「2017年あなたは良いもので満たされます! パート28
 〜あなたはキリストの大使です〜」

2017年11月26(日)
新城教会主任牧師 滝元順
第二コリント5章18節〜20節

『これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。』

 ハレルヤ!おはようございます。ゴスペルクワイヤーの賛美、すごかったですね。主の臨在が会堂に満ち溢れました。まもなくクリスマスがやってまいります。今は日本中にクリスマスソングが流れていて、一般の方々も、主をほめたたえる時期ではないかと思います。その中心が教会でなくてはなりません。ヘブンリーキングダムの賛美は、本当に主の臨在に溢れていました。クリスマス集会、これから多く行われますので、是非とも新しい方々をお連れいただきたいと思います。

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 みなさんのお祈りに支えられ、日本縦断リバイバルミッション、最後のパートである関西地方を巡回させていただきました。私は先週の水曜日に戻って来たのですが、その後、平岡先生が巡回しておられます。今回、一緒に回らせていただいたのは、韓国からチェ・ヨンドゥ先生が来てくださいました。

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 関西のいろいろな教会で奉仕をさせていただきました。特に関西地方は、一九九三年に行われた、甲子園リバイバルミッションの中心地で、多くの教会が協力してくださったわけですが、懐かしい先生方にもお会い出来ました。当時活躍してくださった先生方は、世代交代をしたり、だいぶお変りになっていたのですが、あんたも変わったよと言われましたが、熱いリバイバルへの思いが再びわき上がって来ました。大きい集会も、小さな集会もありましたが、すべて祝福されました。

 リバイバルミッションは来年から、いろいろと編成が変えられるのですが、スピリットは同じです。日本縦断リバイバルミッションと同じような、日本全国を回る伝道集会は今後も継続したいと願っています。
 近頃、伝道集会が少なくなったと言われます。リバイバルミッションはある意味、日本で唯一の宣教団体みたいな存在で、全国を回って伝道会を開催しているのですが、その働きを支える中心となってくださっている、新城教会の兄弟姉妹に、心から感謝致します。

 今日、みなさんと一緒に学びたいみ言葉は、第二コリントの五章からです。今読んでいただいた箇所ですが、五章二十節に、『こういうわけで私たちはキリストの使節なのです。』と記されていますが、「使節」とは、英語でアンバサダー、「大使」と訳すことができます。私たちは神の国の大使として、この地に遣わされている存在です。
 福音とは宣言であり、イエスは主である!イエスは王である!と宣言することであると先週も山崎先生から学んだと思いますが、私たちは神の国から遣わされた大使として、本国の意向を人々に伝える存在です。

 韓国リバイバルミッションが二度に渡って韓国で開催されましたが、その時、私は日本にある韓国大使館に行って、韓国から来られた大使さんと会って、韓国でリバイバルミッションを開かせていただきます。よろしくお願いします、とご挨拶したり、韓国の日本大使館にもお邪魔して、日本から遣わされた大使さんに会って、「私たちの団体が、韓国との和解の集会を開催しますので、よろしくお願いします。」と挨拶に行きました。すると日本から遣わされた大使さんが、「韓国に、教会があるんですか?」と言うのです。ちょっとびっくりしました。「大使さん、外に出て見てください。ソウルは十字架だらけですよ。」と言ったら、「いや〜、大使館にはデモ隊ばかりが来て、ここから出ると危険だから、私は大使館にこもっていて、外のことはわからない。」と言われました。韓国の実情を大使さんは、あまりご存じないようで、私がいろいろと説明差し上げたのですが、やはり、それではいけないです。大使とは、本国から遣わされ、相手国の中に入って、本国の意向を正しく伝える役割でなかったらいけないのです。

 ここに述べられている箇所は、大変重要な箇所だと思われます。そして、ここにあるキーワードは、「和解」です。
 キリストの大使の役割は、「和解の務め」です。和解の前提には、対立があるということです。友達と喧嘩して和解したという経験があると思いますが、対立は良い環境ではありません。幾日も友達と口をきかなかったり、奧さんと口をきかなかったり、旦那さんと口をきかなかったりして、辛い思いをした経験は誰にでもあると思います。しかしある時、雪解けの季節が来て和解したら、心も安らかになり、今までせき止められていたものが流れ出す経験をすると思います。神の国の意向、それは和解です。
 そんなことを意識して、先ほどの箇所をもう一度読んでみたいと思います。第二コリント五章十八節〜二十節。
『これらのことはすべて、神から出ているのです。』と断言しています。すごいです。

