「2018年 彼らに主の名をほめたたえさせよ!パート3
 〜『債務証書は無効だ!』と宣言しよう〜」

2018年2月4(日)
新城教会主任牧師 滝元順
コロサイ人への手紙2章12節〜15節

あなたがたは、バプテスマによってキリストとともに葬られ、また、キリストを死者の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって、キリストとともによみがえらされたのです。あなたがたは罪によって、また肉の割礼がなくて死んだ者であったのに、神は、そのようなあなたがたを、キリストとともに生かしてくださいました。それは、私たちのすべての罪を赦し、いろいろな定めのために私たちに不利な、いや、私たちを責め立てている債務証書を無効にされたからです。神はこの証書を取りのけ、十字架に釘づけにされました。神は、キリストにおいて、すべての支配と権威の武装を解除してさらしものとし、彼らを捕虜として凱旋の行列に加えられました。

 ハレルヤ!今日も、共に主を礼拝できますことを、心から感謝します。早くも二月になりましたが、まだまだ寒さは続いています。インフルエンザが大変流行っているみたいです。今朝は、司会が信弘先生だったのですが、インフルエンザB型で、今寝込んでいるそうです。スタッフもインフルエンザで寝込んでいたりと、どうも被造物との和解、微生物との和解がなっちゃおらんなぁと、もっと祈らなきゃいけないと思っています。新城教会の兄弟姉妹は、インフルエンザにはかからない!、インフルエンザ・ウイルスとはお友達だと言えるまで、祈り続けなくてはいけないと思っています。お互いに祈り合い、支え合っていきたいと思っています。

 二月は、私にとって大変思い出深い月です。なぜなら一九九二年二月十三日、愛知県民の森で祈っている時、激しく聖霊様が訪れてくださり、私も変えられたからです。本当に変わったみたいです。自分ではあまり気づいていないのですが、姿形は変わったと思いますが、内側も変わったみたいです。以来、「本当に順ちゃんは変わったね」と言ってくれるようになりました。聖霊様が私に触れて下さった、今から二十六年前の出来事ですが、懐かしく思い返します。
 その時に与えられた祝福と聖霊の火は、今も私の心の中に、燃えています。しかし聖霊が注がれた頃、それがどういう意味かあまり分かっていなかったです。何しろ聖霊を受けるなら力をもらって、いいことがあるくらいにしか考えていませんでした。
 しかし、徐々に主は、その理由を教えて下さいました。なぜ聖霊が注がれる必要があるのかというと、今年の主題にも掲げさせていただいている、全被造物に福音を宣言し、「彼らに主の名をほめたたえさせよ!」という役割があるからです。人間がなぜ、特別扱いされるのかというと、神が造られた被造物全体に対し、聖霊の力に満たされて、「彼らに主の名をほめたたえさせる」大きな役割があるゆえに、聖霊の油を注ぎ、必要な知識、経験が与えられるのです。神が造られた被造物の代表として、恵みが与えられていることに気づき、あの時に注がれた聖霊の油注ぎは、人類だけでなく、神が造られた被造物全体に及ぶものであることを、意識して、毎日を歩ませていただいています。

 そんな中で、今年与えられているみ言葉は、コロサイ書二章の今読んでいただいた箇所です。これは、イエス・キリストを信じてバプテスマを受ける時に、どのようなことが人生に起こるのかを凝縮して語っている重要な箇所だと、私は認識しています。イエス・キリストを信じてバプテスマを受けるのは、イエス様の十字架と復活を表します。イエス様は死を打ち破った方ですから、ただ者ではないです。そのイエス様の十字架の死と復活を、なんと瞬間的に辿るのがバプテスマです。

 その中身は、第一に、ユダヤ人は割礼という、奇妙な儀式を受けないかぎり、救われませんでした。しかしその儀式を受けずして、バプテスマを受けるなら、割礼を受けたのと同じ扱いになるわけです。
 今私たちはユダヤ人のように、一生懸命に律法を守ったり、割礼を受けたりしなくとも、ただ信じてバプテスマを受けるだけで、救われるのです。

 次に、「罪が赦される」と記されています。私たちは罪深い者ですが、イエス様が私たちの罪の身代わりとなって、十字架についてくださったゆえに、犯したすべての罪は帳消しです!と告げています。
 罪には、必ず報いがあります。人は日々、それを体験しています。人が罪を犯したら、社会においても、その報いは大きいです。犯罪を犯したりしたら、その後の代償は、大きなものがあります。

