「70年が満ちた2021〜回復と再建の年〜」

2021年1月3日(日)
新城教会主任牧師 滝元順
イザヤ書44章26〜28節

『わたしは、わたしのしもべのことばを成就させ、わたしの使者たちの計画を成し遂げさせる。エルサレムに向かっては、『人が住むようになる』と言い、ユダの町々に向かっては、『町々は再建され、その廃墟はわたしが復興させる』と言う。淵に向かっては、『干上がれ。わたしはおまえの川々をからす』と言う。わたしはクロスに向かっては、『わたしの牧者、わたしの望む事をみな成し遂げる』と言う。エルサレムに向かっては、『再建される。神殿は、その基が据えられる』と言う。」』

 ハレルヤ!おはようございます。そして新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。今日は一月三日ですが、皆さんの前に立ってお話ができますことを、心から感謝しています。
 和基君の演奏すごかったですね。本当に氷の上を滑っているようでした。二〇二〇年、どんな人生だったでしょうか。私にとっては忘れることができない年となりました。本当に様々なことがあって、氷の上を滑っているような危ういところしたが、今日この場所に立つことができて、本当に感謝しています。
 家内に去年の十月、膵臓癌が発見されて、余命は三ヶ月、四ヶ月と宣告されました。しかし、すでに一年二ヶ月ぐらい経ちました。元気にしております。まだ治療が続いていますので、ぜひとも祈っていただきたいと思いますが、今までのお祈りを、心から感謝いたします。
 実は本日一月三日は、家内の六十五歳の誕生日です。昨年は六十五歳の誕生日は迎えることができないだろうと思ったのですが、皆さんの祈りによって支えられて、今年も誕生日を迎えることができて、心から感謝するとともに、主は生きておられると、大胆にお伝えできます。

 今年の指針となるみことばが、十二月三十一日の夜、カウントダウンワーシップの中で語られました。私以外の七名の先生方が語ってくださいました。大変恵まれたメッセージでした。まさに七人で一つのメッセージを構成していました。二〇二一年に向かって、主が語っておられる印象を持ちました。
 どのような順番で語るのかは打ち合わせなしで、この場所でくじを引いて決めました。聖書の中に、「くじは膝に投げられるがその決定は主から来る」と箴言にあります。「主よ、どのような順番でメッセージを構成されますか。教えてください。」と祈って、くじを引いたら、本当に上手くハマりました。あれだけ見ても、二〇二一年を主が導いてくださることを感じます。
 それらをダイジェストとしてまとめてくださいましたので、ご紹介したいと思います。次週、それぞれのメッセージがどのようなものか、文章化してお届けしますので、お読み下さい。
 二〇二一年に向けて主から新城教会に与えられたメッセージであると、信じるならば、そのようになると宣言します。アーメンですか?
 では読んでみますね。

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<<預言的メッセージ>>

昨年はあなた方にとって、波逆巻く嵐の中を小舟で進むような一年でした。しかし、わたしがあなた方とともにいて、あなた方を励まし、あなた方の敵を追い払いました。

新しい年は「喜びの年」です。
あなたは、まずわたしを喜び、わたしがあなたを訪れる道を整えなさい。
宣教70周年を振り返り心から感謝するとともに、あなたの将来をわたしに託し、希望を持ちなさい。苦しみは大きな勝利の喜びへと繋がっているのですから。

ダビデが王服を脱ぎ捨てて力の限り喜び踊りながら、神の箱を迎えたように、あなたの着ている、神に逆らう「自分」という王服を脱ぎ、主ご自身が着せられる「油注ぎ」という王服を着なさい。71年目の今年、主の回復が訪れます。

昨年、あなたは苦難と社会の変化の中で、いかにわたしを信じるかを試されてきました。それは、さらに強い信仰を持つことをあなたにもたらしました。新しい年にも、わたしはあなたに同じことを望みます。

どうか、主にある喜びを持ち続けてください。今は喜べない状況にあるかもしれませんが、気落ちせずにわたしを信じ、感謝の祈りを忘れずに、喜びを持ち続けてください。それが、あなたの力なのですから。

