「真の礼拝者となろう!」

2018年3月25(日)
新城教会牧師 滝元開
ヨハネの福音書 4章23節、24節

『しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。』

 ヘブンリー・キングダムの皆さんの素晴らしい賛美、ありがとうございました!もう一度拍手を!感謝します。四月七日に桜淵で彼らのコンサートがありますので、是非応援にかけつけていただければと思います。その同じ日に、私と家内のコンサートが知立市の原田夫妻のご家庭のガーデンでのコンサートが行われます。お庭のアーモンドの木の花の下でさせていただく予定なのですが、本来ならばその時期はアーモンドの木の花が満開を迎えます。でも今年は桜もアーモンドも開花が早いのです。桜もアーモンドも花がすでに散ってしまっている、そんな中でコンサートということになりそうですが、是非覚えて、祝福をお祈りください。
 リバイバルは、私たちが思っている以上に早く訪れるのかもしれないですね。桜やアーモンドの花が早く咲いているように、リバイバルの訪れが、早く訪れることを信じて、進んでいきたいと思います。一言お祈りさせていただきます。

 ハレルヤ。愛する天のお父様、あなたの素晴らしい御名をあがめて心から感謝します。今日こうしてあなたの御前に心からの賛美を捧げ、賛美礼拝をお捧げできること、本当に心から感謝します。今日もこの賛美のただ中にあなたがご臨在くださっていることを心から感謝します。どうぞ主よ、私たちの捧げるこの賛美、この礼拝を受け取ってください。そして今日もあなたご自身のご栄光がこのただ中に現されますように。
 また私たちのみならず、私たちのささげるこの賛美を通して、この地全土があなたをほめたたえ、あなたを礼拝することができますように。すべての被造物が、主よ、あなたをほめ歌いますように。今、私たちは春の訪れを喜んで迎えています。今、花々が一斉に咲きほこっていますが、主よ、すべての花たちも私たちもあなたをほめたたえます。私たちの思う以上に、リバイバルという花咲く季節が早く訪れることを信じます。どうぞ、そのために私たちに、さらに良い備えをして進んでいくことができるように、あなたの御声に聞いて進むことができるようにお助けください。今からみ言葉を学ぶ中に聖霊様が共にいてくださって、お助けくださいますように。尊き主イエス・キリストの御名によって、この祈り、父なる神様の御前にお捧げいたします。アーメン。

 今朝学びますみ言葉は、ヨハネの福音書四章二十三節〜二十四節です。

『しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。』

 今日のみことばのタイトルは、「真の礼拝者となろう!」というタイトルですが、一人一人、神様によって罪赦されて、贖われて、主のものとされた私たちですが、私たち一人一人が、心から神様を礼拝する真の礼拝者にならなければならない時が来ていると思います。今がその時です!と、このみ言葉にありますので、これからのリバイバルのために、私たちのすべてを捧げて、真の礼拝者としての歩みをしていきたいと心から願います。

 いよいよ、今度の日曜日が四月一日となりますが、「全日本リバイバルミッション」から、「全日本」が取られて「リバイバルミッション」となります。今日、みなさんにニュース等お配りさせていただいていますが、これからの働きが祝福されるようにお祈りください。とってもすばらしいニュースと、裏面はポスターになっていますので、みなさんの家に貼っていただいて、お祈りして、そして共にリバイバルのために進んでいただければと思います。
 「全日本」が取り外され、「リバイバルミッション」となることの中には、これから神様が「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えるように」と、「全世界」へと導いておられることを信じています。しかも人間だけではなくて、全被造物に対して福音を宣べ伝える、その働きが今起こされていることを覚えて、心から感謝します。

 そんなタイミングの中で、今回、ネパール宣教ツアーが行われることを心から感謝いたします。総勢二十五名が今回参加することになりました。是非覚えてお祈りください。実はもう明日から二名が出発します。二人の姉妹が中国経由で、しかも、それぞれ別便で、二箇所の中国経由便で出掛けます。昆明という所で二人が無事合流できればいいのですが、昆明までは、それぞれ一人旅です。是非覚えて祈っていただければと思います。そして明後日、残りのメンバーが韓国経由にて出発となりますので、是非覚えて祈っていただければと思います。
 今回、新城から十六名、その内の二人が中国経由です。その他九名の内、一人はアメリカから、もう一人は韓国から、そしてあと七名は、今回リバイバルミッションとしてオープンになりましたので、日本のいろんな教会から来てくださることになっています。関東からお一人、そして中部地方と、関西地方と、四国地方と、沖縄から、神様がいろんな所から集めてくださって、新しいこの働きが始まっていきますので、主のご計画が成し遂げられるように、ぜひ、覚えてお祈りください。
 特に、この地上の現実的な暗闇の根源のような場所がネパールだと思います。そこに行って新たなる戦いがなされますので、今回、新しいリバイバルの扉が開かれるように、新しく天が開かれて、大きな勝利が訪れるように、そして、この日本、この新城、またアジアと全世界のリバイバルにつながるように、お祈りいただきたいと思います。