 十年以上前のことになりますが、私は車を楽しく運転していました。車の性能があまりにも良すぎたのか、右足にちょっとだけ力が入りました。すると突然、旗を持ったおじさんが出て来て、なんだろうかなと思ったら、スピード違反でした。そこは三十キロ制限だったのです。三十キロ制限の所を、三十キロで走っている人なんて誰もいないのに、私だけ捕まってしまったのです。しかし、その後がひどかったです。その場で切符を切られないから、裁判所に行けと言われました。そして「判決。被告は…」とか言われて、五万円くらいの罰金をもらっちゃったことがあります。
 落ち込んで家に帰って来たら、その頃、まだ家に子どもたちもいたのですが、「五万円の罰金が嫌ならば、一日二千円で収監も可能」とありました。相当日数、刑務所に入らないといけないじゃないですか。そうしたらみんな冷たいもので、「入って来たら?メッセージの題材になるよ。」なんて言われて、ちょっと心揺らいだところもあったのですが、金をかき集めて、やっとの思いで助かったわけです。
 それで、ほっとしていたら、続いて行政処分が来て、一ヶ月免停でした。普段よりちょっとだけアクセルを踏み込んだだけなのに、この仕打ちはなんだ!と思いました。捕まったとき、「あなたの職業は何ですか?」と言われるのが一番嫌です。初めは「会社員」とかごまかしていたのですが、その時は、「牧師です。」と答えたら、「牧師さんでも、スピード違反するんですね。」なんて嫌味を言われて、ちょっとした罪でも、あれだけのことがあるのなら、一生で犯す罪は、絶対に赦されっこないと思います。
 しかしイエス様は、それを帳消しにしてくれたのですから、罪の赦しを軽く考えないほうがいいと思います。私たちが犯した全ての罪を赦してくださったのです。本当に感謝しなければいけないですね。
 今日、あなたの犯した罪は、イエス・キリストを信じることによって、すべて帳消しです!それがリストの最初です。

 第二番目は、本日、最もフォーカスを当てたい箇所なのですが、十四節、

『いろいろな定めのために私たちに不利な、いや、私たちを責め立てている債務証書を無効にされたからです。』

 私は何度も何度も、この点について話しているのですが、罪には、債務証書が発行される側面があります。罪を犯す時、ちょうどカーボンコピーの書類にサインするようなものです。スピード違反の時にも、サインさせられました。「あなた、印鑑持っていますか?」と言われて、「持っているわけないよ。捕まるとは思っていなかったから。」と言ったら、「ここにサインしてください。」と言われて、指紋取られました。その書類は、カーボンコピー仕立てでした。一枚は警察に行き、もう一枚を私にくれました。
 罪は二枚仕立てです。一枚は神の前に行き、もう一枚は、不利な債務証書となって、訴える者たちの所に届くのです。訴える者とは誰かというと、悪魔という首領と、悪霊どもという子分たちです。悪魔や悪霊に、債務証書は手渡されます。これが破棄されない限り、責め立てられるわけです。
 イエス様の十字架の勝利の中には、ただ単に、神との関係の契約だけでなく、悪魔と結ばれる契約を無効にする条項が含まれています。しかしこれに、なかなか気づかないのです。

 私は何度も話しているのですが、そもそも罪とは、旧約時代のユダヤ人たちがどう扱っていたかを基礎として、新約聖書につながります。ユダヤ教の最も大きな祭りは、「ヨム・キプール」という祭りです。大贖罪の日とも呼ばれ、悔い改めの日です。
 その日には常に、二頭のやぎが用意されました。その内の一頭は神への生け贄として罪の身代わりとして捧げられました。そしてもう一頭は、祭司が民族の罪、共同体の罪、個人の罪などすべてをやぎの頭に手を置き告白し、背負わせ、「アザゼルのために」と宣言し、荒野に放り出しました。
 アザゼルとは悪魔の名で、悪魔は荒野に住んでいると当時考えられていました。それで罪の赦しが完成したのです。
 ということは旧約時代から、罪には二つの方向性があった事を示唆しています。しかし案外、現代のキリスト教会は、自分と神の関係しか論じていないのです。だから罪を悔い改めても、なにか知らないけれど、どこからともなく、火矢が飛んでくる、攻撃される印象があるわけです。
 「なぜだろう?一生懸命罪を悔い改めたのに、なぜ攻撃されるのだろう?」と疑問になります。教会に行って牧師に聞いても、牧師もそういう理解はありませんから、教会出席率が低いんじゃないですか?とか、献金額が下がったからじゃないですか?とか、適当な理由をつけて、責められるわけです。
 「やっぱ、私が駄目だ…」と、へこんでいるクリスチャンが日本には多いと思われます。罪と共に債務証書が発行されるという事実に気づかないと、それを「無効だ!」と宣言できません。
 神の前に出て、「私は罪人ですか?」と聞くと、「いや、あなたは罪人じゃないよ!」と言われるけれど、なんか調子が悪いということがあります。その理由は何かというと、債務証書です。その事に気づかないと、債務証書のスイッチを切ることができないのです。ゆえに長きにわたり、影響を受ける事になります。
 ということは、クリスチャンになったら、罪が赦されるという、神との関係と、悪魔・悪霊どもと結ばれた、「契約は無効だ!」宣言し、スイッチをオフにすることが大切です。

