ヤキマ・バレー・ライフ・チャーチ
主任牧師 ジョー・ハイト師

2018年4月29(日)
ルカによる福音書11章14節〜28節

『イエスは悪霊、それも口をきけなくする悪霊を追い出しておられた。悪霊が出て行くと、口がきけなかった者がものを言い始めたので、群衆は驚いた。しかし、彼らのうちには、「悪霊どものかしらベルゼブルによって、悪霊どもを追い出しているのだ」と言う者もいた。また、イエスをためそうとして、彼に天からのしるしを求める者もいた。しかし、イエスは、彼らの心を見抜いて言われた。「どんな国でも、内輪もめしたら荒れすたれ、家にしても、内輪で争えばつぶれます。サタンも、もし仲間割れしたのだったら、どうしてサタンの国が立ち行くことができましょう。それなのにあなたがたは、わたしがベルゼブルによって悪霊どもを追い出していると言います。もしもわたしが、ベルゼブルによって悪霊どもを追い出しているのなら、あなたがたの仲間は、だれによって追い出すのですか。だから、あなたがたの仲間が、あなたがたをさばく人となるのです。しかし、わたしが、神の指によって悪霊どもを追い出しているのなら、神の国はあなたがたに来ているのです。強い人が十分に武装して自分の家を守っているときには、その持ち物は安全です。しかし、もっと強い者が襲って来て彼に打ち勝つと、彼の頼みにしていた武具を奪い、分捕り品を分けます。わたしの味方でない者はわたしに逆らう者であり、わたしとともに集めない者は散らす者です。汚れた霊が人から出て行って、水のない所をさまよいながら、休み場を捜します。一つも見つからないので、『出て来た自分の家に帰ろう』と言います。帰って見ると、家は、掃除をしてきちんとかたづいていました。そこで、出かけて行って、自分よりも悪いほかの霊を七つ連れて来て、みな入り込んでそこに住みつくのです。そうなると、その人の後の状態は、初めよりもさらに悪くなります。」イエスが、これらのことを話しておられると、群衆の中から、ひとりの女が声を張り上げてイエスに言った。「あなたを産んだ腹、あなたが吸った乳房は幸いです。」しかし、イエスは言われた。「いや、幸いなのは、神のことばを聞いてそれを守る人たちです。」』

おはようございます。クレイジーなアメリカ人たちの時間となりました。まず、ヤキマ人たちを紹介したいと思います。もう一人女性が来ているのですが、ちょっと体調不良でここにはいません。ノブズ餃子がとても美味しくて、食べ過ぎたかもしれません。
一人一人紹介をしたいと思います。
ウィルさんを覚えていますか?ここに来るのは四回目です。四回も来たくなるというのは、彼はちょっとおかしなところがあるかもしれません。
トレバーです。私の娘のオースティンの夫です。
レイシーは、子どものミニストリーの牧師をしています。
マーティー、彼は技術的なことをすべてしています。
スティーブンは、ジョン先生の下から二番目の息子です。六人の子どものうちの五番目です。
マイカはジョン先生の二人目の子どもです。
ピーターです。
こちらは若いウィルです。
既に新城に一週間滞在していますが、まだ時差ぼけがあります。明日は帰国しますが、来ることができて、とても感謝しています。みなさん、いつももてなしをありがとうございます。

<トレバー>
今から二曲の歌を歌いたいと思います。ちょっと元気な歌です。一つ目は「鎖」という歌です。悪魔がつけた鎖を取るという歌です。イエス・キリストがその鎖を取ってくださいます。
二曲目は、「とんでもない愛」という意味です。神さまが私たちをいかに愛しており、いかに私たちの代わりとなってくださったか、私たちのことを想ってくださっているということを歌う歌です。神さまは私たちを求めて、追いかけて、そして私たちを捕らえてくださいます。


<ジョー先生>
私たちの教会は時にはうるさいです。キーボードプレイヤーの石塚さんを、ヤキマに連れて帰りたいと思います。
私の娘、オースティンを知っている方、どのくらいいますか?彼女が癌だったということを聞いていた方がいるかもしれませんが、同時に、双子を産みました。今は大丈夫ですが、二年間ぐらいすごく大変でした。癌はなくなりましたが、双子はまだいます。それが大変なところではありますが、トレバーからも家族の近況などを話してもらおうと思います。

