「あなたにカナンの地を与える」

2021年1月10日(日)
新城教会牧師 滝元開
詩篇 105篇11節

『そのとき主は仰せられた。「わたしはあなたがたの相続地としてあなたに、カナンの地を与える。」』

 感謝します。今日は賛美礼拝ということで、皆さんと共に神さまの前に賛美をささげさせていただくことができる、この大きな恵みを本当に感謝しています。今日はこの日本に大きな寒波が襲っておりますが、皆さんのご家庭は大丈夫でしょうか?あるご家庭では室内がマイナス一度だったと今朝おっしゃっていた方がいらっしゃいましたが、本当に寒さの中ですけれども、お一人お一人守られていくことができればと心から願っています。
 またコロナも本当に大変な状況が続いておりますけども、しかし私たちは信仰を持って、コロナが収束するように祈り続けていますので、祈り続けてまいりましょう。これは無理だと諦めずに、主にとってできないことはないので、神さまご自身が今何をなさろうとされるのか、私たちには分かりませんけど、しかしすべての被造物、そのウイルスたちも主を賛美する存在として、変えられるために、私たちはその使命を頂いていますので、その使命を全うするために、この新型コロナウイルスも一日も早く、被造物と和解して、主を賛美するように、賛美の宣言をし続けていただければと心から願います。

 本当にこの新城教会もここまで守られて、支えられてきたことを本当に心から感謝します。昨年は七十年の満ちる素晴らしい年であったことを本当に心から感謝します。一年を振り返ると、ただ一言で言うと、「大変だった。」というのが正直なところだったのではと思いますけど、でも神さまがそのただ中でも絶えず共にいてくださって、励ましてくださって、また私たちが苦しいなと思った時には一緒に苦しんでくださっていた方が神さまだなと、そんなことを覚えると本当にやっぱり感謝な一年だったなと、本当にすごく強く感じさせられます。
 今、「ただ一筋に」という歌を歌いましたけども、あの歌は、みことばからの賛美で、第二歴代誌十五章十五節にあります。

 『ユダの人々はみなその誓いを喜んだ。彼らは心を尽くして誓いを立て、ただ一筋に喜んで主を慕い求め、主は彼らにご自身を示されたからである。主は周囲の者から守って彼らに安息を与えられた。』

 このユダの人たち、アサという王様の時代に大きな苦しみと戦いの中にいました。そしてその戦いをもう諦めようとするような、そのような時に、ただ一筋に主を喜んで慕い求めていった故の勝利というのがアサ王様の時代のリバイバルでした。
 この第二歴代誌の十五章の少し前を見ると、こんなみことばがあります。七節です。

 『しかし、あなたがたこそ強くあってほしいのです。力を落としてはなりません。あなたがたの働きには報いが伴っているからです。』

 アサ王様に語ったみことばがこうでした。「あなたがたこそ強くあってほしい。」「他がどうあれ、あなたは強くありなさい。」と、神さまがアサ王様に語ったみことばなんですね。
 
 そしてまたこの原文を見ると、仕事をやりかけて放棄することがないようにということが、このみことばの中で語られているらしいんですけど、私たちにはリバイバルという仕事が託されて、そしてリバイバルを求めて七十年間、走り続けてきました。
 しかし昨年の様々な戦いの中で、いや〜、このリバイバルの旗印を掲げることの重さをすごく痛感し、どうなってしまうのかなと思うような中にあっても、アサ王様に神さまが語ったように、「あなたがたこそ強くあってほしい。そして力を落としてはならない。あなたがたの働きには報いが伴う。」本当に神さまが、その報いを与えてくださる二〇二一年になると信じて、もうすでに皆様も進んでおられることと思いますけども、信じて歩んでいきたいと心から願う者であります。
 先週は七十年の満ちた祈祷会が県民の森で行われました。すごく祝福されました。この写真にあるように本当に多くの方々が行ってくださいました。ここで何がなされたかと言ったら、祈祷会、そしてもう一つは、聖餐式がなされました。