 二〇〇七年、ハワイで、「ハワイリバイバルミッション」が開催されました。初めての海外ミッションで、なかなか大変だったのですが、この教会の若者たちが現地に出向いて、現地事務所を立ち上げ、一年間、ハワイ教会、日系教会、アメリカ人教会と共に準備しました。大変すばらしいミッションを開かせていただきました。
 その時にいろんな方が協力して下さいました。現地では車が必要です。買うと高いからと思っていたら、「うちの車を使ってください。」と、ある方が、事務所にボルボ車を提供して下さいました。ボルボなんて、いままで乗ったことがなかったのですが、使用させていただきました。
 その頃、現地事務所で働いていたのが、娘のりべかと、信弘先生の娘の泉の二人でした。私たちが空港に着くと、彼女たちがボルボで迎えに来てくれて、事務所まで連れて行ってくれたのですが、泉ちゃんが、私を迎えに来て、「この車ね、なんか座ってると熱いじゃんね。」と言うのです。「そりゃぁ、ハワイだから熱いだら。」と答えたのですが、しばらくしたら、なぜ熱いのか、その原因が判明しました。
 ボルボって、そもそもスウェーデン製の車です。寒い地域で走ることが多い車なので、シートにヒーターが付いているわけです。そのスイッチをオンにしておくと、シート全体がぽかぽかになるわけです。まさかハワイで、そんなスイッチがオンになっているなんて、考えてもみませんでした。だからあの二人、借りてから何か月も、「熱い熱い・・・。」と、おかしな車だと言いながら、運転していたのです。エアコンもきかないとか言っていました。
 私がふっと見たら、シートヒーターのスイッチが光っていました。「ヒーターが付いているじゃん!」と言って、「えっ!そんなものあるの!」と、彼女たちは全然、知らなかったのです。私はスイッチを切ってあげました。そうしたら間もなく、クールになって、それからその車に乗るのが楽しくなりました。気がつくのと、気がつかないのでは、相当大きな差です。
 債務証書も、気がつくか、気がつかないかでは、真夏にヒーターが入っているか否かの差があります。クリスチャンになって走り出したけれど、なんかお尻が熱いというか、調子が悪い、熱っぽい!罪は悔い改めたけど…ってね。

 しかし、後ろに債務証書があるなんて、なかなか気づかないのです。実は一九九二年の二月十三日に聖霊が注がれた時に、主がまず私たちに教えてくださったのが、「債務証書を無効にしろ!」ということでした。
 いくつかのみ言葉と共に教えられたのですが、私は年間一度は読ませていただくことにしているのが、第二列王記四章一節〜七節です。エリシャが油を増やす奇跡を行った物語ですが、第二列王記四章一節〜七節、

『預言者のともがらの妻のひとりがエリシャに叫んで言った。「あなたのしもべである私の夫が死にました。ご存じのように、あなたのしもべは、主を恐れておりました。ところが、貸し主が来て、私のふたりの子どもを自分の奴隷にしようとしております。」エリシャは彼女に言った。「何をしてあげようか。あなたには、家にどんな物があるか、言いなさい。」彼女は答えた。「はしための家には何もありません。ただ、油のつぼ一つしかありません。」すると、彼は言った。「外に出て行って、隣の人みなから、器を借りて来なさい。からの器を。それも、一つ二つではいけません。家に入ったなら、あなたと子どもたちのうしろの戸を閉じなさい。そのすべての器に油をつぎなさい。いっぱいになったものはわきに置きなさい。」そこで、彼女は彼のもとから去り、子どもたちといっしょにうしろの戸を閉じ、子どもたちが次々に彼女のところに持って来る器に油をついだ。器がいっぱいになったので、彼女は子どもに言った。「もっと器を持って来なさい。」子どもが彼女に、「もう器はありません」と言うと、油は止まった。彼女が神の人に知らせに行くと、彼は言った。「行って、その油を売り、あなたの負債を払いなさい。その残りで、あなたと子どもたちは暮らしていけます。」』

 聖書は旧約聖書から新約聖書に至って完成するわけですが、旧約聖書に出て来る物語は、新約聖書の影の面があります。
 「油」と出てきますが、ここではただの油ですが、新約聖書に至っては、油とは、聖霊を意味します。
 ということは、最初に出て来た「油」が、最終的には聖霊を意味するならば、旧約のストーリーを新約的に解釈することが可能だと思われます。
 油を聖霊に置き換え、油が増えることを、聖霊に満たされると置き換えることができ、プロセス上で起こった事柄は、「どのようにしたら聖霊に満たされるのか」という原則を現していると理解できます。
 特に一九九二年、聖霊が注がれた後、この事柄を主は強く、私たちに印象づけてくださいました。
 イエス・キリストを信じて救われるのは、「恵みによって救われる」のです。ただ心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。救いは恵みにより、簡単に与えられるのですが、聖霊に満たされるのは、求めないといけないのです。「聖霊に満たしてください!」と、求める祈りが必要です。
 クリスチャンになったら、今度は、聖霊を歓迎し、求める祈りをして下さい。