『神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。』

 クリスチャンになると、何が起こるのか、それは神との対立関係が解消されるのです。イエス・キリストを信じる以前、天地宇宙を造り、私たちを造ってくださった創造主と対立していました。それは絶対にやばいですよね。
 例えば、自分を生んでくれた親と対立していたら、幸せじゃないです。それ以上に、私たちを造ってくださった創造主と対立があったら、幸せになれっこないです。まず私たちは、神との和解を受け入れなければいけないのです。
 初めの人間、アダムとエバは、最初は神と良い関係でしたが、蛇の誘惑によって、罪を犯したゆえに、神と人類との間に壁ができて、対立構造ができてしまったのです。
 しかし、イエス様が地上に来て、第一に、神と人との間の壁を取り去られたわけです。
 人間が一方的に神との壁を作ったのですから、普通なら、「せっかくおまえ達を造ってやったのに!今までの行為はなんだ!」と責められるのかと思ったら、そのような責めを人々に負わせないで、和解のことばをゆだねられたというのです。神の国の大使としての役割が与えられたのです。
 近頃、この辺を車で走っていると、不気味な看板に出会います。

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 言っておきますけれど、これは私たちが掲げたものではありません。誤解しないでくださいね。「死後さばきにあう」とか、「地獄の消えない火をのがれよ」とか、恐ろしい看板ばかりです。

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 こんな看板を誰が貼っているのかというと、キリスト教も幅広くて、「キリスト教右翼」みたいな人たちがいるわけです。彼らの福音理解は、「神と和解せよ!」という看板を誰かが見たら、「あなたこれを見ましたね。信じなかったらあとはあなたの責任ですよ。地獄の火に焼かれるという看板を見たでしょう。何があったって、あんたのせいです!」と言うわけです。上から目線の看板を全国に貼ったり、街宣車で叫んでいます。このような活動には、反発も多くあります。
 聖書は看板を見たら、あなたの責任で、人生に何が起きても知りません、とは告げていません。聖書は、『ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。』と告げています。上から目線ではなく、神側から、人と和解することを切望されているのです。この言葉を見たら終わりだ!という福音理解は間違いです。
 やっぱり人々は反発しますから、「神と和解せよ」という看板にいたずらして、こんなふうに書き換えています。

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 「神」という字も、ちょっと細工するとこうなるわけです。なかなか、いたずらする人たちも考えるものだなぁ、と感心しました。またこんなのもあります。

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 「地と人はネコのもの」そういえば、猫は自由だもんなと思います。

 福音を伝えるのは、上から目線ではなくて、聖書が告げているように、『ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。』と、神様のほうから、愛を持って語りかけて下さっているのです。一人一人の所に来て、「わたしと和解しましょう!」と、語りかけてくださっているのです。
 今日、教会に初めて来られた方がおられたら、天地宇宙を造ったただ一人の方、イエス・キリストとの和解が成立するなら、神の持っている祝福が、あなたに流れるはずです。罪も赦されるのです。
 それが、何によって成し遂げられたかと言えば、イエス様の十字架の死と復活によって完成したのです。十字架の救いは、二千年前に完成しています。ただ私たちが心を開けば、神は私たちと和解して下さるのです。そして、神の国の大使に任命され、他の人たちに和解のことばを伝えることができるのです。
 クリスマスは、和解のことばを全世界の人々に知らせるチャンスです。是非とも、このチャンスを生かしていただきたいです。

 今回、新城教会では、週報に発表されているように、多くのクリスマス集会が計画されています。十二月から、怒濤のような日々が始まるのですが、特にメリハリつけてお迎えしたいのは、すべてのプログラムですが、十二月十三日の水曜クリスマス祝会です。この集会には、アメリカから三人の黒人プロ・シンガーの人たちが来てくださいます。
 ジョンさんと、ティムさん、もう一人女性シンガーも来られて、今日のヘブンリーキングダムもすごかったですけれど、この三人は神様から、歌の賜物をもらっています。普通じゃないです。この人たちは歌うために生まれてきた感じです。他のためじゃない人たちです。感動しますよ。是非とも、多くの方々をお連れ下さい。
 クリスマス集会は、神が和解を懇願しておられる事を、伝える良い機会です。