 さらに、そんな中で、今日は受付お配りさせていただいた物の中に、小さなカードが入っています。これをご覧いただきますと、「日に七回歌いましょう!」というカードが入っています。これは今回のネパール宣教ツアーのための、とりなしの賛美です。是非お祈りすると共に、今回、賛美していただきたいと思っています。詩篇百十九篇百六十四節、お読みします。

『あなたの義のさばきのために、私は日に七度、あなたをほめたたえます。』

この詩篇百十九篇の記者は、「日に七度、あなたをほめたたえる」と言っていますので、今回、ぜひ一日に7回の賛美にチャレンジしていただければと思います。このカードにはいつ歌うかという時間帯が書かれています。まず朝起きたら一曲歌っていただいて、曲は何でもいいです。賛美以外は駄目ですが、何でもいいので、みなさんが聖霊様によって示される歌を歌っていただいて、そして朝食の前に一回歌ってください。そして、午前は十時。アラームを十時にかけておいていただいて、仕事中の方は心の中で歌ってください。大声で歌うことのできる方は大声で歌っていただいて。そして次は昼食前に賛美してください。その次は、夕方四時ですね。これはザワメキの同刻プレイズが毎日夕方四時に行われています。今週は「光のある間に」ですが、その曲に限らず、みなさんが示される曲を歌ってくださればいいです。そして、夕食前、就寝前ということで、これで七曲になりますので、「日に七度、あなたをほめたたえる」ことができます。これを今回のネパール宣教ツアーに向けて、是非賛美していただき、そして主の御業に心から期待していきたいと思います。

 特に今年は「彼らに主の名をほめたたえさせよ!」というテーマが与えられています。「すべての被造物に主の名をほめたたえさせる」ためには、まず私たち一人一人が歌わなかったら、彼らにほめたたえさせるどころではないと思いますので、真の礼拝者とさせていただき、歌い続けていきたいと思います。

 今回のネパール宣教ツアーのために、神様がみなさんの唇に賛美を与えてくださって、そしてネパールに行ったその一人一人が、ネパールに行ったその地に足を踏むだけで、その地が賛美するようなことが起こされるように、是非覚えてお祈りください。
イザヤ書五十五章十一節〜十二節、

『そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。まことに、あなたは喜びをもって出て行き、安らかに導かれて行く。山と丘は、あなたがたの前で喜びの歌声をあげ、野の木々もみな、手を打ち鳴らす。』

 こういったみ言葉があります。今回のツアーも主によって遣わされて、そして喜びを持って安らかに出て行き、そして山を歩いて登って行く時に、山の木々も主を賛美して、主の帰られる道を備える、そんな働きになればと心から願っています。