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 「本当の友達に気づいた」という面白写真がありました。これではいけません。

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 本当の友達はイエス様です。諭吉さんではありません。

 イエス様と友達になったら、次に聖霊に満たされることが重要です。
 そのためには、祈らなければいけません。私たちに聖霊が訪れて下さった時にも祈りがありました。あの頃、私も若くて、本当によく祈りました。今以上に祈りました。その結果として、聖霊が来てくださったと思います。
 時に私たちは、祈っても答えられないように感じる時があります。こんな面白写真もありました。

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 「何度祈っても元に戻らない」とモーセが苦労しているみたいです。「何度祈っても答えられない」時もあるかもしれません。しかし粘り強く祈る必要を教えられます。

 このやもめの家族は、クリスチャンファミリーに置き換えることができます。やもめは、「あなたのしもべである私の夫が死にました。」とエリシャに告げています。ご主人はエリシャの弟子だったわけです。
 相当真剣に神に仕えていた器だったと思われます。借金を残して死んで、家族全員が借金取りに追い立てられている、不幸な家族に落ちぶれていたわけです。
 しかし、その家族が回復していく過程に、油が増える奇跡が起こったわけです。その油は、エリシャが持ち込んだ油ではなく、家の中にあったものです。「あなたの家には何がありますか?」「油の壺一つしかありません。」「では、それを持って来なさい。」
 イエス・キリストを信じる時、聖霊によって、イエスは主です!と告白しますから、内側には油壺があるのです。聖霊がおられるのです。しかしそれがもっと豊かになるのが、聖霊に満たされる事です。

 そのための条件をエリシャは出しています。外に出て行って、からの器を、ありったけ借りて来い!と告げています。これは飢え渇きを意味します。それはこちら側の努力が必要であることを意味します。恵みによって救われるのですが、聖霊に満たされるためには、神の前に真剣に出ることが大切です。

 条件の中で、最も大きな要素は何であったのか、それは、油が増える直前に出された条件です。これは何度も話していますから、思い出していただければよろしいですが、四章四節、

『家に入ったなら、あなたと子どもたちのうしろの戸を閉じなさい。』

それで、彼女は彼の元から去り、『子どもたちといっしょにうしろの戸を閉じ、』とあります。
 どういう意味かというと、家には毎日のように、債務証書を持った貸し主がやってきて、「金を返せ!金を返せ!」と脅していたわけです。もしも油が増えた時、戸が開いていたら、増えた油も、子どもたちも連れ去られてしまうから、「扉を閉めろ!」とエリシャは告げたわけです。貸し主が家の中に入ることができないように、ブロックしろ!という意味です。
 知らないうちに良いものを盗まれるのは、扉が開いているのではないかと思われます。ある時は元気でも、突然、力を失ってしまうのは、扉が開いているからかもしれません。「あなたと子どもたちの扉を閉めろ」と言われています。家族全体に対する契約書を悪魔は持っていて、家族に侵入し、良いものを奪い去っていると一九九二年に気づかされました。それで、皆、家族を代表して、悪魔・悪霊どもと結ばれた家族に対する契約を破棄します!と宣言しました。
 あの時からこの教会は変えられました。契約書を破棄する祈りがなかったら、絶対に今はない、と私は確信しています。「契約書は無効だ!」と宣言する、祈りは、本当に重要です。

 やもめの家族も、扉を閉めて、敵が侵入できない環境を作って、油を増やしました。ゆえに、油は盗まれませんでした。油が止まった時、その油を売って、負債は全て支払われたのです。そして、「その残りで、あなたと子どもたちは暮らしていけます」とあります。家族全員が幸せに生きることができたのです。
 聖霊に満たされるために、様々な問題から解決を得るためにも、債務証書は無効だ!という宣言をしなければならないのです。
 滝元家ならば、「悪魔よ、よく聞け!おまえは滝元家を責め立てることはできない!すべての契約書は無効だ!」という宣言は、ヒータースイッチをオフにするようなものです。後ろの扉が閉められて、増えた油はすべて主のために使われるのです。

 一九九二年二月に教えられたみ言葉の財産が、第二列王記の四章でした。
 そしてもう一つ、イザヤ書三十三章二十節〜二十四節も教えられ実践しました。
 イザヤ書三十三章二十節〜二十四節、

『私たちの祝祭の都、シオンを見よ。あなたの目は、安らかな住まい、取り払われることのない天幕、エルサレムを見る。その鉄のくいはとこしえに抜かれず、その綱は一つも切られない。しかも、そこには威厳のある主が私たちとともにおられる。そこには多くの川があり、広々とした川がある。櫓をこぐ船もそこを通わず、大船もそこを通らない。まことに、主は私たちをさばく方、主は私たちの立法者、主は私たちの王、この方が私たちを救われる。あなたの帆の綱は解け、帆柱の基は、結びつけることができず、帆は、張ることもできない。そのとき、おびただしい分捕り物や獲物は分け取られ、足のなえた者も獲物をかすめる。そこに住む者は、だれも「私は病気だ」とは言わず、そこに住む民の罪は赦される。』