<トレバー>
本当に祈ってくださってありがとうございました。とても大変な一年でした。でも今はそれを乗り越えてとても元気です。自分たちのために、世界中でいろんな人が祈っているということを知っていたのが、力強い支えになりました。悪い知らせをもらった時、神さまが良いお方、神さまが支配してくださっている、そして全世界で私たちのために祈ってくれていることに慰めを得ました。そして疲れた時にはみなさんの祈りが、私たちに力を与え、私たちを運んでくださいました。
今はとても元気です。子どもが四人いますので、まだまだ疲れています。健康ですが、是非、私と奧さんのために祈り続けてほしいです。ありがとうございます。

<ジョー先生>
では次にジョン先生の紹介をしたいと思います。ジョン先生はヤキマの雅也先生です。雅也先生はハンサムで紳士雑誌を飾るほどですが、ジョン先生はそれほどおしゃれではないのですが、ジョン先生はヤキマの教会のほとんどすべてのことをしています。事務的なこと、青年会なども全てやってくれており、私はもう教会にはあまりおらず、コーヒーを飲んでいるだけです。

<ジョン先生>
私はジョー先生の給料袋を作る仕事もしていますので、来月はちょっと控えようかなと思います(笑)。
ここに前回来てから、二十年経っています。前回来た時は、妻が妊娠していました。私が二十年前に日本に来た時にお腹の中にいたマイカ君です。彼はワシントン大学で日本語の勉強をしていますので、ぜひみなさん声をかけてください。日本語が間違っていたら笑ってもらって結構です。
みなさんと一緒にいることができ、一緒に祈り、礼拝し、学ぶことができることは、本当に大きな恵みです。一緒に神さまのからだとして、イエス様を礼拝できることが、本当に気持ち良く思います。みなさんがいつも私たちのために祈っているのを聞き、祈られていることは、とてもへりくだった気持ちになります。そしてここに来て、みなさんから学ぶことが出来てとても光栄です。誰でもヤキマに来たいと思う人は是非来てください。ジョー先生の家には余った部屋があります。彼が全て買ってくれます。

<ジョー先生>
 是非来てください。今日の礼拝は、いつもとちょっと違うかもしれません。なんか家族が遊びに来たみたいな感じかもしれません。ここが日本の故郷です。なので、自分たちが誰であるかとか、どんなことを今までしてきたかということを分かち合いたいと思います。大きい音で音楽を弾いたりとか・・。家族みたいなものですが、今は現実的にも親戚になっています。滝元家とハイト家が連合を結びました。望さん、どこにいるかは分かりませんが、是非知ってほしいのは、孫たちの苗字は「ハイト」ですからね。写真を見せてもいいですか?

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これは去年のクリスマスです。一番ひげをはやして後ろにいるのは誰でしょうか?百円払えば彼のひげを触らせてくれます。二百円で引っ張っていいです。彼がトレバーです。ジョー先生の後ろにいるのが二番目の娘で、トレバーの隣が六歳の長男です。オースティンの右側にいるのが、ブレイズという四歳の息子です。オースティンが抱いている眼鏡の子が双子の女の子ローラです。一番右にいるチェルシーというジョー先生の長女の膝にいるのが双子の男の子イーストンです。赤い服を着ているのは、私の姉です。
アジア系の顔をしている女性は分かりますか?やえです。望さんの娘です。この写真を撮ってから五日後くらいにもう一人産みました。横に私の息子のピアスがいます。ピアスはみなさんの所に返すけれど、やえは返せません。やえは私たちのものです。私の膝にいるのが、やえとピアスの子どものオーウェンです。
隣は妻のロビンです。右側はチェルシーです。チェルシーが長女で、オースティンが二番目、ピアスが三番目です。今はここにいる大人全員、日本に来たことがあります。姉は二年間、佐世保に住んでいました。

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エイミーです。すごい和やかな子で、あまり泣いたりもせず、いつも笑っています。あと八ヶ月くらい経ったら、ピアスとやえが東京のほうに引っ越して来ます。みなさん嬉しいと思いますが、望先生、とにかく苗字はハイトですからね。

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チェルシーがこの男の人から婚約指輪をもらいました。今日送られて来た写真です。たぶん三時間前くらいに婚約したばかりです。順先生、私は六人孫がいます。順先生は何人いますか?五人ですね。そして彼女は今から結婚するところなので、どう考えても、私のほうが勝ちですね。