わたしはあなたにカナンの地を与えます。70年が満ちた年、あなたに大粒のぶどうの実を担がせましょう。勇気を出しなさい。わたしはより多くの収穫が得られるための備えをしました。

あなたは、右に行くにも左に行くにも「これが道だ。これに歩め」とささやくわたしの声をよく聴き、疲れることなく歩み続けなさい。
2021年は「回復と再建の年」となります。

わたしは、わたしのしもべのことばを成就させ、わたしの使者たちの計画を成し遂げさせる。エルサレムに向かっては、『人が住むようになる』と言い、ユダの町々に向かっては、『町々は再建され、その廃墟はわたしが復興させる』と言う。
淵に向かっては、『干上がれ。わたしはおまえの川々をからす』と言う。
わたしはクロスに向かっては、『わたしの牧者、わたしの望む事をみな成し遂げる』と言う。エルサレムに向かっては、『再建される。神殿は、その基が据えられる』と言う。」 イザヤ書 44章26~28節

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 二〇二一年に向けて主が新城教会に語ってくださった預言的なメッセージであると私は堅く信じます。
 昨年、私たちに与えられた聖書のみことばは、エレミヤ書二十九章十節〜十二節でした。なぜならば新城教会は、二〇二〇年をもって、宣教七十周年を満たすことができたからです。
 私の両親が七十年前、一九五〇年のことでしたけれど、この地域に入ってきて宣教を開始しました。そして昨年で七十年が満ちたということです。
 今年は七十一年目を迎えます。

 イスラエルに対して主は、「七十年の満ちる頃、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにわたしの幸いな約束を果たして、あなたがたをこのところに帰らせる。」とエレミヤを通して預言されました。実にその通りになりました。私たちが信じる神さまは、無秩序に働くのではなく、秩序の中で働かれる神であることがわかります。計画性を持った神です。「七十年が満ちる頃」と言ったら、「満ちる頃」になって、動きを始められるわけです。「七日目」と言われたら七日目に働きをなされる方です。気まぐれではないです。秩序を持って働いてくださいます。
 ということは、そのご性格は今でも変わりませんから、私たちも主を信じる霊的イスラエルですから、同じように関わってくださるはずです。新城教会、今年で七十一年目を迎えましたから、回復と再建が始まると私は堅く信じます。
 この会堂は献堂四十年が過ぎました。お隣の教育館は三十年近く経ちまして、だいぶ傷んできました。ですから回復と再建の必要があります。教育館の目地が縮んで、雨水が入って雨漏りがすごく、今週から目地の改修工事が始まります。一ヶ月くらい足場が組まれているかもしれません。これから教会に来られる時には、気をつけていただきたいと思います。見える領域においても、また、見えない領域におきましても、主が回復と再建を果たしてくださると、心から期待しています。

 私たちが神さまと関わって、備えられた計画を手に入れるために必要な条件が、エレミヤ書二十九章に記されています。それは「あなたがたがわたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに聞こう。」とあります。「祈り」それは、最も重要な条件と言っても良いでしょう。神さまは全てをご存知だから祈らなくてもいい、なんていう意見も時々聞きますけれど、そうではありません。神さまは、すべてを知っておられますけれど、祈りに応じて応答されるお方です。ゆえに「祈り」のスタンスを崩してはいけないのです。
 二〇二〇年、私の人生の中で、最も祈ったという印象があります。なぜならば家内の病気があり、その上、新型コロナも始まり、様々な制限が重なり、本当に先が見えない年であったからです。それで真剣に祈らされました。しかしこの祈りの姿勢を、二〇二一年も貫く必要があります。そうしたら、必ず、主は良くして下さるはずです。

 それともう一つ、重要なことは、「感謝」をささげる事です。先ほどの預言的メッセージの中にも、「感謝をささげなさい。」と語られていました。
 感謝は、人間が持っている性格です。誰かによくしてあげて、その人が感謝してくれたら、もっとよくしてあげたい気持ちになります。良くしてあげても無視されたら、二度とやりたくなくなっちゃいます。これは人間の性格というよりも、神さまの性格が人間にコピーされているわけです。ゆえに、感謝の気持ちが湧き上がるわけです。私たちが主に感謝する時、主は、さらなるわざを進めてくださるのです。
 それを聖書全編から学ぶことができます。例えば、サムエル記第一 七章十一〜十二節に、こんな記録があります。