 イザヤ書三十三章は、不思議な箇所だと言われます。なぜなら、「シオンを見よ。エルサレムを見よ。」と言われていますが、エルサレムを見ても、そこに大きな川などないからです。これはただ単に、エルサレムに告げられたことではないのです。
 これは多分、イエス様が帰って来られた時、千年王国の時に起こることではないかとも言われるのですが、「神の国が訪れる時に起こる」事柄に対する預言ではないかと思われます。
 ここにもう一つ、不思議なことが書かれています。

『あなたの帆の綱は解け、帆柱の基は、結びつけることができず、帆は、張ることもできない。そのとき、おびただしい分捕り物や獲物は分け取られ、足のなえた者も獲物をかすめる。そこに住む者は、だれも「私は病気だ」とは言わず、そこに住む民の罪は赦される。』

 ヨットという舟がありますが、ヨットは、風を受けて進んでいくわけです。

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 マストのロープを切ったり、帆柱を倒したら、いくら風が吹いても、思うように進んで行きません。
 私たちの人生も知らないうちに、人生に帆柱が立てられ、マストが張られて、悪い者たちが風を送って、自分では進みたくない方向に進む場合が多いものです。
 しかし、綱を切って、マストを折ったら、『そのとき、おびただしい分捕り物や獲物は分け取られ、』とあり、『そこに住む者は、だれも「私は病気だ」とは言わず、そこに住む民の罪は赦される。』と約束されています。この箇所は、コロサイ書二章と共通点があります。

 債務証書によって、帆柱が立てられ、ロープが結びつけられ、悪い風を受けながら、自分の予期せぬ方向に向かわされるけれど、悪魔・悪霊どもとの契約のロープをしっかりと断ち切り、マストをへし折るならば、問題は解決しますよ!病気も癒やされるとあります。諸問題の解決は、悪霊と結ばれた契約書を破棄する所に鍵があると思われます。
 問題が起こったら、「私は駄目だ」とか考えないで、もちろん反省も必要ですが、どこに帆柱が立っているのかを発見し、綱が結ばれている位置を発見して、倒したら、問題も解決するのではないでしょうか。

 主は、「解放のミニストリー」を一九九二年から備えて下さいました。様々な問題を持っている方の帆柱を見つけて、ロープを断ち切る、そして、債務証書を無効だ!と宣言する働きに導かれました。その中で、多くの問題解決を体験させていただきました。本当に大切な働きだと思うのです。
 昔は気づいていなかったから、「自分は駄目だ…」と、ただ責めて、信仰から去る人も多くいました。
 しかし近ごろ、感謝な事に、いろんな所で回復を見せてくださっています。つい最近、四十年以上前に教会に来られていた方が連絡を下さり、信仰を回復された姿を見せていただき、本当に嬉しいです。種を蒔いておくことが大切だなぁと思います。
 その方は、高校生の時、教会に来ていましたが、この教会は、今とは全く違った雰囲気でした。個人的な罪とかはよく話ましたが、債務証書には、全く気づいていませんでした。
 彼女は社会に出ていってからは、世の中の風に吹かれちゃったわけです。しかし近ごろ、人生にいろんな問題が起こったというのです。問題が起こった時、彼女が言うには、「頭の中に埋め込まれていたチップが動いた」と言うのですが、別に私たちはチップを埋め込んだ覚えはないのですが、風呂に入っている時、ふっと、「こういう時はイエス様に祈れはいいんだ!」と気づいたというのです。「イエス様助けてください。」と毎日、祈るようになったそうです。イエス様の名前で祈ると、心は燃えてくるのです。教会には来ていなかったけれど、イエス様ってすばらしいですね。「おまえは四十年も教会に来てなかったから、助けてやらんわ!」なんて言われません。ちゃんと助けて下さる神さまです。やがて不思議な方法で、教会にもう一度つながり、私たちはそのご家庭に訪問させていただきました。
 どんな問題なんですか?と聞いたら、幾つかあったけれど、その方は郊外にすばらしい家を建てられました。すると、隣の畑の人が、無茶苦茶な人で、毎日のようにクレームをつけに来るというのです。「おまえの所からゴミがこっちに飛んで来たぞ。どうしてくれるんだ!」「昨日降った雨が、うちの土地に入った。」とか、本当に言いがかりというか、毎朝来るようになったというのです。
 それで、ノイローゼのようになってしまったそうです。「これ以上言ったら警察に連絡しますよ!」と言っても、「言えるもんなら言ってみろ!」とか言って、実際に警察を呼んでも、全然効果ないというのです。家族全員が疲弊しきってしまって、どうにもならないというのです。「なんとかなりませんか・・・」と言われましたので、お祈りさせていただきました。
 土地ってそもそも契約書が存在します。クリスチャンでなければ、家を建てる時、地鎮祭をやって、悪魔に土地を渡してしまいます。家を悪魔に捧げる儀式もあります。それは霊的契約書です。畑だって、様々な霊的行為がなされますから、契約書が悪魔に渡るわけです。だから少し幸せになった頃、攻撃されるのです。「こんな所に引っ越してくるんじゃなかった・・・」と嘆いていました。

