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新城教会ニュース 2019年6・7月

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ザ・メッセージ

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私は愛知県北設楽郡津具村(現・北設楽郡設楽町津具)で生まれました。そこは父の故郷で、父は周囲を山で囲まれた家が四軒しかない寂しい村の片隅で生まれました。実家から山道をしばらく登ると、まとまった集落があります。今やその地域は限界集落となっています。しかし津具村の歴史を知るとき、日本のキリスト教史に残るような、驚くべき事実に気づかされます。
 日本で最初のプロテスタント教会は、改革派のアメリカ人宣教師ジェームス・バラ(1832-1920)によって設立された「横浜公会」です。ジェームス・バラは幕末の1861年11月に宣教師として来日し、熊野灘で暴風に遭い死を覚悟したといいます。来日当初、他の宣教師と共に「成仏寺本堂」に住み、やがて波止場近くに幕府から家が与えられました。その家は米国居留民の礼拝場所として使用され、そこが「横浜公会」創立の地となりました。公会が設立された1872年(明治5年)、キリシタン禁制の中にあって、この会堂で日本人最初の祈祷会が開かれました。出席者は40人ほ
どで、祈ったことのない青年たちさえ次々と祈り出し、バラを大いに驚かせたといいます。設立から5年間で203名が洗礼を受けたと記録されています。実はこの中に、アメリカ長老教会の医療宣教師ヘボンから医術を学ぼうと横浜に赴いた、津具村出身の青年が含まれていました。彼は後に自分の故郷である津具村に帰郷し、医院を開業します。そして、救われた喜びを村民に知らせるために遠く横浜からバラを招き、伝道集会を開きました。その結果、津具村にキリスト教旋風(リバイバル)が巻き起こったのです。当時の人口は定かではありませんが、村の半数近くがクリスチャンとなり、賛成派と反対派に村が真っ二つに別れたほどでした。クリスチャンになった村人の中に、津具村の小学校校長、村井輿三吉がいました。彼は村人に熱心に伝道したために校長職を解雇され、たいへん辛い時期を過ごしましたが、彼の品性に魅せられて多くの村人がクリスチャンになりました。やがて彼は牧師となり、津具村に会堂も建ち、30年近く伝道しました。
 さて、1907年(明治40年)、愛知県蒲郡市に滞在して肺病を療養していた一人の青年がいました。彼はそこで、愛知県の山間地でキリストの愛を説く村井與三吉牧師について聞き、その生き方に触れようと津具村を次の療養先としました。そこで彼は師と出会い、心にキリストの愛の灯がともったのです。彼は、「どっちみち死ぬなら、療養して待つより、少しでも自分が受けたキリストの愛を村井牧師のように、人々の心に注ぎながら死にたい」と決断し、立ち上がりました。その人物こそ、後に神戸や東京などで貧民救済運動に取り組み、労働組合や消費組合、健康保険などの組織を作ったことで知られるキリスト教主義の社会運動家、若き日の賀川豊彦でした。彼は津具村で療養をしながら『一粒の麦』という小説を著しました。それが『死線を越えて』に続くベストセラーとなり、彼を世界的に有名にしました。そして、その小説の主人公こそ、村井輿三吉牧師でした。
 今、津具には村井與三吉の功績をたたえる顕彰碑が建てられています。日本広しといえども一牧師の顕彰碑が村人によって建てられている町・村は、私の知る限りどこにもありません。その横には建立のために寄金した百軒以上の村人の氏名が刻まれています。石碑の「村井輿三吉先生の碑」という文字は、賀川豊彦の書によります。しかし、時は国家神道の嵐が吹きすさぶ中、教会は迫害にあって徐々に力を失い、村井牧師の死と共に、30年続いた教会は閉鎖され、日本で最初のリバイバルの炎は消えたように思われました。
 けれども、村井牧師が亡くなった2年後の1929年(昭和4年)、その村のキリスト教反対派の家に一人の男子が誕生しました。彼は18歳になって、勉学のために村を出て東京に行きます。時は太平洋戦争終結直後、彼はそこでアメリカから遣わされた宣教師の導きでクリスチャンとなります。彼は大いに心燃やされ、故郷の津具村に帰郷して宣教を開始し、やがて日本のリバイバルのために立ち上がります。それが、私の父、滝元明でした。
 神は津具村を、決して忘れることはなさいませんでした。それも、反対派の中から一人の人物を選び、働きを復興されたのです。今私は、父が始めた新城教会を受け継ぎ、同時に、「リバイバルミッション」で働かせていただいています。そんな中で感じることは、日本の長い歴史の中で迫害に耐えながら、命を懸け、涙と共に祈り、戦った聖徒たちの姿です。ジェームス・バラは、愛知県だけでなく、長野県にも岐阜県にも足をのばして宣教をしたといわれます。彼は三河路に入って奥三河・津具村に向かう途中、三河山系の峠を越えるたびに「主よ、この国を与え給え」と熱心に祈ったそうです。
 新城教会は来年で「70周年」を迎えます。しかしそれは偶然ではなく、教会が始まる以前から、神がこの地域の祝福のために準備して下さっていた事実です。あなたもこの輪に加わり、イエスキリストの祝福を受け取って下さい。

