができます。
 ネパールも、日本語からネパール語のメッセージ通訳者なんて、普通では見つけることができません。しかし、なんと、あのチェパン族の山のふもとで見つけました。不思議です。こういう所に、なぜ、こういう人がいるわけ?ってね。今年の三月は、地域の牧師先生を集めて、霊的戦いセミナーができたのです。日本語が堪能な、ネパール人の青年。それも日本でクリスチャンになった人が、通訳してくれました。何年か前、ちらっと名刺をもらったのですが、思い出して、メールをしたら、なんと、私たちが山に登る、ふもとの街に住んでいたのです!しかも彼は日本語学校をやっていた!来年のスケジュールも、先週お伝えしたら、「絶対やらせてください!」と言って、手ぐすね引いて待っていてくださるのです。
 新しい言葉を語るとは、まさにバベルの塔から分化した言葉を、聖霊によって取り返す働きです。
 これから若い方々が、いろんな国の言葉に接して、それを勝ち取って、福音宣教のために用いる。そして、すべての被造物に対して、言葉を使って福音を宣言していく時、マルコ十六章に記されている、しるしが伴うと信じます。

 今回、ハワイに行かせていただきまして、いろんな働きに従事させていただきましたが、やはり霊的世界は、距離はないと思いました。距離とか空間を越えて、ここで取られた勝利は、世界の勝利となることを、体験させていただきました。
 特に、すべての被造物に対して、福音を宣言するという真理に気づかせていただいたことは、心から感謝しなければいけないと思います。
 今週、みなさんの言葉を使って、神が造られた被造物に対して、福音、良い知らせを宣言し、彼らに主の名をほめたたえさ、悪霊どもにさえ、主を拝させる勝利まで進ませていただきたいです。

 実は、先ほど話すのを忘れたのですが、カメハメハの子孫に悪霊が現れた時、牧師が、「おまえは誰だ!」と聞いたら、「俺たちはレギオンだ!」と答えたらしいです。「ここから出て行け!」と言ったら、「嫌だよ。」と言って抵抗したそうです。
 しかし、ハワイのレギオンどもが、牧師たちにぼやいたというのです。「本当は、俺らは、昔天国で主を賛美していた頃が、一番楽しかった・・・。あの頃は良かったなぁ・・・。」と言ったそうです。
 牧師が、「ならば、そこに帰れば?」と言ったら、「それはだめだ。帰れない。」と答えたそうです。「なせ?」と聞いたら、「ルシファーが怒るから。」と答えたそうです。それを聞いた一人の牧師が、なんか悪霊どもがかわいそうになったと言っていました。「悪霊どもなんて、かわいそうじゃない」と、私は言ったのですが、「あの頃は良かった・・・」とは、もしかしたら悪霊どもの本心かもと思います。彼らはかつて、神の前での賛美をしていて、臨在に触れていたものたちです。それが、神に反逆して、この地に落とされたのですから、彼らを打ち砕くだけでなく、彼らを捕らえて捕虜として、凱旋の行列の中で、「彼らに主を拝させる」、「主を誉め称えさせる」とは、神にとって、究極的な回復じゃないかと思いました。
 今回そんなことを聞いて、悪霊の言うことですから、あんまり信用はできないですが、聖書と照らし合わせれば、敵にさえ、主の名をほめたたえさせなければならないのです。

 最後に、みなさんとご一緒に、聖餐式を持ちたいと思います。全世界に出て行き、すべての被造物に対して、福音を宣言するために、イエス様は十字架で血潮を流してくださったのです。コロサイ書の一章に書かれているように、十字架の血潮は、すべての被造物との和解でした。すでに和解しているのですが、私たちクリスチャンには、法的には和解している領域を、実際に宣言していく役割が与えられています。聖餐式を通して、もう一度、そのことを心に刻んで預かりたいと思います。


 ハレルヤ。父なる神様。感謝いたします。全世界に出て行って、すべての造られた被造物に、良い知らせを伝える使命を与えてくださって、心から感謝します。
 あなたの十字架の血潮は、すべての被造物との和解でした。今から私たちは聖餐をいただきますが、聖餐式を通して、私たちは主との和解を、すべての被造物に知らせ、世界に向けて発信するものとさせてください。すべての栄光をお返しします。このパンと、ぶどうのジュースを、み言葉と聖霊によって、イエス様と一つとなる機会であると、イエスのみ名で宣言して、始めます。アーメン。