『イスラエルの人々は、ミツパから出て、ペリシテ人を追い、彼らを打って、ベテ・カルの下にまで行った。そこでサムエルは一つの石を取り、それをミツパとシェンの間に置き、それにエベン・エゼルという名をつけ、「ここまで主が私たちを助けてくださった」と言った。』

 イスラエルは、カナンの地に入ったのですが、すぐにカナンの地を勝ち取ることはできませんでした。神さまは「カナンの地を与えます」と言われましたが、実際、中に入ってみたら、先住民族が住んでいて、彼らとの間に激しい戦いがありました。
 そんな中でも「ペリシテ人」と呼ばれる人たちとの戦いは、激しいものでした。今でもイスラエルに行きますと、「パレスチナ」という呼び名が使われています。「パレスチナ」とは、「ペリシテ人」を意味します。現在でも使われているということは、古から今に至るまで、ペリシテ人は強大な力を持った民族であったことを意味します。
 あるとき、ペリシテ人との間に激しい戦いがありました。神の箱という、イスラエルの宝物のような、主の臨在を現す箱が、彼らに奪われて、海神ダゴンの神殿に据えられてしまった事件が起きました。しかし、イスラエルが主に頼り祈ったことにより、神の箱がキルヤテ・エアリムという場所にまで戻ってきたのです。
 キルヤテ・エアリムは、太陽礼拝の拠点であったと言われます。またバアルという土着の偶像が祀られる拠点でもありました。そこに主の箱が運ばれて据えられ、膠着状態になって二十年間が過ぎました。
 その時に、イスラエル人たちは、何をしたのかと言うと、「イスラエルの全家は、主を慕い求めていた。」と記されています。神さまの働きは、ある時は激しく前進しますが、ストップする時もあります。
 新城教会、七十年の歴史を見ても、宣教がぐんぐん進んだ時期もありましたが、止まってしまった時期もありました。もうこれっきり、動かないんじゃないか、というような時期もありました。
 しかしそのような時、何をすべきでしょうか。「イスラエルの全家は、主を慕い求めていた。」とあります。真剣に主を慕い求めることが重要であるということです。
 私の家内の癒やしも、一年を振り返ると、まさに、どんっと進むこともあれば、止まってしまい落ち込んで、真剣に主の前に出る繰り返しでした。しかし真剣に主に頼ると動くのです。これは一つの霊的原則じゃないかと思います。

 世界は現在、未曾有の困難に直面しています。また、キリスト教会も大きな困難に直面しています。現在、日本に八千ぐらいの教会がありますが、最近、教勢が全体的に落ちていて、二〇三〇年ぐらいになりますと、教会数が半分ぐらいになるのではないかと懸念されています。
 それにこの新型コロナですから。この先どうなるだろうかと、どの教会の牧師たちも、心配が絶えないと思います。しかし一方ではこれは神さまからのメッセージを含んでいると思われます。この時にこそ、「主を求めなさい!」と主は語られているはずです。「主を求めたら、再度、動き始めます!」ということです。
 時に人生の中で様々な困難に会い、膠着状態になってしまうことがあります。その時にこそ、命がけで、主を求めるならば、必ず、物事は動きます。私も二〇二〇年、それを体験させられました。

 ミツパという場所に、サムエルは民族を集めて、真剣に悔い改め、主を求めて祈りました。しかしその時を目指して、ペリシテ人たちが襲いかかってきました。サムエル記第一 七章十節、