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 私が教会を訪ねたのは、中学校のPTA役員会で、ひとりの女性と知り合ったのがきっかけでした。彼女との会話の中で、当時新城教会で始まったばかりだったゴスペル・クワイヤーの話になり、私も誘われるままゴスペルの練習に参加しました。
 歌うことが好きな私は、英語の歌詞やメロディー、パートの音取り、大勢でバンドと一緒に歌えることなど、ゴスペルの魅力にすぐにとりつかれて、毎回楽しく歌うようになりました。
 教会に足を運ぶようになって、私は漂う空気が世の中にあるものと違うことに驚かされました。教会の人たちは何かが違う、なんだろう?と、そこに流れている穏やかさや優しさに魅力を感じたのを覚えています。
 ある日、ゴスペルで外部講師を招いたワークショップが開催され、私も参加しました。楽しくレッスンが終わり、最後にみんなで大きな輪を作り、神様にお祈りする時間が持たれました。リーダーの方から「みなさんの中でお祈りしてもらいたい人がいたらお話しください。」と勧めがありました。そのとき初めて、私はみなさんに祈ってもらいたいと思い、自分の問題についてお話しして祈ってもらいました。それから少しずつ教会の牧師先生やゴスペルの仲間たちにも祈ってもらうようになり、自分でも祈ることの大切さを実感するようになりました。
 その後、クリスチャンとなった私は、日常の中で起きること、願うことなどを、神様にお祈りするようになりました。祈りを通して自分の心に一本芯が入ったように問題や課題に対して粘り強く取り組むことができるのです。
 2008年12月にそれまでしていた仕事を辞めようと決めており、今度は何をしようかと祈っていました。すると、娘が留学していたオーストラリアのオープンカフェで飲んだコーヒーが、とてもおいしかったことが思い出され、そうだ、カフェはどうかしら? 自然が豊かな場所で、外でゆったりとコーヒーが飲めて、ゴスペルのミニライブもできて、みんなに楽しんでいただけるお店。そして家にいる息子も一緒にやれたら? と考えました。そして桜淵公園にある一つの建物が頭に浮かび、同時に迷うことなく店の名前も決まりました。
 息子はそれまでコーヒーがあまり好きではなかったのですが、私の友人に趣味でエスプレッソを豆の焙煎から作る方がいて、そのコーヒーを息子と一緒に飲ませていただきました。息子はひと飲みでそのおいしさに驚愕し、一気にやる気になって、友人の指導を受けながら毎日何時間もコーヒーを入れることに没頭するようになりました。さまざまな課題も祈りの中でクリアされていき、構想からわずか4ヶ月、2009年3月2日にオープンまでこぎ着けることができました。やっていけるかどうかもわからないまま始めましたが、神様の守りの中、ここまでお客さんも与えられてお店を続けることができ、本当に感謝しています。
 これまでお祈りの中で家族の問題やさまざまな人生の課題が一つ一つ解かれていくのを見ることができました。聖書の中に「(神様が)あなたのために立てている計画は、災いのためではなく、平安のため、あなたに将来と希望を与えるためのものだ。」と書かれていますが、今後もこの神様を信頼し、祈りながらその日その日に与えられたことを一生懸命やっていければいいな、と思っています。

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