 本題にいきたいと思いますが、「真の礼拝者となるために」そして、「彼らに主の名をほめたたえさせる」ための働き人になるための学びをしていきたいと思います。
 賛美には本当に大きな力があるので、賛美を通して、この国が変わる、世界が変わるということを、神様は終わりの時代にはっきりと示してくださっているのではないかと思います。
 みなさんのお祈りに支えられて、ザワメキの働きもいろんな所へ導かれ賛美をさせていただいています。本当に賛美の中にある力というのを目の当たりにすることがたくさんあります。
 先週も関西をずっと回ったのですが、三日間で四つの集会だったのですが、一人の兄弟がずっと一緒に付いてくださいました。兄弟というか、まだクリスチャンではない方でしたが、ちょっとやんちゃをしていたような方で、その叔父さん叔母さんに連れて来られたのですが、叔父さん叔母さんはクリスチャンで、私は初めてその叔父さんとはいろいろとお話ししたのですが、会った途端、叔父さんがこう言うのです。「私は八歳の時から、その道に入ったんですよ。」と言うのです。その道ってどの道かなと思ったら、ヤクザという道に入って、そこから足を洗って、そして「今は主のためにがんばっていやす。」と、本当にドスのきいた方々が一緒にぐるっと回ってくださいました。そして関西の方、すごく元気がいいのです。「車で誘導します。」とか言うのです。私たちはだいたいGoogle Mapという携帯のアプリでどこにでも行くので、誘導してくださらなくてもいいのですが、「付いて来てください。」と言われるので、言われる通り付いていきました。そして高速を走るのですが、高速を走り出したら、「付いて来てください。」と言ったのにもかかわらず、ブーンッと思いっきり走るのです。そしてまぁ本当にすごいんです。あぁ!!ってあっちこっちなりながら、私たちも懸命に後を着け、やっと着いた・・という感じの、そういった結構な珍道中でした。
 でもその一緒に付いて来た青年はまだクリスチャンじゃなくて、茶髪の子で、「助けに来ました。」と言うのですが、半ば寝ているのです。「あ、荷物、運びます。」とか言って、最初運んでくださってやっていたのですが、でも集会は毎回出るのです。そして、その叔父さんに言わせると、「あいつは時間さえあれば寝てるんだ。」とか言って、その集会以外はずっと寝ているのです。
 さらに、今日は一緒にお風呂に入りましょうということで、銭湯に行ったら、「僕はいい。」って彼は言うのです。同じ服を彼はずっと着ているのですが、「めんどくさいんで風呂は入らないです。」と彼は言うのです。でも、その彼が賛美の中で、どんどん変わって行ったのです。一つ、二つ、三つ集会重ねる度に彼に変化が訪れたのです。最終日、日曜日の朝、彼は来るのかなと思っていたら、来た時にはもう以前の彼ではないのです。ぴかぴかの綺麗な服で、「おはようございます!」と、表情まで変わって、もはや以前の彼の表情ではないのです。本当に喜んでおられました。いや〜賛美ってすごいですね!って、彼を見て思いました。賛美の中に働かれる主、人の心を変えて、姿格好、言葉使いまで変わったので、いや、神様はすばらしいなということを今回もつい先週のツアーの中で感じました。
 私たちがそれぞれの場所で賛美をする時に、神様が動いてくださいますので、そのことを信じ、今年は「彼らに主の名をほめたたえさせる」ために、まず私たちがまず「真の礼拝者」となって神様を賛美するものにさせていただきと思っています。私たちが心から、主を賛美し礼拝しはじめていく時に、私たちの生活が変わって、そして、それぞれの地域が変わるということが、これから起こされるということを信じ、歌っていきたいと本当に思っています。

 今日の週報の中に書かれているのですが、四月八日の日曜日から一週間は「賛美ウィーク」と書かれています。私、最近一つのことが示されて、もっと神様を本当に心から賛美したいなぁと思うようになりました。今まで以上に。先週の礼拝でも語られていましたけど、「わがたましいよ。主をほめたたえよ。わが内にあるすべてのものよ、聖なる御名をほめたたえよ。」というみ言葉が、朝よく心に巡っているのです。朝起きると、「わがたましいよ。主をほめたたえよ。」と、み言葉が巡るので、あぁ、私のすべてが主をほめたたえますように!と、朝、そんな思いを持っていつも目を覚ますのですが、そんな時に神様への賛美の香が、この教会で毎日捧げられ続けたら、どんなにいいかなぁと思うようになりました。やがては三百六十五日、毎日神様を賛美して、神様を礼拝する教会になっていったらいいなぁ!と、すごく思うようになりました。
 そんなことで、それを教会のスタッフ会でお話をしたら、まず一週間やってみようということになりました。ですから、ぜひみなさんもご参加いただければと思います。二十四時間ずっとやるわけではなくて、今回は毎日夜八時から一時間だけスタジオで行われます。日曜日から始まって、月火水木金、そして最終日の土曜日だけはこちら会堂で、七時間行われます。エリコの城壁が崩されたかのような賛美が捧げられればと願い、一週間連続の賛美集会を四月八日からしますので、是非ご参加いただければと思います。
 そして、さらに、七月は「賛美月間」となります。一ヶ月間、そういった賛美集会をずっと続けようということになりましたので、是非賛美していただければと思います。
 さらに、また、リバイバルミッションでは、五月の連休に四十八時間連鎖賛美が行われます。その名も、「リバイバルプレイズ48」という賛美集会です。四十八時間ひたすら歌うという賛美集会です。神様ご自身が賛美の中でご臨在くださるという、このみ言葉に立って歌います。そして賛美の中で天が開かれるっていうみ業を起こしてくださることを期待して賛美していきたいと心から願っています。こちらにも是非ご参加くださり賛美していただければと思います。