 しかし、この「和解」というテーマは、聖書全体を見ると、広範囲に及んでいます。「神と人との和解」だけで終わっていないのです。和解のテーマは、本当に広いです。ということは、和解のテーマの全体像を知ると、神の国の大使としての役割の大切さが、クローズアップされます。

 聖書を読むと、最初に大使として選ばれたのは、日本人ではありません。それはイスラエルのたち、ヘブル民族が特別に、神に選ばれたのです。世界は広いのですが、その中で、神はイスラエルだけを選び住まわれたのです。
 だから今でもユダヤ人はプライドを持っています。「自分たちは、神の選民である!」いうプライドです。他の人たちは、異邦人というわけです。神の選び、和解のことばは、本来、イスラエルの人たちと神様との間に成立したものでした。
 しかし現在、私たちにも和解のことばをゆだねられているのは、どこに根拠があるかというと、エペソ二章十四節〜十六節です。

『キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。敵意とは、さまざまの規定から成り立っている戒めの律法なのです。このことは、二つのものをご自身において新しいひとりの人に造り上げて、平和を実現するためであり、また、両者を一つのからだとして、十字架によって神と和解させるためなのです。敵意は十字架によって葬り去られました。』

 最初、和解は、神とヘブル民族だけの間であったのが、イエス様の十字架によって、その壁が取り払われ、和解は、全世界に広がったのです。主が住まわれる地は世界となりました。
 しかしながら、ユダヤ人と異邦人の対立関係は、今もなお続いているのは確かです。敵意の根源は、『敵意とは、さまざまの規定から成り立っている戒めの律法なのです。』と記されているように、分かるような分からないような表現ですが、ユダヤ人と、私たちの間に敵意が生じているのは、神がモーセに与えた十戒の故です。

 午後から霊的戦いセミナーをさせていただくのですが、「この地は主のもの!」という大きなテーマで語らせていただきます。礼拝メッセージの延長ですが、明日から行われます霊的戦い専門課程の練習というところもあります。
 もう一つ、霊的戦いの激しい領域は、やはり経済です。今日は「経済と霊的戦い」で、「仮想通貨」というテーマを扱います。この頃、マスコミにもよく登場するでしょう。それがどういうものか、分かるようで、分からないです。それらについて午後から説明します。

 近頃、通貨そのものが変わっています。現金をあまり使わないで、仮想通貨みたいなものです。私はスイカをよく使うのですが、コンビニでスイカで支払ったり、現金をあまり使わなくなりました。そもそもあれらも、仮想通貨の一種です。
 しかしそれらは、仮想通貨といっても自国の中央銀行が絡んでいます。日本なら日銀です。日銀は円の発行権を持っていていますが、民間です。アメリカのFRBはドル札の発行権を持っているのですが、全員、個人の銀行家たちが持っています。彼らは全員、ユダヤ人です。
 どうして、世界中の金融をユダヤ人が握ることができたのかといったら、律法があったからです。律法の中に、金の貸し借りについても規定があります。「金を貸しても、利息を取ってはいけない。」という規定です。
 この会堂を、今から三十数年前に建てました。その時、銀行から八千万円くらい借入ました。当時、年利どのくらいだったと思いますか?なんと、年利八パーセントでした。消費者金融で借りるのと、あんまり変わらない利息を某銀行に取られました。利息で倒れそうでした。現在、住宅ローンは一パーセントくらいで借りられるのではないでしょうか。
 しかしユダヤ人の間では、お互い利息を取るな!という規定がありましたから、利息を取らなかったのです。利息がなければ、経済活動は豊かになるでしょう。
 しかし、我々のような異邦人に対しては、ゴイムと呼んで利息を取っても良かったのです。ユダヤ人達が金貸し業を始めて、異邦人に金を貸して、がばちょと儲けたわけです。

 しかし律法の壁はすでに崩されているのです。ユダヤ人たちは気づいていないのです。イエス様の十字架によって、本来、ユダヤ人との敵意の壁はないのです。
 ということは、イスラエルだけに主が住まわれるという規定も取り去られて、今や全世界に主が住んでおられるのです。
 イスラエル旅行のことを、「聖地旅行」とよく言いますが、聖書的に言ったら間違いです。なぜなら今は、イスラエルだけが聖地ではないからです。全世界に、主が住まわれますから、日本だって、主が住まわれる聖地です。壁が取り去られ、すべての領域に、主の祝福が流れるのです。それがいつ完成したのかと言えば、イエス様の十字架の血によって、ユダヤ人と異邦人との壁が取り払われ、和解が成立したのです。
 だから今、私たちは和解の使者として、ユダヤ人ではなくても、どこに行っても、イエス・キリストの福音を伝えることができるのです。和解を宣言することができるのです。
 しかし一方、ユダヤ人と異邦人の和解が成立したことによって、責任も生じるということです。