 今は家庭で行われる聖餐式の中で本当に大きな祝福を受けていますけど、やっぱり一つになって聖餐式ができるというのは、本当に大きな恵みで、皆さんと、この時間を共有することができて、心から感謝でした。
 自分は歩くのが得意じゃないという方は、この県民の森の施設に、無料でお借りできる電動の車イスがあるんですよ。ぜひそれに乗って行ってくださったら、山の中まで入ることができます。先週はM兄がその電動車に乗って行ってくださって、一緒に賛美し祈ることができました。
 やっぱり本当にこの戦いを諦めることなく、そして神さまがこの二〇二一年に新城教会に与えてくださった、この素晴らしいご計画、すでに与えられたみことばによって、主は「こう進めよ。」とおっしゃっておられるみことばどおりのことが実現するためには、やっぱり祈りが必要だと思うので、是非ご参加いただければと思います。

 神さまは一つ一つの働きの中で、私たちを導いてくださって、また励ましてくださっていることを本当に感謝します。
 昨年のクリスマスの頃は、天の星々についてのお話が何度も何度も出ました。ですから、順先生がよく星々の話をするので、ある方が、最近星ばっか見て首が痛くなってるっておっしゃっていましたけど、私も夜の県民の森祈祷会に行っても、上を見ているんですよ。そうすると流れ星が見えたり、本当に神さまの造られた被造物の素晴らしさを褒め称えております。
 昨年のその祈祷会の中で、いろんな神さまからのしるしを見せていただきました。七日間の七十年の満ちる頃祈祷会というのが行われました。早天祈祷会と夜の祈祷会。そして日に七度の賛美。本当に祝福の時でした。
 是非また七日間と言わず、いろんな形で、この二〇二一年、そういった働きがなされて、祈りの中にある祝福、神さまとの交わりが、こんなにも素晴らしく恵みにあふれたもので、現実的には時間を取られますので、睡眠時間が少なくなりますけど、なんか朝早く起きる、私は与えられた時間が、例えば、さぁ寝るぞって寝て、次の時間まで十二時間あると、十二時間寝れちゃう人なんですね。でもその七日間の集会で、寝る時間少なくなるじゃないですか。朝早く起きる。そしてずっと賛美して、夜はまた出て行って夜な夜な歌って祈る。にも関わらず、娘に言われたんですね。「お父さんたち、どんどん元気になってるよね。疲れて萎れていくなら分かるけど、どんどん元気になってるよね。」と言われて、本当にそれがこの二〇二一年もっと続いたらいいかなって本当に思います。皆さんで、心を合わせて主を求めて、主に祈って、賛美して、そして気付いたらもう元気になっている年になればと思います。
 先ほども、ある方とトイレで一緒になりました。私は昨年で六十になりました。その方は今年で七十歳になったんですね。それでなんとおっしゃったかと言ったら、「七十になったので、これからはもっと元気になります。」と、そうおっしゃっていましたけど、年齢に関わらず、主がくださる二〇二一年の祝福をいただいていくことができればと思います。

 それでちょっと横道にそれたんですけども、その夜の祈祷会、その七十周年の満ちる頃の祈祷会、すごく祝福されました。山の上で祈ったんですけども、その時に大きなしるしを神さまは見させてくださいました。今まで見たことのないような星が出ました。ちょこっと出たというより、こうやって動いたんですよ。

 流れ星ですね。私今まで見たこともないような、うわぁっという流れ星、みんな歓声をあげましたね。大きな声でうわぁって、本当に周りが明るくなるほどの流れ星を見ることができました。神さまの素晴らしい恵みの時でした。

 そしてもう一つ、二十四時間のリバプレの時に、朝六時に河川敷で歌った時なんですけど、準備していたら娘たちが来て、「うわっ!あの星すごい!」と言って、これは東の空なんですね。これは何かと言うと、これをアップすると、これが金星なんですね。

 金星がメラメラ燃えていました。明けの明星、イエスさまの訪れのしるし、なんか二つのこの星の神さまからのサインをいただいて、この二〇二一年の主の祝福のしるしをしっかりといただいたような、そんな年明けでした。

 そしてこの新城教会では預言的メッセージというのが、今年も与えられましたので、もう一度、おさらいしたいと思います。先週も皆さんで一緒に見ましたけども、一緒にお読みしたいと思います。よろしいですか。