『しかし主はその日、ペリシテ人の上に、大きな雷鳴をとどろかせ、彼らをかき乱したので、彼らはイスラエル人に打ち負かされた。』

 なんとこの時に、イスラエルを助けたのは、もちろん主が助けたのですが、神が武器として使われたのが、「雷鳴を轟かせた」とあります。武器は「雷」でした。雷は、日本でも、「地震、雷、火事、親父」というぐらい、天敵みたいな存在です。古におきましては、雷が、どうして発生するのかわからず、大きな恐怖でした。しかし人類の敵のような雷がイスラエルに加勢して、イスラエルをペリシテ人の手から助け出したのです。

 「福音とは何か」に関して、去年一年も、私たちは深く学ばせていただきました。福音とは、人間だけのものではないということです。救いは人の救いから始まり、神が造られた被造物全体に及ぶものだと学びました。しかも、被造物たちは神の子どもたちが現れるのを、待ち望み、日々、うめいているのです。「一刻も早く神の子どもたちが来て、我々に福音を宣言してくれないかなぁ。」と祈っているのです。それがローマ人への手紙八章で語られています。
 被造物の多くは、現に人類と対立関係にあります。新型コロナの問題を考えてみれば、ウイルスと人類との対立です。世界中で最も数の多い生物は何かというと、実は、「ウイルス」だそうです。ウイルスは、数限りなく存在し、ウイルスが存在しなかったら、人間も生物も生きることはできないらしいです。本来は持ちつ、持たれつの関係で、ウイルスは自己増殖できず、宿主が必要で、人などに寄生して自分の仲間を増やし、お互いに共生するわけです。不思議な神の創造のみわざですよね。
 しかしどうでしょうか。人の罪によって、本来は人に必要なウイルスが変化して、現在、強烈に敵対しているじゃないですか。これは本来ウイルスにとっても、良いことではありません。人間に寄生して、仲間を増やさしてもらい、人類も生きる共生でなければいけないお互いです。しかし人に宿ったら人が死んでしまったら、元も子もありません。その結果、自分も死ななければなりませんから。これは人と被造物であるウイルスとの間に、壁がある証拠ですね。
 水がなかったら人も動物も植物も、生きることはできません。しかし日本、水が多すぎます。大雨があって、洪水が起きて、水に押し流されて死ぬ人も多いです。本当に被造物と人類との間に壁があります。これは人間の罪ゆえです。
 しかし主イエスの十字架は、パウロも語っているように、「全被造物との和解」であったのです。イエス・キリストの十字架によって、神と人との和解だけでなく、神と被造物全体との間の壁も打ち破られたのです。
 被造物が我々の味方になると、今まで天敵であったような雷も、味方になって、ペリシテからイスラエルを救い出したのです。すごいじゃないですか。

 現在、神が造られた被造物の一つであるウイルスによって苦しめられていますが、その間にある壁が打ち破られて、和解が成立したら素晴らしいです。今年はすべての被造物と、我々との間にある壁が打ち破られて、安全に生きることができるよう、祈ろうではありませんか。
 地震も、神の造られた法則の一つです。祈りによって和解ができるはずです。日本はそのテーマも大変重要です。
 サムエルは、「主がここまで私たちを助けてくださった。」と言う記念として、感謝の石碑を建てました。「エベン・エゼル」、主がここまで私たちを助けてくださった・・・。
 人生を振り返って、神がまさに助けてくださったその日を忘れることなく、心にしっかりと受け止めていただきたいです。心の中に記念碑を建てたいです。
 私にとって二〇二〇年は、永遠に忘れることができない記念碑となりました。家内の病との戦い、今でも続いていますけれど、ここまで主が助けてくださったという感謝の記念碑を、心の中に建てているつもりです。

 また昨年、七十周年ということで、新城教会に起こされた事柄を振り返り、感謝をささげる機会が多く与えられたことは、本当に素晴らしかったです。これは「70周年エベン・エゼルの記念碑」です。ここまで主が私たちを助けてくださった、生かしてくださった事を、心から感謝します。