 前回も触れましたが、このみ言葉が本当だとしたら、たいへんな事です。民数記三十五章三十三節〜三十四節です。

『あなたがたは、自分たちのいる土地を汚してはならない。血は土地を汚すからである。土地に流された血についてその土地を贖うには、その土地に血を流させた者の血による以外はない。あなたがたは、自分たちの住む土地、すなわち、わたし自身がそのうちに宿る土地を汚してはならない。主であるわたしが、イスラエル人の真ん中に宿るからである。』

 これは旧約聖書の言葉ですから、当初はイスラエルの領土に限られていました。イスラエルという地理的領域は、主が住まわれる土地でした。その土地に血が流されたら、土地が汚されるというのです。なぜなら、イスラエル人の真ん中に主が宿っておられるからです。
 もしも血で汚れた土地を回復したかったら、『土地に流された血についてその土地を贖うには、その土地に血を流させた者の血による以外はない。』と言うわけです。誰かが殺人事件を起こして、土地に血が流されたら、血を流させた者を連れて来て、全員殺せということになるわけです。聖書の律法って恐ろしいです。例えば、ちょっと怖い映像を見せます。

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 オレンジの服を着せられている人たちは、皆クリスチャンだと言われます。ISというテロリスト達が、その後、全員を殺害したのです。血が流れたら、その土地が汚れるわけです。土地が汚されたら、黒い連中、全員を処刑するまで、土地の呪いは解除されないというわけです。

 ユダヤ人と異邦人の壁が壊され、主が住まわれる土地が全世界に広がった今、すべての土地に主が住まわれるわけですから、世界中で流血事件が起こる事によって、どれほどの土地が汚されているか分からないです。
 そう考えると、この近所はたいへんな場所です。十六世紀に、一万六千人も殺されたからです。
 六十年前、父がこの地に入って来て教会を建てる時、田舎は土地をなかなか売ってくれなかったのです。「先祖からの土地は売りません。」と。
 しかしこの土地は信じられないほど安く買えたのです。現在、この近所は、坪、約二十五万円〜三十万円くらいします。しかし父はなんと、坪五百円で買いました。子どもの小遣いでも一坪くらい買える金額です。父は、五百円じゃかわいそうだと思って、一坪千円で買ったと自慢していました。三百坪買ったのです。六百坪もらえばよかったのにと思うけど、なぜ、安かったかと言ったら、この土地は流血が多かった場所で、人々はこの土地を恐れていたからです。

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 馬房柵付近はもっと多くの人が死んだはずです。夏の暑い日に死んで、すぐにあの付近に埋葬されました。あの辺の田んぼの土は、昔は人だったと思われます。この近所は、ある意味で呪われた地です。

 話はちょっと変わるのですが、数年前、この教会に私によく似た人が来られました。私は親しみを覚えて、「どこから来られたのですか?」と聞いたら、「あんまり聞かないで。」と言われるのです。聞かないでと言われると聞きたくなるので、よく聞いたら、寺の坊さんでした。
 「なぜ、来られたのですか?」と聞いたら、彼の言うには、「この頃、寺はどんどん廃れている。」というのです。「でも新城教会を見ていると発展している。それでその秘訣を勉強に来た」というのです。「勉強してどうするんですか?」と聞いたら、「寺に導入したい」と言われました。ちょっと複雑な気分になりましたが、「なんでも教えてあげるから来てよ。」と言ったら、彼は喜んで来るようになりました。
 彼と友達になって、家でバーベキューなどをする時、「我が家でバーベキューするからおいでよ!」と誘ったりして、いろいろと良い交わりが出来るようになりました。それで彼と深い話ができるようになり、個人的な悩みなども相談してくれるようになりました。彼は某宗派の総本山で、何年間か僧侶となるための修業したみたいです。その時は本当に辛かったと話していました。それで私は彼にこう話しました。
 修業とは、自分が仕える霊に限りなく近づく時です。人も近づけばよく分かります。近づけば近づくほど、その人のことが分かるように、修業は自分が仕える霊に限りなく接近する時なのです。「その時にもしも病むならば、考えものじゃないか?」と話しました。いつも近づいている霊が、敵なのか味方なのか、よく判別しないといけないという話をしました。
 みなさんどうでしょうか。教会に来て、一緒に礼拝する時、「おぉ・・頭痛い・・」とか、なりますか?教会ではならないですよね。「すばらしい!」って感じます。私たちの神様が、どういう方か分かります。だから私は、そのように話しました。