 話は変わりますが、お祈りいただいて、二月にはタイと香港に行かせていただきましたが、その時も本当に祝福されました。特にタイは山間部の民族の所を巡りました。出発前に宣教師の先生から電話がありました。「今回はサバイバルミッションになりますのでよろしくお願いします。」と言われました。リバイバルじゃなくてサバイバルだというのです。どうなっちゃうのかなと思って行ったら、本当にサバイバルなツアーでした。車に今から乗りますけど、ちゃんと掴まってくださいね!と、ガタガタの道を入って行って、ネパールと同じですが、いろんなライフラインのない所での宣教でしたが、でもすごく祝福されました。
 神様はそれぞれの場所の天を開くということをしてくださいました。それぞれの部族の皆さんが「賛美の中で天が開かれるという働きってあるんですね!」と、それぞれの場所でおっしゃるのです。そしてそれぞれの場所が、「次回来た時はこうしましょう!」と、皆さん言われるので、またここに来るのかな?と思いながら、賛美をさせていただきました。
 アカ族という部族の村にも行かせていただきました。アカ族というのは、そもそも日本人のルーツだと言われる所です。そこのおばあちゃんたちとお会いして、「おはようございます!」と言ったら、みなさんお歯黒という、歯が黒いのです。そしてその村の入口には鳥居のようなものがあったり、日本のルーツを感じる場所でした。「私たちはリバイバルのために来ました。そして賛美を持って、アカ族の天が開かれるように歌います!」と、一緒に歌いました。そして、「この日本のルーツであるみなさんの町が変わると、私たちの国も変わるので是非祈ってください。」と言うと、みなさんもすごく喜んでくださって、「はい!分かりました!」と言って、そのおじいちゃんおばあちゃんたちと一緒にダンシングをして帰って来ましたが、賛美の力を信じて歌うことができて本当に感謝な時でした。

 「真の礼拝者」となるためには、まず私たちが主を賛美する者でなかったらいけないと思います。ローマ人への手紙十二章一節、

『そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。』

と書かれています。私たちが霊とまことを持って神様を礼拝する真の礼拝者となるためには、『あなたがたのからだを』、私たちのこのからだを神様に受け入れていただく、聖い生きた供え物として捧げる。神様への生け贄というか、私たち自身が供え物となることが必要なのです。
 ですから、二十四時間、私たちは神様への供え物なのです。二十四時間が神様を礼拝する、そのような者となっていかなくてはいけないと思います。

 私たちは口から出てくる言葉が、神様への礼拝であり続けていきたいと思います。ヤコブ書三章九節~十一節、

『私たちは、舌をもって、主であり父である方をほめたたえ、同じ舌をもって、神にかたどって造られた人をのろいます。賛美とのろいが同じ口から出て来るのです。私の兄弟たち。このようなことは、あってはなりません。泉が甘い水と苦い水を同じ穴からわき上がらせるというようなことがあるでしょうか。』

と書かれています。
 私たちのこの口を、やっぱり神様のために使わなかったらいけないと思います。良い言葉も出すけど、悪い言葉も躊躇なくどんどん出すという、そういう生活ではなくて、これからは、真の礼拝者として、私たちの口をさらに聖別しなかったらいけないんじゃないかなということを、今、とても強く教えられています。

 つい先日、毎週行われている、中高生の祈りの集会、ユースプレイヤーがあったのですが、そこで中高生の子たちが、祈りの課題をいろいろ言うのですが、彼らがこう言いました。「今、卒業式や入学式の季節で、どうしても学校で君が代を歌わないといけない。だから、君が代を歌わないで済むように歌ってください。」と言うのです。彼らはそれぞれの場所で、それぞれが戦っているのです。
 それで、「どうしているの?」と聞いたら、一人の兄弟は「僕は歌っていない。」と言うのです。先生には、なんて言うの?と聞いたら、「うちはキリストだから歌わない。」と、そう言って頑張っているというのです。そして他の子に聞いたら、「口パク。」とか言っていましたが、口パクはいいのかな?と思いました。
ローマ人への手紙十章十節、