本当にここに来るのがとても素晴らしいです。自分が何回ここに来たのか、分からなくなったくらいです。本当に自分の家みたいな感じです。

読み上げられたみ言葉を分かち合いたいと思います。まずはお祈りしたいと思います。神さまからこのみ言葉をいただいたのはいいのですが、まだメッセージをいただいていません。本当は違うメッセージを準備していたのですが、このことを語るようにと言われましたので、お祈りします。

イエス様、感謝します。共に交わりを持つことができることを感謝します。聖霊の力であなたを礼拝するために、一緒に集まることはとても大切です。あなたがここで高くあげられますように。あなたのみ声を聞くことができますように。どうかこの教会を通して、全日本であなたが栄光を受けますように。ここにいる人すべてが、あなたの栄光を運ぶことができますように。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。

このみ言葉はとても特別な理由があると思います。ルカの十一章のみ言葉は、悪魔を追い出した後に、神さまをそこにお招きすることについて語っています。霊的戦いの一つの過程の段階は、「神さまの臨在をお招きする」ということです。私が日本に来て、物理的にこの部屋に、新城教会にいることができます。しかし互いに無視することもできるわけです。全く繋がりがないまま、ここにいることもできます。しかし日本、特にこの新城教会は、もてなしが素晴らしいです。だからここにいながら、ここにいることがとても楽です。互いの存在を認めることが容易です。
その同じことを神さまと共にすることが大切です。神さまはどこにでもおられます。神さまを礼拝し始めるたびに、存在を認めます。でも、それを普通に生活している中でも行う必要があります。学校にいたり、仕事をしていたり、家にいたりしても、神さまがおられるという存在を認めることが大切です。
この二つの教会がつながっていることも、神さまの存在を認めることにとって、とても重要な要素です。私たちがつながっていることにおいて、とても大切な召しがあります。
アメリカ人はとても声が大きくて、今回来た連中は、アメリカにいても、特にうるさくてクレイジーな人たちです。アメリカだと自由がありすぎて、はじけすぎちゃいます。
でも、一緒になって、アメリカ人と日本人が共に礼拝する、共に賛美する時には、特別なことが起きます。過去だったらとてもありえないことです。難しいことだったと思います。七十年前、関係は最低最悪でしたね。
私はつい最近まで、ベトナムにいました。家から離れて三週間が経とうとしています。ベトナムでも戦争がありましたので、アメリカ人としてそこにいるということは、とても難しい感じがしました。ベトナムでは牧師相手に、一つの聖会で話をしましたが、東南アジア全体から牧師たちが来ましたが、その多くがベトナムとカンボジアから来ました。いつも「あなたの国に、多くの爆弾を落としてごめんなさい」と言い続けている自分がいました。
イエス様がいなければ、本当に破壊が多いです。そしてそこには一致はありません。悪魔が互いを用いて、互いを滅ぼす計画があるのです。こんなに違っていても、言葉が通じなくても、私たちが一緒になっていく時に、神さまの栄光が現されます。神さまが私たちを世の中が見る時に、そこに神さまの栄光が現れます。これが本当に世界にとってすごく良い証しになります。
世界にはいろんな問題が満ちています。全世界にたくさんの問題があります。どの国をとっても、問題を作ったり、問題を受けたりしています。自分たちの目がイエス様に向いていない時には、自分のことしか見えないからです。そうする時に、悪魔が私たちの中に入って来て、私たちを操る扉を大きく開くのです。でもイエス様を見る時に、一緒になる時に、その扉が閉ざされます。本当の解決がある、本当の希望があるということを、一致を通して全世界に見せることがどれほど素晴らしいことか。神の国の市民権を持っているということは、何にもまさる本当にすばらしいことです。何があっても神の国においては、私たちは安全です。このように一緒になっていく時に、そこには希望があることを、皆に見せることになります。それが大きな全体像です。