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 <<預言的メッセージ>>

 昨年はあなた方にとって、波逆巻く嵐の中を小舟で進むような一年でした。しかし、わたしがあなた方とともにいて、あなた方を励まし、あなた方の敵を追い払いました。

 新しい年は「喜びの年」です。
 あなたは、まずわたしを喜び、わたしがあなたを訪れる道を整えなさい。
 宣教七十周年を振り返り心から感謝するとともに、あなたの将来をわたしに託し、希望を持ちなさい。苦しみは大きな勝利の喜びへと繋がっているのですから。

 ダビデが王服を脱ぎ捨てて力の限り喜び踊りながら、神の箱を迎えたように、あなたの着ている、神に逆らう「自分」という王服を脱ぎ、主ご自身が着せられる「油注ぎ」という王服を着なさい。七十一年目の今年、主の回復が訪れます。

 昨年、あなたは苦難と社会の変化の中で、いかにわたしを信じるかを試されてきました。それは、さらに強い信仰を持つことをあなたにもたらしました。新しい年にも、わたしはあなたに同じことを望みます。

 どうか、主にある喜びを持ち続けてください。今は喜べない状況にあるかもしれませんが、気落ちせずにわたしを信じ、感謝の祈りを忘れずに、喜びを持ち続けてください。それが、あなたの力なのですから。

 わたしはあなたにカナンの地を与えます。七十年が満ちた年、あなたに大粒のぶどうの実を担がせましょう。勇気を出しなさい。わたしはより多くの収穫が得られるための備えをしました。

 あなたは、右に行くにも左に行くにも「これが道だ。これに歩め」とささやくわたしの声をよく聴き、疲れることなく歩み続けなさい。
 二〇二一年は「回復と再建の年」となります。

 わたしは、わたしのしもべのことばを成就させ、わたしの使者たちの計画を成し遂げさせる。エルサレムに向かっては、『人が住むようになる』と言い、ユダの町々に向かっては、『町々は再建され、その廃墟はわたしが復興させる』と言う。
 淵に向かっては、『干上がれ。わたしはおまえの川々をからす』と言う。
 わたしはクロスに向かっては、『わたしの牧者、わたしの望む事をみな成し遂げる』と言う。エルサレムに向かっては、『再建される。神殿は、その基が据えられる』と言う。」 イザヤ書 四十四章二十六~二十八節

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 ということで、預言的メッセージ、本当に神さまがこの新城教会にくださいました。この年は回復と再建の年となるということを信じて、進んで参りましょう。現実的にも教育館の再建工事が行われています。

 教会に来られない方々のために写真をちょっとだけお見せしますけども、こんな形で修復の工事が、まさしく再建の業が進んでおりますので、そのことを信じて現実的にも、また皆さんの生活の中にも、神さまの再建が訪れると信じていきたいと思います。

 はい、そして今日のみことばですけども、私自身に与えられたみことばをもう一度開かせていただいています。詩篇百五篇十一節のみことばです。

 『そのとき主は仰せられた。「わたしはあなたがたの相続地としてあなたに、カナンの地を与える。」』

 これが二〇二一年に与えられた、神さまからのみことばです。是非信じていただいて、一緒に共有していただければと思います。これ二〇二一年は、カナンの地の祝福が与えられる!そのことを信じて前進していただければと思います。
 先ほどの預言的みことばの中にも、「この年は喜びの年となる」と書かれています。ですから、本当に喜びの年であると信じて進むことができればと思います。
 ただ終わりの時代ということには変わりがないので、日々イエスさまの帰られる日が近づけば近づくほど、戦いは激しくなって、二〇二一年、二〇二〇年より手強くなるかなっていう、そんな印象を皆さんももう持っておられるかもしれないですけど、でもその中で神さまが私たちに語っておられるのは、「喜びなさい」というのが、主からのみことばですので、ですから喜び続けていきたいと思います。

 先ほどの賛美の中で、「さぁリズムにのって」という歌を歌いましたけど、あの賛美が与えられたのは、詩篇六十八篇三節から四節のみことばなんですね。実はこのみことば、今年の上條先生が与えられているみことばなんですけど、

 『しかし、正しい者たちは喜び、神の御前で、こおどりせよ。喜びをもって楽しめ。神に向かって歌い、御名をほめ歌え。雲に乗って来られる方のために道を備えよ。その御名は、主。その御前で、こおどりして喜べ。』