『人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。』

と聖書にあるので、私たちの口の言葉の告白って、すごく大切なのです。
 そして、そんな話の中から、どうして君が代が駄目かというのを先生に説明したらいい!と言いました。「うちはキリストだから。」だけではなくて、「僕はイエス様を信じている。君が代は歌えない。どうしてかと言ったら、君が代は天皇を崇拝する歌で、『あなたさまは千年も万年も永遠に生きながらえますように』という、直接的の悪しき礼拝の歌だから。イエスさま以外の、他の神への礼拝の歌だから、僕はイエス様を礼拝するんで、歌えません」って言えばいいと言いました。もしも言えなかったら、教会から私たちが行って説明するからと、そんな話をしました。この季節、祈ったほうがいいと思います。この君が代の背後に働くサタンの力が砕かれるように。そもそも、戦前の教育の中では、はっきり、「君が代」のは天皇をほめたたえる歌で、国民が喜びを持って祝うべき歌だと明記されていたのが、それが戦後は、GHQが「国旗の掲揚」も「君が代斉唱」も禁止したのですが、いつの間にかそれをまた持ち出して、そして今や国歌にまでなってしまっています。日の丸というのは他でもなくアマテラスを指しており、その日の丸を仰ぎつつ「君が代」を告白するという、すごく悪しき契約をする悪い歌なのです。その悪しき縄目が断ち切られるように、祈っていただければと思います。
 君が代って不思議なのです。十一章節なのです。普通はだいたい十二とか十六とか十八とか、割り切れるのですが、どういうわけですかね。十一章節のあの束縛。なんておかしな歌だなと思わないでもないのですが、本当にそういった私たちの唇から出す言葉が、ましてや神様でないものをほめたたえるような言葉を口から出すことがないように、そして私たちの口から賛美ではなくて人を呪うような言葉が出ないように進んでいかなかったらいけないなと思っています。

 つい先日、私は一つの町に娘と二人で行きました。それで買い物に行って、車を駐車場に停めて、買い物をした後に、さぁ帰ろうと、車で出発しようと思ったら、道路が混みあっていて、その上、信号でみんなが停まっていたので、すぐに出られませんでした。さぁ出ようと思って、今度は出られるかなと思ったら、そこの町の方々、どんどん詰めてくるのです。そうきたかと思いつつ、だから、私はちょこちょこっと頭を出すのですが、そうしたら一人の方が、その姿を見て、随分スペースを空けて停まってくださったのです。そして、私を入れてくれようとするんだな、あっ!この人、いい人だなと思ったのですが、信号が青に変わったその瞬間に、何と、その車、ビューンと走り行って、まぁ本当にもうー!と、つい口から悪い言葉が出ようとしたのですが、さらにその人だけじゃなくて、なんだこの町!と、町に対してまで悪い言葉が出そうになりました。
 そうしたら、私のその姿を見ていて、私たちの横にもう一台、車が停まっていました。その車には一人のじいさんが運転していて、そのじいさんが、私に向かって、何を言い出したかというと、窓を開けて、「おい!もっと勝手に中に入ればいいんだ!」と、なんか喧嘩をうってくるのです。勝手に入る?勝手に入れないからこうなったんじゃないか!みたいなことを私は言おうとしましたら、私の隣にいた娘が、何を思ったのか窓を開けて、「ヘイ!ユー!」と言い出したのです。それで何を言い出したかなと思ったら、なぜか英語でじいちゃんに向かって、「わー!だめじゃないの!」みたいなことを、日本語じゃなくてどういうわけか英語で、じいちゃんに思いっきり彼女の怒りをぶつけていました。私もちょっと頭に来つつも、青になって道路に入りました。でも、そのおじいさんはまだ道路に出られずにいて、でも、おじいさんも入りたいのです。
 人の心としては、「このじいさんを入れてやるものか。」というのが普通、人の持つ心理だと思うのですが、そうしたら横にいた娘が、今度はなぜか、「お父さん、入れてあげよ。」と言ったのです。「は?入れてやる?うーん。わかった。」と言って、入れてあげることにしました。そうしたら、そのおじいさん、娘にいろんなことを言われて、目も合わせられないのですが、それで私が入れてあげてと言われたので、どうぞと言ったら、じいさんの顔の表情が一変して、「ありがとう!」と、すっと行くのです。その時に私はなんか一つのみ言葉を思い出しました。「復讐はあなたがたがすることじゃない。」と。神様がすることだと。イエス様の方法の復讐ってすごいなと思ったのです。私たちはここで、売られた喧嘩は買って、うわーっと言い出しそうな私に対して、そこはまず娘が英語で応戦していたわけですが、その後、私は、じいさんを入れるもんか!と思っていたら、「入れてあげよう。」と言って、あれは神様でしたね。入れてあげたら、すごく嬉しそうに、申し訳なさそうに、頭下げて、にこやかに行きました。