 そしてまだ歩んでいない二〇二一年、将来と希望を、どのようにして手に入れたらいいのでしょうか。何が起こるのか予測がつきません。パウロは、先が見えない未来に関して、将来と希望を定義付ける言葉を語っています。
 パウロは力強い使徒でしたが、最も苦しんだ人の一人であったかもしれません。彼は度々大きな困難に直面して、死刑の宣告を受けたようだったと回想しています。「これでもう私の人生は終わりだ・・・」というような場面に幾度も遭遇したというのです。
 でも、それは何のためであったのかというと、私たちが自分自身に頼らず、死者をもよみがえらせてくださる神に頼る者となるためだったと語っています。
 私も昨年、経験したのですが、「もうだめだ。これ以上、歩むことができない・・。」という場面に遭遇する度に、死者をよみがえらす事ができる神に、全幅の信頼を寄せるか否かを問われました。神もそれを強く願っておられるわけです。
 今、世界中が困難の中にあります。それは「天地宇宙を造られた神に信頼を置きなさい!」という、人類への神からのメッセージでもあります。
 続いてパウロはこう語りました。

『神は、それほど大きな死の危険から、私たちを救い出してくださいました。これからも救い出してくださいます。私たちはこの神に希望を置いています。』

 私たちが過去を顧みて、過去に神が私たちを救い出してくださった記念碑を見るならば、必ず、神は将来も救い出してくださると信じるのです。それこそが、「将来と希望の道に繋がる」と言うのです。将来と希望を一口で表せば「信仰」です。
 信仰とは、信じきれないものを無理矢理信じることではなく、「神を信頼すること」に他なりません。今まで私たちを助けてくださった主を信頼し歩み続ける、これが将来と希望に繋がる道です。
 過去に主が成してくださった奇跡を見るならば、将来だって同じように助けてくださる!という信仰です。

 そして、この信仰を維持するためには、「祈りが必要」であるとパウロは理解していました。「あなたがたも祈りによって協力してくれれば、神は私たちを救い出してくださいます。」と語りました。個人だけでなく、共同体の祈りが、いかに必要であるかをここで教えています。信仰を維持するためには、一人の力では無理です。みんなで祈って協力しなければならないのです。「協力」という言葉は、小さい力を三つ十字架のもとに合わせると、大きな力になる!という単語です。十字架のもとに小さな祈りを集めると、大きな力となって、打ち破りが起こるのです。皆さん、是非とも祈り続けていただきたいと思います。

 一月は、礼拝が終わってから、県民の森に行って祈りの時間を持ちたいと願っています。一緒に祈る時間と、個人的な祈りの時間も持ちます。また、聖餐式を県民の森で持ちたいと願っています。それなら安全でしょう。一月は、午後から県民の森に行って聖餐式を行うというプログラムです。それは私たちに、将来と希望を与えるものです。

 今年は、「七十年が満ちた年」ですから、きっと大きなことを主が行ってくださると、私は期待しております。神さまはスケジュール通りに働いてくださるお方ですから。

 しかし、昨年の暮れ、このことに対して祈っている時に、一つの事に気付かされました。「このテーマをきちんと整理し、理解して祈らないといけない」と主から教えられ、新年礼拝でも語らせていただきました。
 「七十年が満ちる頃」とか、聖書の中には「年」とか「月」とか「日」とか「時間」が、いろいろ出てきます。
 私たちはそれを自分に適用したいと願っているわけですが、例えば今日が、二〇二一年一月三日であると、なぜ理解しているのでしょうか。それは暦があるからです。共通の暦があるがゆえに、今日が「二〇二一年一月三日」という認識が私たちの間にあるのです。
 現在、私たちは、どのような暦を使っているのかというと、太陽暦です。地球が太陽の周りを、三百六十五日かけて一周するという、太陽の動きに合わせて作られた、「グレゴリオ暦」が十六世紀から世界中で使用されています。
 それ以前は「ユリウス暦」が使われていました。これも太陽暦でしたが、元となる数値に誤差があり、グレゴリオ暦に代えられ、今に至っています。