 私は、「契約書は無効だ!と宣言したら、問題は解けるかもしれませんよ!」と、あまり自信はなかったけれど、その方に言いました。
 本当にプロテスタント教会の牧師って、使えるアイテムがやたら少ないです。二千年前に書かれた古門書、聖書一冊と、舌べろ一枚ですから。神々しい服もないし、言い切るしかないのです。私も信じて、「イエス様を信じて、契約書を断ち切ったら助かる!」と告げて、地境に立って祈りました。
 私は文句を言う人の土地にちょっとだけ足をかけたら、「あー!!やめてやめて!足跡がついたら、何されるか分からない!」と、言って慌てていました。隣人を無茶苦茶びびっているわけです。
 私たちは真剣に祈りました。「主よ。助けてください。この家の悪い契約書を無効にします!」と宣言しました。個人的な解放の祈りもして、これから主と共に聖く歩むことを誓って、「イエス様に従って行きます!」と、宣言しました。

 私たちも、どうなるのかなと心配していたのですが、先週、そのお宅で家庭集会がありました。すると、たいへん喜んでいました。「あの問題、解決したんですよ!」と言われました。「なにがあったの?」と聞いたら、隣の畑のじいさん、やっぱり悪いやつで、職業はなんと「泥棒」でした。こんな仕事ってあるのかと思いましたが、夜になると包丁を持って、他人の畑に入って、キャベツとか白菜を丁寧に収穫するそうです。自分の畑ではありません。他人の畑に行って収穫して、じいさんは無人販売所を畑から遠くに持っていて、そこに出荷するらしいのです。そこでは結構、野菜が売れるので、それで生活していたらしいのです。悪いね〜。
 広い畑では一個や二個、盗まれても、お百姓さんにも分からないわけです。それで夜な夜な、いろんな畑を軽トラでまわって、野菜を切り取っては軽トラに積んで、いっぱいになると無人販売所まで運んでいたらしいです。しかし、朝はその家に、行ってクレームをつけるという人だったわけです。いや〜、本当にひどい人です。
 近ごろ、その男が彼女の家の近くの畑に来て、寒い中、夜、包丁を持って畑に侵入したそうです。そうしたらそこに川があって、暗かったので落ちて水路にはまったというのです。その男は冷たい水の中、身動きができなくなり、「助けてくれ!」と、叫んでいたそうです。
 もうちょっと発見が遅れたら、そのじいさんは死んでいたというのです。もうちょっと祈ったら良かったのかな・・・は、冗談ですが、神様はじいさんに対しても、寸止めしてくれたと思います。それからそのじいさん、何も言わなくなったというのです。また、周りの畑からも盗まれることもなくなったのです。泥棒にとっても、ある意味、解放です。やっぱり祈ってみるもんだなぁと思います。
 住んでいる土地のために祈ってください、とよく言いますが、本当に重要なことだと思います。

 もう一つ、主が教えてくださった聖書箇所は、エレミヤ書三十一章二十七節〜三十一節です。こんなふうに書かれています。

『見よ。その日が来る。──主の御告げ──その日、わたしは、イスラエルの家とユダの家に、人間の種と家畜の種を蒔く。かつてわたしが、引き抜き、引き倒し、こわし、滅ぼし、わざわいを与えようと、彼らを見張っていたように、今度は、彼らを建て直し、また植えるために見守ろう。──主の御告げ──その日には、彼らはもう、『父が酸いぶどうを食べたので、子どもの歯が浮く』とは言わない。人はそれぞれ自分の咎のために死ぬ。だれでも、酸いぶどうを食べる者は歯が浮くのだ。見よ。その日が来る。──主の御告げ──その日、わたしは、イスラエルの家とユダの家とに、新しい契約を結ぶ。』