 私たちの日々の生活の中で、サタンはなんとかして、私たちの口から賛美じゃなくて、呪いの言葉を語らせ、現実的な破壊をもたらそうとしますが、でも、神様の方法は私たちの方法とは違うので、この唇から呪いを出さない者となっていきたいと思います。マタイの福音書五章九節には、

『平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。』

と書かれているので、私たちは本当に心から主を賛美する真の礼拝者として、平和をつくる、そんな歩みをして、私たちの二十四時間、神様への賛美、「わがたましいよ。主をほめたたえよ。わが内にあるすべてのものよ!聖なる御名をほめたたえよ!」と、私たちの心から賛美していく時に主の栄光は輝きだすのです。コノヤロー!となっていたら賛美できないので、やっぱり本当に神様の子としての平和を保った歩みをしていきたいと思います。ヘブル人への手紙十二章十四節、

『すべての人との平和を追い求め、また、聖められることを追い求めなさい。聖くなければ、だれも主を見ることができません。』

 私たちの生活の中で、主を仰ぎ見る。賛美の中で主を見させていただくためには、やっぱり聖くなければいけません。マタイ五章八節、

『心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るからです。』

と書かれているので、私たちの心も、口から出る言葉も、主を賛美し、本当に聖き歩みをしていきたいと思います。ですから、心からの賛美を捧げる者として、まずこの唇を聖める、そんな歩みをしたいと思います。

 つい先日、ビリーグラハムが亡くなりました。世界的伝道者です。本当に偉大な方が亡くなったのですが、私、ちょっとだけ不思議なことがありました。
 ある日、それが二月二十一日の朝だったのですが、ビリーグラハムのことを思い出していました。そして彼が言ったいろんな名言というのがいくつかあるのですが、彼が言った一つの言葉の中で、「私は霊の糧を食べる前に肉の糧を食べない。」と言った言葉があります。「霊の糧を食べた後に肉の糧を食べる。」だから、聖書を読んだ後にブレックファストを取るという言葉を、朝、思い出していました。そういえば、ビリーグラハム、そんなこと言っていたなと思ったら、なんとその日に、彼は天国に行ったのです。いや、これなんか神様から私に対して「もっと聖書をしっかり読みなさいね。」と言われた言葉かなとそう思って受け取ったのですが、詩篇百十九篇九節に、こんな言葉があります。

『どのようにして若い人は自分の道を清く保つことができるでしょうか。あなたのみことばのとおりに道を守ることです。』

とあります。

 今のこの世の中は本当に汚れた世の中で、また、誘惑がいっぱいある世の中だと思います。一昔前だったら、届かなかった誘惑の場所がすごく身近になってしまったと思います。スマホとかコンピューターとか、頻繁に使用していますね。今も携帯を持って礼拝を守っておられ、み言葉を開いておられる方もおられると思うのですが、み言葉を開きながらふと気づくと、違うサイトも開くことができちゃうのです。聖書のみ言葉!という時に違うことを調べて、今日のランチどこに行こうとか、そういうことができてしまう時代で、それくらいならまだしも、この窓から悪い道にすぐに行ける、とっても大変な時代にあると思います。汚れたものがすぐに入って来てしまうのです。
 それをチョイスするか、しないかは、自分次第なのですが、しかし悪いものをチョイスすると、結局そこがサタンの進入路になって、私たちの人生に、さらに私たちの家庭にサタンが進入し、私たちの人生そのものが崩されてしまい、神様の栄光のため!リバイバルのため頑張ります!とか言いつつも、サタンに足場を与えてしまい、神様の栄光どころか、サタンに大切なものを奪われてしまうことになってしまうので、私たちは本当に、み言葉によって守っていただかなければいけないという時代のただ中にいると思います。
 ですからぜひ、私たち一人一人、若者からお年寄りのみなさんに至るまで神様を賛美すると共に、心から主の御声を求めて、み言葉を聞く、そんな歩みをしていかなかったらいけないと思います。