 暦はいくつかあるのでが、太陰暦だったり、太陽暦だったり、太陰・太陽暦というのもあります。この中で、どの暦を人々が採用するかで、互いの認識は変わってくるわけです。
 例えば、「二〇二一年一月三日に会いましょう!」と約束したとします。男・女が会う約束をしたとします。この女性は、グレゴリオ暦で一月一日を判断していました。しかし男性は古風な男で、太陰暦カレンダーで生きていました。今でも太陰暦カレンダーって売ってますよね。日本の偶像の祭りは、太陰暦で行うことが多いです。旧正月とか聞いたことがあると思います。沖縄での祭りはすべて太陰暦でやっています。
 この男は古風で陰暦で生きていました。「一月三日に会いましょう。」というのを陰暦で判断したわけです。女性は男性に憧れていましたから一月三日に会える!と楽しみにしていました。しかし一月三日に行ったら、彼はいないわけです。あれ?どうしたのかな?忘れたのかな?不誠実な男だなぁ…と、しばらくは待っていましたが、怒って帰ってしまいました。
 さて一方この男性、彼女と一月三日に会えるからと、ワクワクして、一月三日、太陰暦カレンダーで会いに行きました。しかし陰暦で一月三日は、太陽暦においては二月十二日になります。この男性は、「振られた…。」と思いました。一月三日に会おうと約束したのに、彼女は来ていなかったからです。振られてしまったと思って、泣く泣く帰りました。
 けれども、この原因は何かというと、お互いが使っていた暦が違うことにあります。

 皆さん、聖書の中で使われている暦を知っていますか?聖書暦というのがあるのです。私たちは、二〇二一年一月三日をグレゴリオ暦で判断していますから、今日は三日になるわけですが聖書暦で見ると、今日は五七八一年十月十七日になります。月はテヴェット月になります。太陽暦に対応すると十月です。ということは、七十年は満ちていない事になります。太陽暦と聖書歴とは違うからです。
 神は、創造の初めに何を造られたのかと言うと、天体の運行と共に「暦」を造られています。
 創世記一章十四節から十六節を読むと、神さまが太陽と月と星を造られたとしか、我々は考えません。なぜならば、現代人は進化論によって汚染されているからです。「太陽と月と星は自然に出来たのではなくて、神さまが造られたのか!」と、現代人は認識を新たにします。
 しかし、ヘブル民族にとっては、神が天地を創造されたと言うことは、疑う余地もない「当然のこと」でした。創世記一章において天地創造のことが書かれていますが、天と地は進化ではなく、神が創造されたのだという弁明をする必要は、全くなかったわけです。なぜなら、そんなことは当然のことでしたから。
 ということは、この箇所は何を意味しているのかと言うと、神は天体の運行と共に、季節を区別する暦を造られた事を意味します。特にこの暦で重要なのは、「太陽と月」だとしています。そして聖書が告げる神の創造された暦とは、「太陰・太陽暦」であることがわかります。ひと月の始まりは、新月が始まりとなっています。
 そして神の作られた暦は、新月から始まり、七日目が安息日となります。去年もお話ししましたけれど、イスラエルの人たちは、特定の時に、特定の場所に行けば、神さまと出会うことができると信じていました。特定の場所と空間は神の宮で、そこに「定められた時」に行けば、神さまが降りて来られて会うことができるという前提のもと、神の宮が重要だったわけです。
 神さまが出会ってくれる日が「安息日」でした。そして最初の安息日は、「新月から数えて七日目」でした。
 しかし現代人はどうでしょうか。現在、私たちは日曜日が神さまと出会う日であると考えています。でもこれは、聖書暦とは、全くずれているわけです。
 なぜなら残念なことに、四世紀にローマ帝国によって教会の使っていた暦が変えられたからです。それはすでにダニエル書に預言されていました。ダニエル書七章の中です。時間がないので、その部分だけ読みますが、

『彼は時と法則を変えようとする。』

 これは四人目の王、ローマ皇帝のことを意味すると言われます。ローマ皇帝、特に、コンスタンティヌス二世が、クリスチャンとユダヤ人を激しく迫害して、聖書的なカレンダーを使用することに対して、厳しく処罰しました。その結果、教会は太陽暦を受け入れることになり、ユダヤ教もまた、民族の存続を重要視し、ユダヤ暦さえ変えてしまったのです。
 現在クリスチャンが日曜日に集まることは、太陽暦ベースですから、安息日とはいえません。当時、ローマでは日曜日に。多くの異教徒たちが、太陽礼拝を行っていました。その日をローマ皇帝が、クリスチャンの礼拝の日に置き換えたわけです。キリスト教のある一派は土曜日に安息日を設けて、土曜礼拝をやっていますが、これだって太陽暦ベースならば、意味のないことになります。なぜならユダヤ人にとっての安息日とは、本来、新月から七日刻みで設定されるものだからです。