 私たちは主のみ前で、主の帰られる道を備えるという大きな戦いを主から託されて戦っていますけども、そのみ前で私たちは何をしたらいいかと言ったら、小躍りして喜べ!というのが主からのみことばです。激しい戦いで、激しい苦しみの中に置かれることもあるかもしれないけども、その中で私たちはカナンの地の祝福をいただく中において、やっぱり喜びを失うことなく、絶えず歩んでいきたいと心から願うものであります。

  昨年、何度も語られたみことばのエレミヤ書二十九章十節の最後に、

 というふうに主は語っておられました。「この所」というのは、他でもなく、カナンの地なんですね。約束の地、祝福の地、乳と蜜の流れる地。それがカナンの地で、その祝福を与える!という、その祝福の言葉を受け取りたいと思います。

 モーセがヨシュアとカレブ、そして十人の各部族の代表者たちをカナンの地に遣わした時の事が民数記に書かれています。そのことが民数記の十三章二十節を見ると、モーセがこう言っています。

 『土地はどうか、それは肥えているか、やせているか。そこには木があるか、ないかを調べなさい。あなたがたは勇気を出し、その地のくだものを取って来なさい。」その季節は初ぶどうの熟すころであった。』

 その十二人の斥候を遣わす時に語った言葉ですけども、それに対して行って帰ってきた時の出来事がこの二十三節に書かれていますけども、

 『彼らはエシュコルの谷まで来て、そこでぶどうが一ふさついた枝を切り取り、それをふたりが棒でかついだ。また、いくらかのざくろやいちじくも切り取った。』

 カナンの地の祝福というのが規格外だったんですね。本当に大きな規格外な祝福で、この置物にあるように、二人で大きなぶどうを担ぐほどの祝福。私たちの普段食べるぶどうって、いくら大きくても片手で乗るんですけど、それを片手どころか、二人で担がなければならないようなものがカナンの地にはあった。この二〇二一年、本当に神さまのくださるその祝福というのが、どのようなものか、この七十年が満ちて、回復と再建が現されるというのがどのような祝福に満ちたものか、抱えきれないほどのものだということを信じていきたいと思います。

 ですから喜びに満ちたこの二〇二一年の幕開けの中で、神さまが私たちに語っておられることを一つ一つ受け止めていきたいと思います。
 ただやっぱりリバイバルというのは大きな主の戦いで、二〇二一年がどのような戦いになるか分からないですけども、戦いであることは変わらないですね。