 先週まで私は関西を回らせていただいたのですが、ある教会に行ったら、「今日は寺の坊さんを誘っているから覚えておいてね!」と言われました。寺の坊さんが私の集会に来るというのです。
 いろいろと注意して話さないといけないなと思って、講壇に立ってから見渡すと、私と同じヘアスタイルの人はいませんでした。坊さんが来るとは言っていたけれど、やっぱり来ていないな・・・。そりゃ来るわけないわ!と思いながら、先ほどの話をしました。
 そうしたら前から二列目に、一人の男性が深刻な顔をして話を聞いておられました。髪はふさふさでした。
 集会が終わってから、その人に近づいて、「今日どうでしたか?」と聞いたら、なんとその人が、寺の坊さんでした。彼は、自分のことを言われたと思ったらしいです。彼はたいへん悩んでいて、教会に来て、前から二列目に座っていたわけです。
 なんで丸坊主じゃないの?と聞くと、「盆の時だけ丸坊主にする。」というのです。なんちゃって坊主だなと思いましたが、他の時は髪の毛を生やしているというのです。「寺はそんなに忙しくないから、他の仕事をするのに、丸坊主だと都合が悪い。」と言うわけです。「俺、素顔でやってるんですけど。」と思いましたが、坊さん、私の話しに共感したみたいです。
 後から、教会からメールをもらいました。これから彼は教会来ると約束したそうです。是非とも祈っていただきたいです。

 話しを戻すと、新城なんて土地が呪われていて、住めない土地という事になります。
 しかし私たちが和解の使者として遣わされる時、単に、神と人、人間と人間の和解だけではなく、神が造られた被造物全体と和解を宣言することが出来るのです。
 コロサイ人への手紙一章十八節〜二十節、

『また、御子はそのからだである教会のかしらです。御子は初めであり、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、ご自身がすべてのことにおいて、第一のものとなられたのです。なぜなら、神はみこころによって、満ち満ちた神の本質を御子のうちに宿らせ、その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、御子のために和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。』

 「万物」とは、人間を除く、他のすべての被造物を指すそうです。神は人間以外の被造物とも、十字架によって和解して下さったのです。
 私たちは、神の国の大使として、人だけでなく、万物に対して和解を宣言できる存在です。ちょっと鳥肌もんじゃないですか。呪われているような土地でも、私たちが和解のことばを宣言したら、土地との間に和解が成立するのです。

 実は今回、霊的戦い専門課程のために、いろいろと資料を収集したのですが、一人の先生が神学論文を投稿していました。その冒頭にこんなことを書いていました。
 「聖書によれば土地というものは単なる無機物ではない。それは命あるものであり、神の祝福によって、作物を生じ、神の呪いによって力を生じなくなってしまう。特に殺人者の流した血は、土地を汚して呪われたものとしてしまう。土地、アレツについて聖書を読み直す必要があるように思う。これは環境問題を考えるうえの基礎となるだろう。土地は実際、命あるものである。一グラムの土には、百万から一千万もの微生物が生息しているという。微生物が有用な働きをしてこそ良い作物を得ることができる。」
 土地というのは、単なる無機物ではなく、命あるものだというのです。土地は生き物です。生き物と言うことは、何らかの意志があるわけです。土地も、神によって命あるものとして造られて、神とのなんらかのチャンネルがあるということです。
 案外私たちは、人間以外の被造物に意志はないという立場に立つのですが、私は神が造られたものはすべて、何らかの形で命が宿っていると思っています。創造主とのチャンネルがあるはずです。イエス様は言われました。おまえたちが叫ぶのをやめたら、石が叫ぶと。石みたいな無機物に見えるものでさえ、創造主とのチャンネルがあるのです。鳥だって獣だって、人とは違うコミュニケーションの方法が備えられているのです。

 人間も、脳だけが知的活動をしているのではないそうです。脳によって臓器すべてがコントロールされていると今までは考えられていたけれど、先日、NHKスペシャルですごいことをやっていました。