 神が最初に設定されたカレンダー通りに私たちが礼拝するならば、天の暦と地の暦が一致しますから、神と出会うことができます。しかし、暦がずれていたら、お会いできないことになります。
 それでは、どうやって私たちは神と出会ったら良いのでしょうか。

 新約聖書の時代になって、神は十字架を通して、天の暦を超える祝福を人類に与えてくださったのです。コロサイ人への手紙の二章は、私にとっても大変重要な箇所です。特に十二節から十七節にかけては、イエスさまの十字架と復活の勝利について述べられています。それは、「罪が赦され、債務証書が無効になり、敵が持っている武器が武装解除され、彼らが捕虜として凱旋の行列に加えられる」という、悪魔・悪霊どもに対する完全勝利の記述だからです。
 その次に述べられていることは何でしょうか。

『こういうわけですから、食べ物と飲み物について、あるいは、祭りや新月や安息日のことについて、だれにもあなたがたを批評させてはなりません。これらは、次に来るものの影であって、本体はキリストにあるのです。』

 イエスさまの十字架と復活によって、悪魔に奪われていた「新月の祭り」とか、「安息日」に関しても勝利したことを意味します。太陰暦で設定され、神と出会う為の細かい規定や法則が、イエス・キリストによって回復された事を意味しています。なぜなら、それらの本体はキリストにあるからです。

 今や、イエス・キリストを信じる者たちは、いくら太陽暦の社会の中に生きているとしても、神のカレンダーとシンクロさせて、日々、神の時を生きることを保証されるのです。
 ということは、二〇二一年、太陽暦でも、イエス・キリストの名によって、主の年として宣言することが可能です。
 イスラエルの宗教的な新年は、ニサンの月、またはアビブの月と呼ばれます。これは太陽暦でいくと、「三月から四月」になりますが、太陽暦の一月であっても、これがクリスチャンにとっては、ニサンの月であり、神を礼拝する年の初めであると宣言出来るはずです。
 今年、私たちの日々に主が関わってくださり、天の法則が地上を完全に支配する二〇二一年となったら最高です。
 今まで私たちは、あまりにも多くのものを悪魔に奪われてきたと思われます。その一つが私たちの足元にある「暦」かもしれません。誰もが疑わない方法で、悪魔は神の祝福を奪い、働いているのかもしれません。
 しかしイエスさまの十字架と復活によって、それさえも取り戻されて、正常な機能が回復されたことを、心から感謝したいと思います。

 今日は二〇二一年、最初の日曜日です。これがニサンの月であり、最初の日であると宣言しましょう。
 今から私がお祈りしますので、私の後について、祈ってください。
二〇二一年は太陽暦であったとしても、神さまのカレンダーと同じであるように、祈ります。

 父なる神さま。今私たちは、イエスさまの名によって、宣言します。現在、私たちが使っている太陽暦の背後に働く悪魔の力を打ち破ります。太陽礼拝の敵の力を完全に断ち切ります。私たちは神が天地宇宙に置かれたカレンダーと置き換えます。二〇二一年、太陽暦の社会に生きるとしても、私たちの人生は、神が最初に定められた聖書の暦に沿ったものであることを宣言します。
 二〇二一年一月は、ニサンの月であることを宣言します!アビブの月であることを宣言します!日々が主を礼拝する安息日であることを宣言します!
奪われた年月を、奪い返します。二〇二一年は、回復と再建の年であることを宣言し、イエス・キリストの名によって祈ります。アーメン。

 主に大きな拍手をしましょう。皆さんのカレンダーが取り返されたことを宣言します!



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