 先日もお証しさせていただきましたけど、先日、秋田にザワメキで奉仕させていただいた時に、本当に神さまがリバイバルというのはこういったものだよということを教えてくださった気がしました。猛吹雪の中で私たち、秋田の地に降りたって、そして地元の牧師先生が私たちを迎えに来て下さって、その先生の車に乗り込みました。もうすでに雪が積もり路面は凍結していました。すごい雪で前がよく見えないような中で運転なんですけど、さっと運転し始めるとやっぱり結構スピード出されるんですよ。「先生、先生!気をつけましょうね。」みたいな感じで始まりました。でも「僕たち慣れてるから。」と、そうおっしゃっていて、それで進んでいきました。
 それで車内の中ではいろんな話が弾んでたんですけども、その中でリバイバルについての話になり、リバイバルには霊的戦いがあるという話をし始めた直後の出来事でした。私たちの目の前の車が軽自動車だったんですけども、私たちの目の前を走っていたかと思ったら、くるっとスピンして回り出しちゃったんですね。スリップして、そしてガードレールにぽこっと当たっちゃったんですね。激しい当たり方じゃなかったので大丈夫かなと思ったんですけど、ただその雪の中だったので、これはもう助けに行くしかないなと思っていたら、その方、生命力のある方で、自力でバックして、そしてまたゆっくり進み始めたんですね。だから大丈夫かなっと、前だけを私たち全員で見ていたら、そしたら次の瞬間だったんですけど、後ろからバーンッ!と後続車にぶつけられました。本当にびっくりしました。シートベルトしててよかったなと思ったんですけど、もう激しい衝突で、私的にはそこまでの経験がなかったので、バーンッ!と来て、目が熱くなって目ん玉飛び出るってこういうことかなと思ったんですけど、大丈夫かなぁという状況でした。
 だから神さまは、リバイバルの働き、本当に大きな栄光を現すけども、そのリバイバルの戦いというのは、土台そのものを勝ち取るための働きで、その地域に行ったら、その地域を勝ち取る。それは私たちではなくて、神さまがしようとされるために、私たち遣わされていくので、やっぱりその地域に対する本当に大きな戦いを進めさせていただかなかったらいけないという思いを、もう一度強く持ちました。
 だから思わず「先生、ごめんなさい。」って言ってしまいましたけど、祈り不足だったかな?いや、でも本当にいつも皆さんが祈ってくださるからこそ、そこまでで終わった、本当に守られたんだと思うんですけど、でもその中にも本当に主の助けがあって、守りがあって、一一〇番倍したら今日はあちこちで雪の事故があるのでしばらく待っていただかなきゃいけないと言ったので、これは一時間から一時間半、待たなきゃいけないなと思ったんです。でも私の感覚では五分後に警察官がジャンジャジャーンって現れたんですね。本当にいい方でした。
 吹雪の中なのにもかかわらず、すごく暖かさを感じさせてくださる若い警察官で、「大丈夫ですか?」と言ってくださいました。「一応ちょっと皆さんの名前を聞かなきゃいけないので、後部座席のあなた、何ていう名前ですか?」とおっしゃったので、「滝元開と言います!」『たきもと…』「元は元気の元です。開は開閉の開。開く閉まるの開。」『うーん、書けない。』とか言うんですよ。この人わかんないのか。「門に鳥居みたいのが、、」と言うんですけど、『うーん、ちょっと書いてください。』と言うのです。えっ?わかんないの?と思ったら、そうではなくて、現場が二つ目だったらしくて、他の現場でも一生懸命やって手が悴むような仕事をして、さぁ帰ろうと思って、コンビニの駐車場にいたら、電話があって五分先のところに私たちが居たということで来てくださって、悴みながらしてくださって、神さまの助け、こんな中にもあるんだなぁと、彼のためにも本当に私たち祈りました。
 そしてぶつけちゃった二十三歳の男の子も、「ごめんなさい。ごめんなさい。」とか言っているんですけど、ただ牧師先生が優しい方で、「よくもやってくれたなー」という感じ、ゼロなんですよ。「大丈夫?大丈夫?」と、本当に優しくちゃんと対応して、「このあとは保険屋さんがやってくれるから大丈夫だから。」と言って、それでその時はそれで終わりました。やっぱり本当に主の戦いの中には助けがありますけど、でも戦いはあるんだという事を、もう一度しっかりと知りなさい!ということで神さまが教えてくださった、そんなひと時でした。
 そして、秋田での奉仕、本当に祝福されました。皆さんと一緒に賛美したんですが、二回の礼拝での奉仕だったんですけど、午前八時からの礼拝と、午前十一時からの礼拝で、「八時からの礼拝は人が少なくてお年寄りだから、しかも秋田の人たち、あんまり表情ないから、気になさらないでくださいね。」と言われました。「はい、分かりました。」と言って、集会を始めたんですけど、表情まで確認はよくできないんですけど、ただ歌い始めたら熱いんですよ、皆さん。ぐわーっと熱く燃えてくるというのがすごく伝わるんです。あれ不思議ですね。面倒くさいなぁと思うと、面倒くささがこっちに伝わってきますし、「イエスさま!」と思って歌っていると、こちらまで熱くなるんですね。だから本当にその賛美の中で、本当に神さまが遣わせてくださった素晴らしいひとときだったなぁと思って感謝しました。

 そして帰ってきて、自宅に着いたら、その秋田の先生からLINEが届きました。「本当に今回よかった。戦いもあったけど祝福された。」という報告で、それとともに、「あの後、その二十三歳の青年と、そのお母さんと、母子家庭らしくて二人で教会に来てくれた。教会でいろんなお話をすることができて、そして最後は一緒に会堂の中に入って一緒に祈った。そして帰る時には、また教会に来ますと言って帰って行った。本当に祝福だった。」と、そうおっしゃっておられました。
 神さまの戦いは進みます。敵はやっぱりサタンも生きているので、何とかしてその隙あらば、バンッと攻撃してくるのがサタンの働きですけど、私たち、主によって、本当に勇気を失うことなく、戦い続けていきたいと心から願います。
 昨晩はザワメキのワーシップシャウトライブ配信が行われました。本当に祝福の時で、多くの方々が一緒に主を見上げて賛美してくださいました。その中でカンボジアの宣教師の宮野宣教師という方がメッセージを届けてくださいました。