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 「NHKスペシャル人体」という番組で、山中教授が話していましたが、人間の臓器は全て、意志を持っていて、脳のような機能があるそうです。すべての臓器とネットワークを組んでいて、お互いに情報発信をして成り立っているそうです。
 そして人間の寿命を決めているのは、腎臓だそうです。肝心という「じん」は、本当は腎臓の「じん」だと言っていました。大切にしないといけないんですね。
 血圧が高い人と低い人がいるかもしれませんが、血圧が高いとか低いというのも、全て腎臓が出す情報物質に左右されているというのです。腎臓が出すメッセージ物質、EPOで血管を収縮させたり、膨張させたりして、全体の臓器のバランスを保っているのだそうです。
 今までは、脳がすべての臓器のコントロールセンターで、他はただ支配されているとしか考えていなかったそうです。しかし、それが違うことが分かったということを、iPS細胞の作者、山中教授が語っていました。意志って、脳だけじゃないの?臓器にもあるの?となれば、神が造られた被造物すべてが、なんらかの知的活動をしているはずです。
 そう考えればどうですか?私たちは、土地を邪険にしますが、すごい生き物じゃないかと思われます。聖書を見るならば、人間は土から造られた生き物であり、死ねば土地に戻ります。また、私たちが食べているもの全て、土を食べているようなものです。野菜だって肉だって、土地から出来るものであり、土を食べているようなものです。案外、単純に考えているところが、重要な場所であったりするわけです。
 しかしこのように語ると、日本人の持っているアニミズム的世界観があるので、聖書の世界観とちゃんと区別しなければいけないと思います。聖書の世界観は、すべては神の被造物だと言う前提です。

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 そして、すべての被造物、水にも、土にも、山にも、木にも、太陽にも、命があって、なんらかの創造主とのコミュニケーション機能があるとしたら、その命は、「すべて創造主から与えられた」というのが聖書的世界観です。

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 しかし日本人の世界観は、ちょっと似ている部分はあっても、根本的に違います。それは、「地球は進化して出来た。しかし、諸霊は宿っている。」という世界観です。山でも、川でも、木でも、地面でも、全て何もない所から進化して発生した。しかし自然発生した物体に、どこからともなく神々が降りてきて住みついた、という考えです。だから、「地の神さん」とか呼ぶわけです。
 ある人の家に、いろんな問題が起こったというのです。それも脳の問題がいくつも起きたというのです。それで近くの霊能者の所に行って相談したら、「あんた、家の屋敷の片隅に杭を打ったでしょう!」と言われたというのです。その杭が地の神の頭に刺さったというのです。それでたたられていると言われたそうです。
 これは間違いです。偽りの上に悪魔が働きますから、私たちが持っているアニミズム的な世界観は捨てないといけないです。
 すべては神の被造物です。その中に宿っている命は、すべて創造主から来ているということです。

 先ほどの論文に、こんな事が書かれていました。「人間という存在は、自然の一部ではなく、自然の一部でありながら、同時に自然の外にあって、自然に働きかける特殊な存在だ。」とありました。本当にそうです。自然の一部であるけれど、外から自然に働きかける特殊な存在です。人間に与えられた能力に注意を払わないといけないわけです。原発もそうですね。神が造らなかった放射性物質を、人間自ら作りだしました。遺伝子組み換えもそうです。
 だから人間に与えられた能力が創造主と結び合って、神の目的にあった働きをしなければいけないのです。
 続いて、「人が土地を支配し、従えることの内容とは、園を耕し守ることであった。ヘブライ語において、耕す、アバドと、しもべ、エベドが同根の語であることは興味深い。地に仕えることが人の対地支配の内容である。」
 私たちは土地に仕えるサーバントです。大使でもあるのですが、地に仕える者であるわけです。
 自然界全体に対して、私たちはしもべとして遣わされ、支配するという、上から目線ではなく、地に仕えていくのです。耕すとは、しもべという言葉と同根だと言うのです。
 「この聖書に啓示された再臨のキリストが終局的にもたらす救いとは、人類の救済のみならず、全被造物の救済である。そこには人口爆発、食糧危機、環境破壊といった問題はない。人間はキリストにあって、新しいからだを受け、被造物の頭、アダムの堕落以来、虚無に服していた被造物は栄光の状態に入れられる。今我々がおかれているのは、キリストにある贖いがすでになされたことを感謝し、今だ訪れていない、この新天新地の完全成就に希望を置いて生きるという二つの時の間である。ここにおいては被造物の産みの苦しみがあり、我々もまた産みの苦しみに参与するべきである。新天新地の訪れまで、それは完成しないであろうが、託されたタラントに応じてその任務を果たすならば、かの日には主に喜ばれ、より多くのものを任せられるであろう。」と。