 このみ言葉も、九二年に聖霊が注がれた後、主から教えられた箇所です。エレミヤの時代は、今から二千数百年も前のことですが、その当時、巷で流行っていた諺がありました。それが何かというと、『父が酸いぶどうを食べたので、子どもの歯が浮く』でした。カギ括弧の中の言葉は、聖書のみ言葉ではありません。当時の人たちが知っていた諺でした。
 ということは、当時、どういう環境があったのかというと、「何か分からないけれど、あの家には、お父さんと同じ問題が子どもにも起こっているね・・・。」というような、普通は、父親が酸いぶどうを食べて、息子がイテッ!なんて絶対にならないですが、そのように見える事柄が起こっていた訳です。自分で食べて、自分の歯が痛くなるのは当然ですが、父が酸いぶどうを食べて、子どもの歯が浮くなんてことは、ありえない話です。しかし巷の人たちは、経験的に知っていたのです。「あの家は同じ問題がくり返し起こる・・・」と。二千年以上前に、人々は家系の中に問題が繰り返し発生しするのをすでに体験していたわけです。
 しかし、「この諺を使わない日が来ます!」とエレミヤは語っているのです。「その日が来ます!」
 「その日」とは、「主の日」です。それは、やがて主が帰って来られる日を究極的には指しています。同時に、聖霊が注がれ、神の国の現れがある時に、『父が酸いぶどうを食べたので、子どもの歯が浮く』という諺を使わなくなることも意味しています。それは、家系の中で繰り返し起きていた問題が消えることではないでしょうか。

 家系とは、「ファミリートゥリー」と言います。お父さんお母さんという幹から、枝が出て子どもたち、孫たちとへとつながります。家庭とは、木みたいなもので、ルーツがあるわけです。
 エレミヤは何と語っているかというと、

『わたしは、イスラエルの家とユダの家に、人間の種と家畜の種を蒔く。かつてわたしが、引き抜き、引き倒し、こわし、滅ぼし、わざわいを与えようと、彼らを見張っていたように、今度は、彼らを建て直し、また植えるために見守ろう。』

と、種の話をしています。種は、その中に性質、遺伝子が宿っています。きゅうりの種を蒔いたらきゅうりが出るし、すいかの種を蒔いたらすいかが出て来るわけです。
 同じように私たちも、家系という種の中に、「引き抜き、引き倒し、こわし、滅ぼし、わざわい」というような性質が入っていて、悪い実を結ぶことがあるわけです。
 しかし、その日が来ると、わざわいの種ではなくて、これからは祝福の種に変わりますと、告げられています。
 「彼らを建て直し、また植えるために見守ろう!」と約束されています。イエス・キリストを信じるとは、悪いルーツの種が聖められて、良いものに置き換えられていくことを意味します。
 主イエス様を信じ、従うと、一代だけで終わるのではなくて、二代目、三代目と、聖められ、千代にいたる祝福の実を結ぶようになるのです。

 そのためには、家系の中に流れている悪い契約書を、「無効だ!」と宣言することが必要です。これは私たちにとって、重要なことです。家系の根元にある悪い契約書は何かと言えば、日本人の場合、「先祖代々の祖先崇拝」であると思われます。日本人は突き詰めれば、祖先崇拝に最も関心があります。先祖を神として拝むのです。日本において先祖崇拝は、良いもののように考えられていますが、先祖はそこにはいません。そこには先祖のふりをした、悪霊が座っています。そこで結ばれる契約は、先祖に害を与えた、悪霊と結ばれる契約です。ゆえに悪いことが起きるのは当然です。お父さん、お母さんに働いていた悪霊が、子どもたちの所に来ます。同じ問題がくり返し起こるわけです。先祖代々の祖先崇拝から解放される時、私たちは良い実を結ぶことができます。
 先祖の墓場は、先祖さんたちが住んでいる場所だから、本来は安らかな場所のはずです。しかし先祖代々の墓場って、こんな印象です。

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 妖怪が住んでいるように感じるのは、日本人は分かっているのです。「これは先祖じゃないぞ、変なものがいるんじゃないか・・・」ってね。ゲゲゲの鬼太郎一族みたいのが住んでいるように感じるのです。
 それは悪霊どもです。ここで手を合わせたら、やつらと契約が結ばれます。大変なことになりかねません。しかしイエス・キリストを信じる時、罪が赦されるだけでなく、悪魔・悪霊と結ばれた契約が無効になるのです。それが聖書の教えであり、今年のテーマとして掲げさせていただいているみ言葉です。
 コロサイ書二章十四節

『私たちを責め立てている債務証書を無効にされたからです。』

 これは本当に力強い宣言であり、たいへん身近な事柄です。

 今日は、エリシャが訪れたやもめの家族のように、家系を代表して、家庭を代表して、悪霊に対する扉を閉めて、契約をしっかりと断ち切ったら、良い実を結ぶことができるはずです。二月になって、その事をもう一度思い起こし、今日はメッセージを語らせていただきました。

 メッセージを準備する時、いろんな先生方が語っているメッセージも参考にします。こういうことを語っている方は、あまりいないのですが、「あっ!良いのがあった!」と思ったら新城教会のメッセージだったりします。
 先週、新城教会で一九九九年に語られたメッセージを読みました。エゼキエル書四十七章九節〜十節を引用して、こんなふうに語られていました。