個人の人生においても、そのピクチャーがあります。何があっても苦しまなくても良かったら、どれほどすばらしいでしょう。問題がなかったら、どれだけすばらしいでしょう。ここに問題が全くないという方、いますか?そんな嘘をつける人に会ってみたいと思います。いつも何かの問題が起きている可能性があります。
オースティンは今三十歳ですが、二十八歳で癌になることは本当に大きな問題でした。それは決して喜びではありませんでした。癌になったり、同時に赤ちゃんが産まれたり、私も膵臓の手術を受けました。イエス様が手術を通して、私が将来、癌にならないようにしてくれました。今六十歳ですが、手術後、医者が三十年保障を言い渡してくれました。
また、クリスマスの時期に、写真に写っていた姉ではなく、もう一人の姉が亡くなりました。
ハイト家はこの二年半の中で、喜ばしくないことが多くありました。トレバーも言っていましたが、イエス様に目を向けていなかったら、本当に希望はありませんでした。時には本当に大変でした。本当に難しかったです。
でもクリスチャンだから、何があっても「希望がある」と言えます。特にトレバーとオースティンにとっては、本当に大きな戦いの中で、神さまの栄光を現す素晴らしい機会となりました。

大きなチャレンジがある時は、周りの人に神さまの栄光を現わす貴重な機会です。私たちはイエス・キリストの平安と喜びを持つことができるからです。
自分がもし人間ならば、必ず間違いを起こします。私が今朝起きた時にはすべてが完璧でした。今日起きた時は罪がありませんでした。完全な形でイエス様の前にいました。でもそこから下り坂ですね。私は罪人です。問題を起こします。わがままです。壊れています。
でもそのような間違いがある時には、イエス様の恵みが現されます。そうすると皆がイエス・キリストの赦しが人生にあることを見ます。私たちがへりくだって、「私は砕かれています。私はイエス様の赦しを必要としています。」ということを人に見せることができる時に、その人たちも希望を持つことができます。何かを隠したりとかする必要はありません。私たちの心の中の過ちだったり、罪だったり、イエス様がそのために死ななかった問題は一つもありません。
私たちが成功している時はイエス様が栄光を受けます。でも私の場合はクリスチャンとして成功している時に、自分が高ぶってしまいます。「とても良い日でした!クリスチャンのやり方が分かった!これを毎日すれば完璧です!」と、自分が霊的なんだと自分を礼拝したりします。アメリカ人だけなのか、日本人はへりくだっているので、どうか分かりませんが、自分自身の完璧さが偶像になります。「私、霊的でしょう。私のほうが上手でしょう。あなたのためにお祈りしよう。」と、自分がそういう態度になる時には、他の人を裁いてしまいます。自分を防備します。「私は完璧だ。あんたは違う。」と。そうすると、神さまの栄光が私の人生とか、自分を裁いている人たちの間では現れなくなります。

もしかしたら、次のような問題は日本では起きないかもしれません。それは、アメリカでは夫婦はよく喧嘩します。日本ではありませんよね。夫婦喧嘩はないですよね。すごく長い間、私と妻のロビンは別々の車で教会に通っていました。日曜の朝、同じ車にいると、必ず喧嘩をして、その後に説教をしないといけないので、土曜日の夜から「僕に話しかけるな」と言いました。でも、イエス・キリストが私たちの夫婦関係の中にも恵みをもたらし、赦しをもたらし、皆もそこでイエス様の栄光を見ることができます。
でもそこで何が難しいかというと、へりくだることです。私は自分だけでは十分ではない。イエス・キリストだけが十分です。私が成功するのは、私が満たされるのは、イエス・キリストのゆえだけなのです。
こういうことが言えると、自分が完璧に見せるとか、霊的に見せるということに費やさなくても良くなります。今まで自分を完璧に見せるために使っていたエネルギーを、逆に神さまを礼拝するために使うことができます。神さまの臨在をお迎えするために、神さまに仕えるために、そのエネルギーを使うことができます。
そうする時に、私たちの人生が自分が望んでいたよりも、もっと多くのもので満たされます。自分が自分で作る人生よりも遙かに偉大なものです。

時には自分が神さまを理解できていないことが、本当に幸せだと思うことがあります。よく考えてください。自分が理解できる神さまが良いですか?それで満足しますか?その神さまについてすべてを知ることができたら、そんな神さまが良いですか?自分が神さまについてすべてを理解できたと思った時には、自分自身が神になっているのです。私たちが、神さまより小さい存在だということを受け入れる、それで幸せになることがとても大切です。神さまは完全、私たちは砕かれています。それが分かる時に、敵に勝利することができます。自分の力のゆえではなく、イエスが共にいて、イエスが力強いからです。そして毎日、イエス・キリストと共に歩むことができるからです。
自分の人生のすべての瞬間、砕かれた時にも、イエス・キリストの臨在を迎え入れる生き方を学ばなければいけません。自分がクリスチャンになって、悪魔を自分の人生から追いやった時に、その代わりにイエス・キリストを迎え入れなければいけません。