 モーセについて出エジプト記の中で書かれていますが、モーセはすごく主と近かったということが書かれています。出エジプト記三十四章十一節、

『主は、人が自分の友と語るように、顔と顔とを合わせてモーセに語られた。』

と書かれていますので、モーセがイエス様と顔と顔とを合わせて語り合った仲だというのです。それも友と語るように。私たちもそのような者になりたいと本当に思います。だから主のみ言葉に聞いて、「私はあなたの友だよ」とイエス様に言ってもらえるような歩みをさせていただきたいと思います。ヨハネの福音書十五章十四節、

『わたしがあなたがたに命じることをあなたがたが行なうなら、あなたがたはわたしの友です。』

と書かれています。モーセは主の友と呼ばれましたが、私たち一人一人も主のみ言葉に聞いて、そしてみ言葉に歩むなら、「あなたはわたしの友だよ」と、「友としてわたしの夢であるリバイバルを成し遂げてくれないか」と、イエス様はおっしゃっておられますので、そのような者としての歩みをしていきたいと思います。

 真の礼拝者、私たちは一人一人が真の礼拝者となって、私たちの二十四時間、すべてを持って神様をほめたたえる、その時にすべての被造物もほめ歌うということがこれから起こされていきます。
 そしてそれぞれみなさん遣わされた場所で、神様を賛美する時に、その場所が変わるということがこれから起こされることが私たちの思っている以上に早く、今年も早く桜が咲いたように、リバイバル、私たちが思っているより早く、来ちゃった!と、来てから準備するのではなくて、いつイエス様が来ても良いように、またリバイバルという神様の御業が始まっても良いように、私たちは日々、良き備えをさせていただきたいと心から願っています。
 今回はネパールに行く私たち一人一人のためにも、是非覚えてください。本当に真の礼拝者として遣わされていくことができるように、そして私たちがそこに立って、心から主を賛美する時に、本当にその地全域が主を賛美する、そのような働きがその地に起こされるようにお祈りいただきたいと思います。み言葉を以上にします。一言お祈りします。

 ハレルヤ。愛する天のお父様。あなたのすばらしい御名をあがめて心から感謝します。今日、こうして私たち、あなたの御前に賛美をお捧げできる大きな恵みを心から感謝します。今、この終わりの時代に、主よ、あなたが、真の礼拝者を求めておられることを心から感謝します。私たちは霊とまことを持ってあなたを礼拝する、そのような者となることができるように、お導きください。今、あなたがそのようなお一人お一人を求めておられることを感謝します。
 私たちが神様あなたに受け入れられる聖い生きた供え物となることができるように、私たちの唇を聖めてください。心の思いを聖めてください。あらゆるサタンの進入路を主が塞いでくださり、そしてまたみ言葉によって、私たち一人一人が守られますように。日々、主よ、あなたのみ言葉に溢れて歩むことができるように、あなたが私たちを友と呼んでくださるほどに、あなたと親しい交わりをし続けることができるように助けてください。そして私たちのささげる心からの礼拝である賛美が、この全日本と全世界のリバイバルを成し遂げてくださることを信じます。どうぞ賛美に新しい油を注いでください。
 今日もう一度主よ、この礼拝の中で、主よ、天を開いてください。新たな天が開かれますように。今、私たち一人一人に天を開いてください。今、イエス様の御名によって天を開きます!我ら一同の天を開いてください。この新城教会の天を開きます!一人一人の家庭の天が開かれますように。そして今日は天の大軍勢が賛美を共に捧げる天の軍勢が主よ、ここに遣わされますように。共に歌いますように。日に七度、あなたを賛美することができるように、この教会がさらにあなたへの賛美で溢れますように。そして賛美の中にあるあなたの祝福を見ることができるように。天の軍勢が上り下りしますように。そして主の御業が溢れていくことができますように。主よ、感謝します。あなたに心から期待します。主よ、感謝します。今日のこの恵みの時を心から感謝し、尊きイエス・キリストの御名によってこの祈りを父なる神様の御前におささげいたします。アーメン。