『この川が流れて行く所はどこででも、そこに群がるあらゆる生物は生き、非常に多くの魚がいるようになる。この水が入ると、そこの水が良くなるからである。この川が入る所では、すべてのものが生きる。』

 今年は、「教会に川が流れますよ!」というメッセージがありました。水の源が聖められたら、木の根っこを聖められるのと同じように、良いものが流れます。そのメッセージは、私のよく知っている綾子ビラップス先生のメッセージでした。
 今日は時間がないから話しませんが、私はこの方と、太平洋上で出会い、本当に大きな祝福をいただきました。

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 彼女は、たいへん霊的な方で、一九九八年に東京リバイバルミッションがありましたが、一緒にとりなしの祈りをしてくれました。それからアメリカに帰ったら、病気になったというのです。そうしたら主が、「あなたは新城教会に行って、新城教会の人たちに告げなさい!」という預言をもらったというのです。
 しかし、病気だから日本に行けなかったと言うのです。これは霊的な攻撃だと思って、「すべての債務証書は無効だ!」と宣言して癒やされたというのです。その後、新城教会に来てくれました。
 一九九九年六月十三日に、この場所で、綾子先生がメッセージを語って下さいました。それは二十年近く前のメッセージですが、すばらしいことが語られていました。
 債務証書が無効!と宣言する時、流れてくる祝福を受け取りましょう。

1999.6.13(SUN)
アヤコ・ビラップス師
 神様が新城教会について語られたことは、「新城教会に行き、わたしの愛している民にありがとう。愛しているよ。あなたの労苦を私は覚えている。ありがとう。」ということでした。そして、今が再び、始まる大切な時です。
 「あなたがたが日本のリバイバルのために活動していることを、ありがたく思っています。わたしはあなたがた個人を、父として愛している。あなたがたがわたしにしてくれる仕事以上に、わたしはあなたがたをわたしの息子・娘として愛している。その愛をわかって欲しい。だから、あなたたちはわたしを知って欲しい。わたしを捜し求めるならば、わたしは自分を更に深く、あなたがたに伝えたい。交わりたい。愛を味わってほしい。」と語られました。
 イエス様は、「ここには甲子園の前から来られている方もいれば、それ以降、新しく来られた方もいます。そしてその時のことを十分に知らない方もいるでしょう。しかしわたしがエゼキエル書で示したように、これから作られる神の神殿はソロモン王の作った神殿のように外見は美しくはないけれども、更に素晴らしい神殿を作ります。それは、わたしが神殿の中にいるからです。そしてわたしはここにいる皆を必要としています。皆が成長し、必要な場所にまとめられ、神殿の中で祈り、ここから生ける流れの川として、今一度新しくきよめられたものたちが流れ、日本中東西南北、またそれ以上に『国々』に出て行きます。」
 そして主は皆さんに、「一人一人が大切です」と語られます。「私は結構です!」ということはないのです。皆が心を一つにし、「リバイバルミッションは私のものだ。」と心の中で握った時に、初めて本当の流れのリバイバルがもっと豊かに力強く流れ出します。
 イエス様はたくさんのことをこの教会に示してくださいました。
 しかし、これからがまた素晴らしい時です。皆さん、どうぞ心を一つにして主の前に祈ってください。また、新しい生ける川はすべてを生かします。その川の中には多くの癒しがあります。心のいやし、肉体のいやしがあります。なぜならば、その中に神様の力、神の愛があるからです。また、人間関係をいやす力もあります。またそれ以上に素晴らしいことは、たくさんの魚が川の中におり、収穫することができることです。


 昔ここで語られた言葉ですが、まさに今、紐解かれる預言かもしれないと、先週これを読んで感じたので、みなさんにご紹介させていただきました。私たちが自由になって多くの国々に出て行って、福音を宣言する、それも人間だけでなく、造られた被造物全体に証しする者にさせていただきたいと願っています。
 イエス様の十字架は、すべての被造物との和解でした。今日は聖餐式の時に、みなさんの家族を代表して、お一人お一人聖餐式にあずかっていただきたいと思います。

 「家に入ったら、あなたとあなたの子どもたちの後ろの扉を閉じなさい」とありますが、家族全員の代表として、今日は悪魔と結ばれた契約は無効だ!と宣言して、聖餐式にあずかりたいと思います。
 一言お祈りします。

 ハレルヤ。父なる神様、御名をあがめて心から感謝します。この二月、あなたが訪れてくださった記念の月に素晴らしい礼拝を守ることができ心から感謝をします。あなたが預言的な言葉を与えてくださっていることを感謝します。
 私たちは家族を代表して、家系を代表して、すべての悪霊との契約が無効であると宣言します。二度と油を奪われることなく、主が用意された祝福の人生を送ることができますように。
 今、ここに備えられたパンとぶどうのジュースを、み言葉と聖霊によって、主の手にお渡しし、受け取ります。今日はすべての不利な債務証書が無効になる聖餐式となりますように。信じて、イエス様の御名によって祈ります。アーメン。