アメリカ人は昔、今も流行りかどうか知りませんが、日本に来て住むことが好きでした。今は同じかどうか分かりませんが、一つの伝統があって、日本人は一つの家から別の家に移る時に、全ての家具を捨てます。その家具が外に置いたままになっていますよね。アメリカ人が見て、「やった!タダで家具がもらえる!」と行くわけです。日本人は新しい家に入る時に、すべて新しいのが欲しいから、新しい家具にします。
クリスチャンになった時も同じです。古いものを全て一回捨てて、その代わりに新しいものを持ってこないといけないのです。私たちが住んでいる所、私たちの心にイエス様が新しい家具で、自由自在に模様替えをする権利をあげなければいけません。しかしそれが難しい時があります。

ヨシュア記三章一節〜八節のみ言葉を読んで終わりにしたいと思います。

『ヨシュアは翌朝早く、イスラエル人全部といっしょに、シティムを出発してヨルダン川の川岸まで行き、それを渡る前に、そこに泊まった。三日たってから、つかさたちは宿営の中を巡り、民に命じて言った。「あなたがたは、あなたがたの神、主の契約の箱を見、レビ人の祭司たちが、それをかついでいるのを見たなら、あなたがたのいる所を発って、そのうしろを進まなければならない。あなたがたと箱との間には、約二千キュビトの距離をおかなければならない。それに近づいてはならない。それは、あなたがたの行くべき道を知るためである。あなたがたは、今までこの道を通ったことがないからだ。」ヨシュアは民に言った。「あなたがたの身をきよめなさい。あす、主が、あなたがたのうちで不思議を行われるから。」ヨシュアは祭司たちに命じて言った。「契約の箱をかつぎ、民の先頭に立って渡りなさい。」そこで、彼らは契約の箱をかつぎ、民の先頭に立って行った。主はヨシュアに仰せられた。「きょうから、わたしはイスラエル全体の見ている前で、あなたを大いなる者としよう。それは、わたしがモーセとともにいたように、あなたとともにいることを、彼らが知るためである。あなたは契約の箱をかつぐ祭司たちに命じてこう言え。『ヨルダン川の水ぎわに来たとき、あなたがたはヨルダン川の中に立たなければならない。』」』

新城に来た最初の頃に、開先生と典子さんがみ言葉を分かち合ってくれました。「その土地に入って行きなさい。恐れを持たないでください。」という、ヨシュア記のみ言葉をいただきました。色紙みたいなもので、日本語で書いてあって、彼らは覚えていないかもしれませんが、まだ持っています。