 その先生が昨日は素晴らしいメッセージをしてくださって、その中で語られたのがアイデンティティということについて語られました。アイデンティティというのは、人や会社などが他人から推し測られたものではなく、「自分自身」という存在に対して、自分で定義できる意識を持っているもの。
 ですからアイデンティティ、「あなたは誰ですか?」と聞かれた時に、「私は新城教会の滝元開です。」と普通言ってしまいますよね。「私はどこどこの会社の誰々です。」「どこどこの学校の誰々です。」「どこどこの学校を出た誰々です。」というふうに言うわけですけど、でもそれらは外側から自分たちに対して測る測りであるわけで、「あなた自身は誰ですか」ということが、終わりの時代にはすごく大切だというメッセージをしてくださっていました。
 ですから本当に激しい戦いの中で、例えば会社が倒産すると、「どこどこ会社の私です。」という、そのどこどこ会社がなくなってしまうわけですよ。でもそんな中でも立ち続けることができるためには、自分自身のアイデンティティというものがはっきりしなきゃいけない。それはどういったアイデンティティが必要かというと、「油そそがれた神の子としてのアイデンティティ、それを持ちなさい。」というメッセージでした。
 本当にこの二〇二一年に対して、神さまが私たち一人一人は神の子どもであると、神の子として油そそがれた者であるという、そこに立つべきだなということを本当に主は語ってくださった気がしました。

 ヨハネの福音書一章十二節に、

 『しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。』

 私たちに与えられた特権というのは、イエス・キリストという救い主、その名を信じた人々には神の子どもとされる特権が与えられている。いや〜、すごいことなんですけど、分かっているようで分かっていなかったというか、本当にすごいものなんだなぁということを再認識させていただきました。
 私たち一人一人、皆さんお一人一人は誰ですか?と聞かれたら、「私はどこどこ村の村長です。」と言っても、その肩書きはいつか消えます。それ以上に素晴らしいのは、「あなたは誰ですか?」と言ったら、「油そそがれた神の子どもです。」と言う時に、どんな中でも変わることのない神の使命を果たすことができる。そんな一年になればと思います。

 ダビデ王様は油そそがれたんですけど、でもその油そそがれた彼も最初は、「自分には力がない」と思っていたらしいんですね。第二サムエル三章三十九節、

 『この私は油そそがれた王であるが、今はまだ力が足りない。ツェルヤの子らであるこれらの人々は、私にとっては手ごわすぎる。主が、悪を行う者には、その悪にしたがって報いてくださるように。」

 このように語っています。「相手は手強い」と、二〇二一年、手強いかもしれないけど、しかも、そして自分には力がない。それに立ち向かうだけの力がないけど、でも私は油そそがれた者である。神の子であるという、その宣言をしていく時に、神さまご自身が私たち一人一人に働いてくださって、カナンの地の祝福というものを受け取ることができると思うんですね。
 だからカナンの地に入って、戦いがこれから進むかもしれないんですけど、私たちの今まで経験したことのないような規格外の神さまの祝福を受け取ためには、まずどこに立つか、それは、油そそがれた神の子としてのアイデンティティに立って、この年は進ませていただきたいと心から願います。

 そのカナンの地の祝福の根源というのは、やっぱり信仰の父アブラハムなんですね。アブラハム自身が自分を主のみ前におささげして、「主に私をささげます。あなたを信じます。」と信じた信仰によって、彼は義と認められたということとともに、「その子イサクもささげなさい。」と言われたんですね。
 今日、「主の山に備えあり」という歌を歌いましたけど、神さまは私たちに備えてくださるお方ですから、この年は様々な戦いがあるかもしれないけど、アドナイ・イルエ、主は必ず備えてくださる。そのことを信じて進むことができればと思うんですね。