 イエス様が帰って来られた時には、地球がかかえている問題はすべて解決します。イエス様が帰って来られるまではどうにも出来ないから、他の被造物は放っておけ、というような考えも実際にあります。
 しかし、そうではなく、私たちは被造物と一緒にうめくことが大事だというのです。それに参与していくならば、かの日には主に喜ばれ、より多くのものを任されるであろうというのです。
 他の被造物に対して、どこまで仕えることが出来るかは別として、神の国の大使として、神と人との間、人と人との間、さらには、神と被造物全体との間に入り、自然の一部でありながら、自然の外にいて、そこに働きかける賜物を十二分に駆使していくなら、それが最も、主が喜ばれることであるのです。

 ローマ書八章二十六節〜二十八節を見ると、こうなっています。

『御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。人間の心を探り窮める方は、御霊の思いが何かをよく知っておられます。なぜなら、御霊は、神のみこころに従って、聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。』

 「すべてが益となる」に結びつくためには、八章十八節〜二十三節が大変重要です。

『今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現れを待ち望んでいるのです。それは、被造物が虚無に服したのが自分の意志ではなく、服従させた方によるのであって、望みがあるからです。被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由の中に入れられます。私たちは、被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしていることを知っています。そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。』

 すべてが益となるために必要なことは、被造物全体のうめきに神の子どもたち、神の国の大使たちが心を寄せて「共に」産みの苦しみをする時に、すべてが相働いて益となっていく!のです。
 被造物は、自分の意志ではなくて、人間の罪によって堕落しましたから、被造物は常に神の側に立っているのです。神と被造物には、何一つ対立関係はない。むしろ被造物全体は罪人である人間の悪を神に訴えているというわけです。
 土地の上での流血にしてみても、これは人の罪ですから、「なんとかしてください!」という訴えが、全地からあがっているはずです。
 しかし私たちが和解の使者として、土地に和解を宣言し、被造物のうめきと、私たちのうめきが一緒になり、聖霊様のうめきと共に、神の前に立ち上ると、すべてが相働いて益となるわけです。

 今日、家に帰って、自分が住んでいる土地のために祈ってください。これが、命あるものとして創造主とつながりがあり、うめいているならば、和解を宣言して下さい。最大のとりなし手は、人間よりも、人間以外の万物、被造物ではないかと思われます。彼らはシャープに、御心の中心を捉えて、叫んでいる存在です。私たちがそこに心合わせて、イエス様が帰って来られて地を解放してくださることを祈り、自然界との対立関係を解消する宣言し、住んでいる家の土地との和解を宣言する時、土地から訴えられることはなく、そこが栄光ある場所に変えられるのではないでしょうか。
 新城で霊的戦いが始まったのは、かなり深い意味があるのではないかと思われます。土地の叫びを、被造物の叫びとして受け取り、和解を宣言する時、神の国が訪れるということではないでしょうか。

 今日は家に帰ったら、自分の土地と、周りの自然界との和解を宣言して、今読んだローマ書六章十八節〜二十三節、そして二十八節のみ言葉を宣言されたらよろしいのではないでしょうか。

 最後に一言お祈りして、今日は和解というテーマで聖餐式を行いたいと思います。一人一人が神と和解している事を確認すると共に、人と人との和解にも関係しています。
 私はこれを「十字架型の和解」と名付けさせていただきました。「神と人との和解」、「人と人との和解」、「全被造物との和解」という、三つのテーマを考えて、イエス様の十字架の勝利を宣言し、今から聖餐式を行いたいと思います。それでは一言お祈りします。

 ハレルヤ。天の父なる神様、御名をあがめて心から感謝します。イエス様の十字架によって、神と人、人と人、神と全被造物との和解が実現していることを心から感謝いたします。私たちが十字架の血を無駄にすることがないように、和解が実現しますように。
 もしも、神と和解ができていない人がいるならば、イエス様、あなたと和解できますように。人と対立していたら、その和解も成立しますように。そして、万物との和解にも関わらせていただけることを、心から感謝します。十字架の血潮を宣言します。私たちを神の国の大使として遣わして下さい。イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。