ヨルダン川の岸にいて、約束の地に入ろうとした時に、ヨシュアは皆が天幕を張っている所を歩いて、「準備しなさい。今から難しいことをしようとしていますから。領土を変えます。異文化から神さまの地に入ります。私たちは今から文化を変えます。レビ人がこの契約の箱を運んでこの川を渡ろうとする時、ついて来なさい。神さまの臨在、契約の箱が行く時には、進んで行きなさい。」と言いました。レビ人というのは、神さまから特別に選ばれた使いです。
クリスチャンとして、レビ人とは私たちを現しています。このレビ人は、選ばれて神さまの臨在を運ぶ人たちでした。私たちもクリスチャンとして選ばれて、神さまの臨在を運ぶものです。
でもみ言葉では、「それを運んで好きな所に、どこにでも行きなさい。」とは書いてありません。「やったー!神の臨在があるからどこに行ってもいい!パーティーをしよう!」という感じではありません。「それを運んでヨルダン川に行って、川の中に足を入れなさい。」
先日、たくさん雨が降ったので、今の日本の川の水かさは、とても高いですね。私は三週間家に帰っていませんが、周りの山々は雪が溶け始めて、私の家の近くの川も洪水になりそうなくらい水かさが高くなっています。トレバーは政府の職員なんですが、ワシントン州の中部の辺りのすべての川を管理するような仕事をしています。今は洪水になるんじゃないかと思うくらい水があります。
私は釣りに行くのが好きです。ちゃんとした服を着て、川の中に入ります。でも、今川の中に足を踏み入れたら本当に危ないです。川が私よりも遙かに強いです。釣りをしていて亡くなったというのを、よく聞きます。
ヨルダン川も本当に深く、流れが速い、歩けないくらい危険な川でした。イスラエルの民がこの川に踏み入れると死んでしまいます。
でも神さまは「神の臨在を運んで、この川に入りなさい。」と言ったのです。神さまの臨在を持って、毎日、普段でも、普通の日なんだけど、とにかく今回は危なくて自分が死んじゃうかもしれないような、すごいことをしてほしいのです。
この話、読みやすいですよね。川を渡って行っちゃったと、簡単に読み流すことができます。今日の午後、皆で神の臨在を持って行って、豊川の中に入って行って渡ります。舟は使ってはいけません。橋は使ってはいけません。何もないです。鼻はつまんでもいいです。と言われたら、できないですよね。それが物理の法則を破る行為だからです。
でも神さまはそれをやりなさいと言っているのです。「私の臨在を持って、この地球上の、とても大変な人生に足を踏み入れなさい。」と。このクリスチャンとして生活しにくい文化に、足を踏み入れなさいと。それが日本の文化だったり、アメリカの文化だったりするかもしれません。でも、神の文化は違います。この難しい文化であったとしても、神の臨在があるならば、そこに足を踏み入れることができるのです。
不完全な人間、この契約の箱を運んでいたレビ人は、あなたと同じ、私と同じような、不完全な人間です。神さまの臨在を運ぶに値しない人間です。砕かれた、不完全な人間です。しかし、「踏み入れなさい。」と言われ、彼らはそれをしました。足を入れた時、水が分かれて、「川の真ん中に立って契約の箱を上げなさい。神さまの臨在を上げなさい。」と言われました。「疲れたと思う時まで上げなさい。昼寝したいと思うまで上げなさい。コーヒーが欲しい時まで上げなさい。」とは言いませんでした。
ヤキマのみんなはもう時差ぼけで寝ようとしていますが、み言葉では、この危険な場所で神さまの臨在を上げるのはいつまでと言っているでしょうか。「すべての人が約束の地に渡りきるまで上げなさい。」と書いてあります。
神さまがその日、弱っていて歩けなかったと思いますか?神さまが足を折ったとか?神さまが「今日わたしは怠けているから、みんなわたしを運んで」と言っていたのでしょうか?私たちを必要としていると思いますか?神さまは行こうと思えば、その川の真ん中に立つこともできたのです。やろうと思えば天国から、その川を開くこともできたのです。でも神さまは人間の弱さの中で、自分の栄光を現したいと思って、このようにしました。
そこを渡る他の民が、人間が川の真ん中で神さまの臨在を運んでいることを目撃しなければいけなかったからです。「わたしが神であって、人間が不完全な時にでもわたしは一緒にいることができる」ということを、皆が見なければいけないのです。
これを思い描く時に、強い人たちが契約の箱を持っているのを想像します。もしかしたら泥だらけで水浸しになって、もしかしたら這ったり、かっこいいイメージではなかったかもしれません。でも「はい、やります。」とレビ人が全員言いました。こちら側にいるほうが楽、居心地がいい、川を別に渡らなくてもいいと思ってしまうかもしれません。でも「やります!」と。
みなさん一人一人、神さまはそれぞれに、その川を渡りなさいと言っています。毎日、神さまの栄光を現す機会があります。自分が完全だからではなく、自分が不完全だからこそです。不完全な人間、イエス様を知らない人は、不完全な人たちと共にイエス様がいるのを見ないといけません。不完全な中でもイエス様が歓迎されることを知る必要があります。
不完全であったら、おめでとうございます。イエス・キリストを世界に見せる一番資格のある人です。ここにいる一番大きな罪人、あなたはラッキーです。たぶんアメリカ人の一人、ジョン先生かなと思いますが、本当に幸せです。不完全であれば不完全であるほど、神さまの栄光を現すことができるのです。ハレルヤ!

イエス様、私たちの人生に入って来てくださって、川に私たちを招いてくださることを感謝します。どうかここにいる砕かれた人、ひとりひとり、あなたがリフレッシュしてくださって、神さまの栄光が現れるようにしてください。すべての所で世界を変えていることを感謝します。イエス様の名前によってお祈りします。アーメン。