 しかし、そのアドナイ・イルエという言葉の前に、アブラハムは大きな本当に試練にあってるんですね。創世記二十二章、今は時間がありませんので全てはお読みしませんけど、二十二章を読んでいくと、「その子イサクをわたしにささげなさい。」と言うんですね。神さまの言葉に従って、モリヤの山でイサクを縛って、そして屠ろうとすると、「しなくていい。わかった。あなたはわたしに対して従順だった。」と言って、その剣を下ろさせて、そしてそこに備えられていたのが、牡羊が山の木に引っかかっていたんですね。神さまが備えてくださった。それが創世記二十二章十四節に書かれています。

 『そうしてアブラハムは、その場所を、アドナイ・イルエと名づけた。今日でも、「主の山の上には備えがある」と言い伝えられている。』

 と書かれています。神さまは、この年も本当に私たちの行く先々に備えて下さることを信じていきたいと思います。それにはアブラハムが大切なひとり子をささげたほどに、私たちも私たちの大切なものをおささげする時に、主は大きな祝福を与えてくださいます。

 県民の森の祈祷会で、毎年、新年には入って祈っていますけども、私は自由な祈りの時間に必ず毎年山に登って祈ることをしています。たった三十分弱の時間なので、本当に短い時間なんですけど、うわーっと山に上がって、そしてそこでハレルヤ!と叫んで、ちょっとだけお祈りして賛美して帰ってくるんですけど、なんかそこに行くといつも主の山には備えがあるという、そんな印象をすごく受けるんですね。その山のどこかに雄羊が引っかかっていそうな、そんな気がする場所なんですけど、そこは去年行った写真がこれなんですね。

 皆さんと一緒に行って、そこで叫びました。本当に大きな恵みの時でした。一昨年はこれです。
 もっと人が多いんですね。いっぱいいろんな人が行ってくださいました。そのまた三年、四年ぐらい前かと思うんですけど、その時はもっと多いですね。燃えてましたね。というか、過去形じゃいけないんですけど。
 皆でここで叫んで、主の勝利!と叫ぶんですけど、でもやっぱり叫ぶ中で、あぁ主の備えがあるなぁと感じています。先週も行ったんですけど、先週はなんとたった四人でした。
 さぁ行きますよ!と私が声をかけなかったからいけなかったかもしれないんですけど、ぜひ今日も祈祷会ありますので、ご一緒に山に足腰が大丈夫な人はご一緒に行っていただければと思います。

 神さまがくださる二〇二一年の祝福、カナンの地の祝福をいただくために、喜びをもって進む。そして私たちは油そそがれた神の子であるという、そのアイデンティティに立って、私たちの大切なものを主のみ前におささげして歩んで行く時に、神さまのみ業がなされますので、そのことを信じて、前進していく二〇二一年でありたいと、心から願います。

 一言お祈りさせていただきます。

 ハレルヤ、愛する天のお父さま。あなたの素晴らしいみ名をあがめて心から感謝します。この二〇二一年、あなたの大きな恵みと祝福の中で始められたことを心から感謝します。あなたは二〇二〇年の本当に激しい戦いの中にも絶えず共にいて守ってくださったことを心から感謝します。今はすべての栄光をもう一度お返しします。二〇二一年も、すでにあなたが私たちに先立ってみことばを持って道を備え、励まし、強めて、導いてくださっていることを感謝します。
 私たちには、この二〇二一年、どのような年になるのか分かりませんが、主よ、もう一度、私たちに喜びを与えてください。喜びの油を注いでください。小躍りして喜びをもって、あなたに賛美をささげ続ける、そのような一年でありますように主よ、導いてください。喜びを失うことがないように、戦いの中でも喜びを失うことがないように、絶えずあなたからの油注ぎをお与えくださいますように、主よ、お願いいたします。
 また主よ、私たちが、油そそがれた神の子であるという、そのアイデンティティに立つことができますように。あなたが私たちを本当に神の子としての特権を今与えて下さっていることを感謝します。今、私たちのすべてをもう一度おささげします。私たちの大切なものすべて、主よ、あなたの前にささげますから、どこにおいても、アドナイ・イルエ、あなたの備えのある中で歩み続けることができるように助けてください。
 今日のこの恵みを心から感謝します。二〇二一年、もう一度あなたにささげ、私たちのすべてを主よ、あなたにおささげして、尊き主イエス・キリストのみ名によって、この祈りを父なる神さまのみ前におささげいたします。アーメン。



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